第87話 ここで仕留めておくべきだ
しばらく四班五班のいる暗い通路の方角を眺めていたイルガだったが、やがてその表情を引き締めて声を張った。
「よし、では我々は四班五班に先行し、ゴブリンの跋扈していた五層へと下りる! 各自、戦闘準備を怠るな!」
一斉にした返事が重なる。
そうして俺たちはイルガを先頭にして、五層への階段を下った。
五層――。
深い闇を、魔導灯の白い明かりが四角く切り取る。俺たちは一度そこで足を止め、周囲を警戒する。不穏な空気が漂っている。
イルガが先頭から戻ってきた。
「ノイ、オウジン」
「んあ?」
イルガに呼ばれて、俺は間の抜けた返事をした。
「はは。なんだよ、その返事は。しっかり頼むよ」
「いや……すまん」
最前線に立つ必要がないと気が抜ける。ましてやここは一度通った通路だ。緊張感も何もあったものではない。ブライズの経験を持っている俺にとっては、たまに魔物が出現するような地上の草原と何ら変わらない。
イルガが苦笑した。
「前回のカリキュラムでキミたち三班は五層を探索したはずだ。その際に六層への階段は発見したか?」
俺はオウジンと目配せをしてからうなずく。
「ああ。最初の拠点から右手をつきながら歩けば六層への階段を発見できる」
……と、ヴォイドが言っていた。
嫌な顔をされそうだから付け加えないが。
ちなみに逆の左手側はオウジンが探索済みで、行き止まりだったらしい。
オウジンが俺の言葉を補足する。
「この階段から見れば左手側だ。少なくともこの層は、それほど複雑な通路のある階層じゃない」
イルガがオウジンに尋ねた。
「リョウカは正確な道を覚えているのかい?」
ファーストネームで呼ばれて、オウジンが一瞬戸惑った顔をした。だがすぐにいつもの表情に戻り、自身のこめかみを指先で叩く。
「五層の地図なら頭に入っている」
「さすがだ。素晴らしい。ならば少し危険な役割になって悪いのだが、オウジンは俺と一緒に先頭を歩けるか?」
「わかった」
オウジンが集団の前方へと移動する――前に、俺を振り返って言った。
「エレミア、後方警戒を頼む」
「ああ」
ここで交わした言葉は重要ではない。
目配せをしてうなずき合う。戦闘になった場合、俺たちはあくまでも補佐に回る。よほどの危機でもない限りは。そのための確認だ。
四班五班の合同パーティが動き出す。あれほど激しく戦ったというのに、ゴブリンの死骸がひとつもない。すべてあのスライムが食べてしまったのだとしたら、いったいあれはどれほど成長してしまっていることやら。
なるべくならば遭遇したくはないものだ。ちょうどそんなことを考えた瞬間だった。
いくらも進まないうちに、集団が唐突に足を止めたんだ。理由はすぐにわかった。
ベルナルドが前方に目をやって、前を歩いていたレティスに尋ねた。
「どうかしたのか?」
「何かいるみたいだ。わたし、イルガに聞いてくる」
そう言って走り出しかけた腕を、俺は両手でつかんで止める。
「待て。行く必要はない。じきに先頭の方から後退してくる」
「へ?」
「気配がする。臭いもだ」
俺はがっくりとうなだれた。
ベルナルドが中腰になって俺に尋ねる。ゆっくりとした低い声で。
「それは、ゴブリンのか?」
身長が俺の倍以上あるから、話をするたびにわざわざ屈ませることになってしまうんだ。実にうらやましい話だ。
「いや、大型スライムだな。三班で四層から五層へ落としたやつだ」
ヘドロのような臭いが濃くなってきた。ゴブリンであれば獣臭、雨に濡れた野良犬の臭いだ。
どうやらあのスライムは四層へは戻らず、五層をひたすら彷徨っていたようだ。あるいは巣という概念すらないほど単純な生物なのか。案外、動く植物なのかもしれない。
その再生力から研究者は数多いけれど、この魔物に関してはまだまだ未知の部分が多い。
俺は続ける。
「剣ではどうしようもない。魔術師のフィクスがいれば安全だろうと高をくくっていたのだが、こちらが遭遇してしまったか。一応、念のための対策は用意してきているが、うまくいくかはわからない」
「対策とは?」
「袋だ。水を通さない袋に閉じ込めてダンジョンの片隅に放置する。だがそこに入りきらない大きさになっていた場合は手に負えないから、逃げる準備はしておいた方がいい。やつの足は遅いが、とにかくしつこい」
言っている間に、集団が後退してきた。イルガとオウジンもだ。
その背後からは、黄土色をしたドロドロの物体が形を変えながらじりじりと迫ってきていた。それも、通路を埋めつくすほどの大きさにまで成長してしまっている。
思わずつぶやいた。
「おいおい……」
近くまで後退してきたオウジンが、うんざりした声で吐き捨てる。
「エレミア、やつだ。三倍ほどの大きさになってる。あれではさすがに――」
「……ああ、見ればわかる……」
だめだな。オウジンのバックパックにある袋では閉じ込めきれそうにない。スライム対策のセオリー通り、袋に入れて放置するつもりで持ってきたのだが、あの大きさでは半分どころかさらにその半分さえ入りそうにない。
いくら何でも育ちすぎだろう。まあ、五十体以上のゴブリンの死骸をそのまま吸収したのだから、わからないでもないが。
オウジンが顔をしかめて嘆いた。
「せっかく一番大きな袋を買って持ってきたのに」
「こればっかりは仕方がない。一旦退き、撒いてくるしかなさそうだ。――イルガ、一度四層へ戻り、大穴から五層へ飛び降りた方がいい。やつは四層までついてくるだろうが、へばりついて飛び降りはしない気がする」
イルガが腕組みをして唸る。
「やむを得ないな。みんなを危機にさらすわけにはいかない」
それは意外な返答だった。
てっきり走って突っ切るとか言い出すものだとばかりに思っていたのに。
イルガが声を張った。
「みんな、一旦四層まで撤退する!」
フィクスがいれば、魔術で一瞬だというのに。特攻しなかったのはよかったが、クラスを分断するなど本当に愚かな選択でしかない。
俺たちが退こうとしたとき、流れに逆らってベルナルドだけが前へと歩き出した。イルガが振り返り、俺たちも立ち止まった。
「ベル? 魔術を使えるのか?」
「いいや。おれに魔術の才能は、ない」
悠然と。話すときと同じく、ゆっくりとした足取りだった。
腰に吊した魔導灯を外しながら。
俺は慌てて口を開いた。
「おい、魔導灯は炎じゃないぞ。灼き払うつもりなら――」
「心配はいらない。おれのは、魔導灯ではない」
そう言って魔導灯――ではなく、ランプを投げた。砕けたランプは燃料をぶちまけ、芯で踊っていた火がわずかに火勢を増す。
「入学の際、無理を言って、父から譲って貰ったものだ」
「おまえ、そんな大切なものを……」
ベルナルドが首を左右に振った。
「ここで放っておいては、帰り道で、また遭遇する。今度は、迂回路がない。それに、魔術師のフィクスがいるとはいえ、四班五班にとっても、危険には違いない。ここで仕留めておくべきだ」
「それは……そうだが……」
大男は微笑む。
「一組を守るためならば、安いもの。おまえたち三班は、あの戦いで命をかけ、みなを守った。勇敢な戦士だ。父も納得するだろう。これくらいは、させてくれ」
炎は踊る。だが、弱い。吹けば消えそうな火だ。
あの程度では灼き尽くせない大きさのスライムだ。のしかかられては消えてしまう。
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