第92話 地の底で吼える者
ここが広場ではなく通路だったことが幸いした。挟まれてしまって逃げ道こそないが、それでも囲まれずには済む。
イルガの叫び声が聞こえた。
「一班、恐れて固まるな! 横列に展開しろ!」
良い判断だ。己より圧倒的に大きな敵、己よりも圧倒的に力の強い敵を相手にひとかたまりになるのは、自ら隊全体の急所を作るにも等しい。展開すれば犠牲が出ても最小限で済む。
それに通路の幅が味方をしてくれている。俺たちにとっては六、七人が両腕を広げて並んでも余裕のある広さだが、ガタイのよいオーガにとっては三体が限度。それも、鉄塊を自在に振り回すだけの場所はほとんどなくなる。
オーガ一体につき、生徒は二名から三名であたれる。一対一を避けられるのは大きい。
だが、それをおいてしても、この数では――!
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
先頭のオーガの鉄塊が、イルガの頭部を薙ぎ払う。
「~~ッ」
紙一重でそれを屈んで躱したイルガが、ロングソードでオーガの胴を真横に斬り裂いた。
「はああ!」
やはり良い腕をしている。学生にしては、だが。
しかし次の瞬間、表情を歪めたのはオーガではなくイルガの方だった。
「く……!」
皮膚が硬い。傷が浅い。命まで届いていない。
切っ先はオーガの脇腹を抉りはしたものの、致命傷には至っていない。オーガは意にも介さず、鉄塊をイルガの脳天へと薙ぎ払った。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
「う……く……」
イルガの目が絶望に見開かれる。
馬鹿が! たかが威嚇の咆吼くらいで――!
「――いちいち竦むな!」
俺は滑り込みながらイルガの膝裏を蹴り、跪かせることでそれを躱させる。倒れかけたイルガの襟首をつかんで、一班の男子が一気に引いた。
その間に俺は体勢を低くして地を蹴り、オーガの足下へと斬り込む。
「己を鼓舞しろッ! 奮い立てッ! おお――ッ!」
ずぐり、と刃が皮膚に沈み込む。だが、やはり硬い。
なまくらグラディウスと十歳の腕力では、肉さえ完全には切り裂けない。腹と足を斬られたオーガは、それでも鉄塊を持ち上げる。
ひゅっ、と音がして、オーガの頸部の端から端までを切っ先が走った。オウジンの岩斬りだ。
「エレミア、脇差しを使うんだ!」
「ちょうど試してやろうと思っていたところだ!」
ぐらり、巨体が傾く。
前のめりに倒れてきたオーガを後退で躱し、俺はグラディウスを収めて脇差しを抜いた。倒れ伏したオーガの首が胴体から離れて転がり、血液がざぁと流れ出す。
しかし足下など見ている余裕はない。
地面を引き摺りながら打ち上げられた鉄塊を、俺は身を反らして躱す。返す刀で脇差しを振るうも、やはり長さが足りない。皮膚と肉を裂きはしたが、臓物には届いていないのが手応えからわかる。
自然と笑みがこぼれた。十分だ。
「グラディウスよりは遙かにマシだな」
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
別のオーガが振り回した鉄塊を後退で避ける。鼻先に暴風が巻き起こった。だがこれ以上は後退できない。場所がないんだ。
いまや隊列は前後から押されてしまい、限界まで縮んでしまっている。
俺の背後には腰を抜かしたイルガと一班数名、そしてやつらの背後にはベルナルドたち二班の背中が詰めてきている。
これも脆い刀という武器の弱点か。受けることはもちろん、受け流すことさえ難しい。刃が簡単に欠けてしまう。だから敵の攻撃への対処は、ほとんどが回避に頼ることになる。けれどその足場がもうない。
イルガを蹴り起こすか。
そんなことを考えた瞬間、すぅと、俺の首筋のすぐ横から伸びたロングソードの切っ先が、迫るオーガの眼球を正確に貫いた。
――ギィアアアァァァァァァーーーーーーーーッ!?
「ふざけるなよ、薄汚い魔物風情が! このイルガ・フレージスは誇り高き王国騎士となる男だ! このようなところで死んでなるものかよ!」
イルガ――!?
「ふん、ようやく持ち直したか」
「当然だ! 十歳の子供に奮い立てと言われて座ってなどいられない! 俺は王国一の騎士になる男だ! この俺の膝裏を蹴って転ばせた屈辱は忘れないぞ、エレミア!」
鉄塊を屈んで避けた俺の背後から、イルガがロングソードを薙ぎ払う。切っ先がオーガの腹を引っ掻いて後退させた。
「恨み言なら後にしろッ」
「いいや、感謝だ。俺の目を覚まさせてくれたことへのな。命のみならず、もう少しで誇りまで失うところだった」
眼球を貫かれ、腹を引っ掻かれて怯んだオーガの足首へと、俺は岩斬りを繰り出す。
「うおお――ッ」
垂直にあて、挽く。先ほどとは違う手応え。皮膚を裂き、肉を分け、脇差しの刃は骨まで到達する。
だが、短い脇差しではここまでだ。挽き斬るという性質上、どうしても武器の長さが重要になってくる。骨を断つ前に切っ先が抜けてしまった。
「……ッ」
ああ、もどかしい。血管や腱を断つので精一杯だ。俺にもオウジンのような長刀が持てていれば、こんなふうに獲物を横取りされずに済んだろうに。
「もらうよ、エレミア」
刎ねることこそできなかったが、バランスを失って大きく傾いたオーガの頸部を、今度はオウジンが岩斬りで斬った。
一撃だ。
すかさずオウジンと背中合わせとなり、互いに切っ先を別のオーガに向けて牽制する。
俺は息を整えながら、軽口を叩いた。
「おまえな、おいしいところだけ持っていくんじゃあない」
「はは、ホムンクルス戦では譲っただろ?」
「おまえは倒れていたではないか」
オウジンが意地の悪い笑みを浮かべる。
「刀のことだよ」
言いやがる。屁理屈小僧が。
首から上を失ったオーガが、ゆっくりと仰向けに倒れる。
二体目――!
いや、三体目か。遙か後方から伸ばされたベルナルドの槍が、俺たちを狙って振り下ろされたオーガの鉄塊の軌道を、甲高い音を立てて弾き逸らした。
「待たせた。リーダー」
のっそりと現れたベルナルドが、槍を構えたままイルガの隣についた。イルガが鉄塊を躱しロングソードを振るいながら早口で尋ねる。
「後方のオーガは仕留めたか?」
「斃した。一体だけだったからな。五人がかりで囲んで袋叩きだ」
イルガが鉄塊の振り下ろしを避けて、ロングソードでオーガを引っ掻いた。すかさずベルナルドが追撃の槍を放つ。だがオーガはそれを鉄塊で防ぐと、再び振りかぶる。
「はは、それはいい」
少し遅れて、レティスを含む二班全員が並んだ。
イルガが口をすぼめて、勢いよく息を吐いた。そうして胸を張り、大声を出す。
「よし! ならば一班は再度横列に展開、ベル以外の二班は後方から補佐につけ! ここから立て直すぞっ!!」
「おお!」
学生、吼える。
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