第96話 貴き血統に課せられる使命
オウジンが童顔に似合わぬ目で、大きなベルナルドを見上げた。いつもと何ら変わらぬ柔和な表情で。
「少し長くなってしまうが、細かい事情まで話す必要はあるか、ベル?」
ベルナルドがゆっくりと首を左右に振った。
そしていつもと変わらぬ太く重い声で、静かにつぶやく。
「…………いいや、必要ない。理解した。――それでいいか、リーダー?」
イルガがパンと一度手を打って、この場の全員の視線を集めた。
「おいおい、俺の役割を取らないでくれよ、ベル。そもそも俺はオウジンやエレミアには怒ってなんていない。むしろ感謝すらしているくらいだ」
「感謝?」
不思議になって、俺は尋ねてみた。
イルガが笑みを消して、己の両手に視線を下げる。
「みんな、考えても見てくれ。俺たちは自分の剣で、ヒトに仇成す魔物を討伐できたのだぞ。騎士ですらない学生の身でありながら、正騎士の役割を見事に果たせた。たとえ故意に作られた状況であったとしても、俺には正騎士に近づけた実感がある」
視線を上げて拳を握りしめ、今度は一班二班を振り返って語った。
「戦えた。正騎士でさえ手こずるようなオーガと互角にだ。俺は騎士学校にそういうことを教わりにきている」
そうしてイルガはやや大仰に、俺とオウジンを指し示すように手を向ける。
「教えてくれたのが教官ではなく、同窓の仲間であっただけのことだ。――なあ、違うか、みんな?」
全員が口をつぐんで黙り込んだ。だが不満な顔ではなく、戸惑っているような様子だ。
イルガはひとりひとりに視線を向けて、ゆっくり続ける。
「ここにいるみんなは貴族だ。貴族とは戦いに赴くもの。貴族である限り戦いから逃れることはできない。ならばいつかはこのような危機も訪れる。それを今日、この場で、ふたりの手練れに守られながら経験できたことは、俺たちの今後の人生においてとてつもなく得難い出来事だったんじゃないか」
相変わらずぬぼっているベルナルドを除いて、一班二班の全員はもちろん、俺やオウジンも呆けた表情でイルガを見ていた。
このイルガ・フレージスが何を考えていたのか、いまその一端を垣間見れた気がする。
そう。貴族とは国家国民を守るため、戦時に戦う存在のことを言う。平民以下は徴兵制度でもない限りは取捨が可能だが、貴族にはそれが与えられていない。その対価こそが、特権階級と言って過言ではない爵位だ。
レティスがつぶやいた。
「そ、そっか。言われてみれば……そうだよ、な。三班が教官じゃないから助けてもらうのが当然なんて理屈、冷静に考えたらだいぶおかしいな。意味わかんない」
他の生徒たちの怒りの熱量のようなものが静かに収まっていくのを感じる。それどころか、それぞれが戸惑いながらも俺たちに謝罪や感謝の言葉を述べ始めた。おそらくまだ、腹の底から納得したわけではないだろうが、それでも。
悪意に晒されずに済んだ俺は、ようやく安堵の息を吐くことができた。
「……」
だが、逆に大きな違和感ができた。先ほどのイルガの言葉は、俺に引っかかりを残した。
貴族と平民以下は分けて考える人間が、教官と生徒の関係には分け隔てがない。それほど身分にこだわっているわけではないのだろうか。
俺はイルガの横顔をそっと盗み見る。
ああ、わからん。ますますこの男のことがわからなくなる。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、イルガはみなに微笑みかける。
「よし。ではそろそろ探索を再開しよう。隊列は先ほどまでと同じく、俺とリョウカが先頭で一班二班の順に続き、ベルとエレミアが最後尾だ」
「待て。その前に、小休止だ、リーダー。傷の処置をせねば、小傷であっても、大病に繋がる」
ベルナルドの言葉に、イルガがうなずいた。
「そうか。そうだな。少し休憩を挟もう。各自、薬は持ってきているな」
