第8話 弟子のぬいぐるみ
俺は発言を取り消すように、自身の顔の前で手を振る。
「すまない。余計な世話だったな」
だが、リリは――。
眉間に皺を寄せて、不思議そうに俺を見つめていた。
「あ、いや、忘れてくれ」
「ええ。いいえ」
どっちだ?
「?」
リリが頭を振る。
長い黒髪が左右に揺れた。
「不思議ね。エレミアといると、ときどき昔を思い出してしまう。ずっと昔」
一瞬ヒヤリとした。
こいつ、ブライズのことを思い出しているな。気をつけなければ。正体がばれてしまっては先々面倒だ。というか恥ずかしい。
俺はクローゼットの横に荷物を下ろして着替えを取り出す。
基本的に一部屋ではあるが、洗面用のスペースは確保されている。そこで着替えて顔を洗い、部屋に戻ると、リリは机に向かって羽根ペンを走らせていた。
名簿作りだ。昔からそうだが、生真面目な女だった。
剣術を教えることはできなかった。なぜなら俺の剣には型がないからだ。
型が欲しければ他流を見て己に取り込め。
ただ剣を振り続けろ。
敵が音を上げるまで休むことなく振り続けろ。
足を止めるな、走れ。
心で負けるな、折れそうになったら吼えて己を鼓舞しろ。
手強い相手ならば肉を削げ、骨を断て、やがておまえの牙は命にも届くはずだ。
諦めるな、敵の刃が己を貫くその瞬間まで、地べたを這ってでも動き続けろ。
生きろ、生き方に型などない。
教えはそれだけだ。それがすべてだ。ほとんど暴論精神論だ。
だが俺の弟子はどれほど過酷な戦場でも、誰ひとり死ななかった。型にこだわり、騎士道にこだわり、俺たちを獣と嘲笑った騎士が山ほど死んでいっても、俺の弟子はみんな生き残った。
それが前世に遺してきた俺の誇りだ。
そして俺の弟子たちは、多くの命を奪い、それ以上の数の命を救った。
やがて俺は認められた。
剣聖として。救国の英雄として。王都内の公園に彫像が建てられるくらいには。
「……よくぞ……生き残ってくれた……」
つぶやく言葉に、リリが振り返った。
「何?」
「いや、何でもない」
俺はベッドに歩み寄る。リリはそれを視線で追ってきた。
ベッドの中央で豪快に横になると、彼女が口を開く。
「もう少し端に寄って。ぬいぐるみを退けてもいいから」
「ん? ああ」
言われるままに、俺は犬や猫、鳥といったデフォルメされた動物のぬいぐるみらを枕元に寄せた。丁寧にだ。投げたりはしない。
多いな。いくつあるんだ。俺はそのうちの一つ、丸々と太った黄色い鳥を両手に持って眺める。
「……」
このようなものが好きなのであれば、前世でねだってくれても構わなかったのに。剣聖の称号を得たあとならば、金など腐るほど貯まっていた。あの頃のブライズなら、ぬいぐるみなど好きなだけ買ってやれただろう。
引き換え、いまの俺は王族ではあるが子供だ。キルプスの教育方針によって、自分で動かせる金など微々たるもの。
ため息が出るな。
ブライズがリリに与えてやったものなど剣くらいだ。いまにして思えば、むしろ彼女の人生から奪ってしまったものの方が遙かに多かっただろう。婚期とかな。
俺は丸く太った黄色い鳥のぬいぐるみを、他のぬいぐるみどもの中央に置いた。
……並べるとかわいいな……。
「これでいいか?」
「ぬいぐるみだけではなくって、エレミアももう少し寄ってくれるかしら。中央で寝られるとわたしが入れないわ」
「ああ、そうか」
リリの居住スペースは女子寮のこの部屋だ。生徒とは違って教師に相部屋はない。
当然クローゼットは一つ。ベッドも一つだ。
……。
俺は首がイカれそうな勢いで、再びリリを二度見した。
「馬鹿野郎! なんで一緒に寝る前提なんだ!?」
「狭いけれどベッドがくるまで我慢なさい。七日ほどだから。ああ、遠慮をしているのかしら」
「そうではない! いや、それもあるが!」
「わたしのことなら気にしなくていいわ。かわいいものは、好きだから」
あいつはそう言って、ぬいぐるみを指さした。
かわいいものッ!?
俺の扱いがッ、ぬいぐるみッ!?
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