全員がうなずく。
ベルナルドが壁際に座ると、レティスを含む二班の全員が彼の周囲に座った。ずいぶんと慕われているようだ。まるで二班全員の父親のようだ、などとくだらないことを考える。
一班は割と自由気ままだ。それぞれが思い思いの場所に座り、バックパックから食糧や飲み物を取り出したり、互いの傷を洗浄して薬を塗り込んだりしている。
魔物を相手にした戦いの場合、牙や爪に毒があることが多い。そうでなくとも衛生面に問題があり、傷から大病へと変わることも少なくない。
ベルナルドの言う通り、消毒は大切だ。
ふと気づくと、イルガだけが少し進んだ先でひとり、見張りに立っていた。
俺は何気なく近づいていく。
「イルガ。おまえも少し休んだ方がいい。見張りなら俺がやっておく」
「いや、平気だ。立ったままでも補給くらいはできる。これくらいはさせてくれよ。またおまえたちに借りができてしまったのだからな」
イルガが袋に入った野戦食クッキーを、俺の目の高さに下げてきた。どうやら分けてくれるらしい。
俺はひとつ貰って口に投げ入れた。
リオナのものとは違って、甘さの中に塩気も混じっている。どうやらビスケットだったようだ。味は完敗だが、こうも血や汗が流れる状況での塩分補給はありがたい。
俺は持ってきた革袋の水でそれを流し込む。
「また?」
「ホムンクルス戦に続いてだ。俺は真っ先に倒されていて、何の役にも立てなかった。その上、みんなには命を救われたのに何も覚えていない。情けない話だ」
「悲観するな。あんなバケモノが相手では仕方があるまい。三班とて四人がかりでもどうにもならん相手だった」
「悲観なんてしていないぞ」
魔導灯の光のさらに先、どこまでも続く通路の闇を見つめながらイルガはこう言った。ほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべて。
「いいか、エレミア。せいぜい学生のうちに、この俺に多くの貸しを作っておくことだ。俺は必ず正騎士となり、フレージス家を継いで侯爵となる。そのときに必ず返す。恩は忘れない」
「律儀だな。その程度のことを借りだと言ってくれるなら、いますぐに返してくれても構わないのだぞ」
「……?」
全員が少し離れた位置にいることを確認してから、俺はイルガに尋ねる。
「どうしてそんなに貴族にこだわるんだ? どのみち、レアン騎士学校を卒業したら、みんな揃って騎士爵だ。準とはいえど、貴族みたいなものだろう」
レアン騎士学校では卒業と同時に騎士爵を得ることができる。これは準貴族、つまり一代限りの貴族であることを証明する爵位だ。むろん、取得と引き換えに戦時には戦場へと駆り出されることになってしまうのだが。
ちなみに取捨は卒業時に自身で決めることができる。取得を選ばなかったとしても、騎士学校を卒業すればそれなりの職業につくことが可能だ。それを目的にしている生徒も、平民以下には少なからずいるだろう。
「俺には現時点のクラス内で平民と貴族を分けようとする理由がどうしてもわからん。おまえは何を考えているんだ」
ちなみに俺の選択は“捨”だ。
堅苦しい貴族にも、自由を縛られた正騎士にも興味はない。当然、王族にも、将来的にキルプスから叙爵させられるであろう公爵位にもだ。
目指すは自由の剣を確約された“剣聖”のみ。
俺が誰のために剣を振るうかは俺自身が決める。前世でキルプスだけに剣を捧げたようにな。
「もちろん、言いたくなければ将来的に返済する方向でも構わんが」
「……」
イルガは壁にもたれ、無言で闇を見ている。魔導灯の光すら届かない、闇の向こう側を。
どうやら応える気はなさそうだ。俺は小さく唸ってからイルガに背を向けた。だが一歩、足を出したとき。
「……俺は養子だった」
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