第85話 貴族の義務として
セネカが先行を始めた一班と二班の背に、慌てて声を投げた。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「ん?」
イルガだけが振り返り、足を止めかけた一班二班の背中を押す。
「先に行っていたまえ」
「わかりました」
鉄扉を閉ざす三班、四班をその場に残して、一班と二班が再び歩き出した。その最後尾をいく長柄武器を持った大柄な生徒だけが振り返り、視線で謝るような仕草を見せてから去っていった。
長身のイルガをセネカが睨み上げる。
「どういうつもりなの? クラスを二分するなんて。あんた状況わかってる?」
「わかっているとも。おまえなどよりよほどな。おまえの方こそ、誰に意見をしているかわかっているのか?」
ぴくりと、セネカの左目が痙攣した。互いにキスでもせがむかのように一歩の距離まで詰め寄り、イルガは上から、セネカは下から睨み上げる。
セネカは特に怒り心頭といった具合にだ。
それはそうだろう。第三者から聞いてもイルガの先ほどの物言いはひどい。まるでセネカを最初から下に見ているのかのように聞こえる。
だがこんなところで押っ始められては困る。俺がリリに叱られてしまう。
俺がセネカとイルガの間に入ろうとしたとき、リオナが作り笑顔でふたりの間に入ってその腹を押し下げた。
「ちょっとちょーっとぉ、こんなところで揉めないでよぉ。どうしたの? 話くらい聞くよぉ?」
しかし次の瞬間イルガは、リオナに触れられた己の腹を掌で払った。
「おいおい、触らないでくれるかな。共和国の薄汚い雌猫が。服が汚れたじゃないか」
これにはリオナも顔色を変える。
だがその口が開かれるより早く、イルガが吐き捨てる。目を剥いてヴォイドやリオナを睨んでだ。
「いい気になるなよ、三班。そしてフィクス・オウガス、おまえもだ」
「へ……ぼ、僕?」
セネカの背後にいたフィクスが、呆然と立ち尽くす。なぜ自分に矛先が向いたかさえわかっていなさそうな表情だ。
「たかが平民風情が、前回のカリキュラムでこの俺に貸しでも作ったつもりなのだろうが、そんなものはすぐにでも返してやる」
「貴族の矜持か? つまんねー野郎だな、ああ? パパのご身分にのっかんのぁいい気分か?」
ヴォイドが半笑いで吐き捨てた。
「ふん。薄汚いスラム出身のやつの言葉は下品でいけない。どうやらうまく聞き取れなかったようだ。すまないがもう一度言ってみてくれるかい、ヴォイド・スケイル」
「あー? てめえをぶん殴るっつっただけだッ!」
駆け出したヴォイドを、オウジンがしがみついて止める。
「よせ! 落ち着け、ヴォイド!」
「放せよ、オウジン。こいつぁなァ、貴族と平民以下でクラスを割りやがったんだ。心底性根から腐ってやがんだよッ」
そういうことだったのか。
平民でありながら貴族王族に意見を通してきたブライズにも、王族として生きてきたエレミーにも気づけるわけがなかった。ヴォイドはスラムというどん底から空を見上げながら育ったから気づけたんだ。
これではヴォイドが怒るのも無理はない。イルガのこの嘲笑は、エルヴァのスラムの孤児らへと向けられる観光街の貴族の視線そのものだ。
イルガが憤慨するヴォイドを嘲笑した。
「せいぜい侯爵家の嫡子を救ったと喧伝するがいい。だがそのような妄言は、すぐにでもこの俺が塗り替えてやろう。高貴な者のみを率いて、貴族の義務を果たす。そこにスラム出身者や共和国民の入り込む余地などありはしない」
「てめえ……ッ」
ヴォイドが再び牙を剥く。
もはやオウジンだけでは抑えが利かない。リオナやセネカが一緒になって、ヴォイドへとしがみついた。それでもずるずると引き摺られている。
だが、イルガはニヤけ面でその様子を眺めながら、自らヴォイドの前へと歩を進めた。拳を固めて。そうして、振りかぶって。
――動けないヴォイドを殴るつもりか!?
俺はとっさにベルトから鞘ごとグラディウスを抜いて、放たれた拳を横から受け止めた。ガン、音が鳴り響き、両腕に衝撃が走る。
俺がイルガの拳を止めたのはヴォイドを救うためではない。むしろ逆だ。
もしイルガのこの拳がヴォイドに届いていたら、俺やオウジンではもはや剣を抜かない限り、ヴォイドを止められなくなるからだ。
「いい加減やめろ! ふたりともだ! 十歳のガキや女に咎められて恥ずかしくはないのか!」
ヴォイドが舌打ちをして、リオナとセネカを腕から振り払った。むろん、強面とは反対に優しくだ。間違っても転ばせたりはしない。そういうやつだ。
だが、イルガは。
俺を笑顔で見下ろしていた。
「やはりいい反応だ、エレミア・ノイ。とても十歳とは思えん。おまえを男爵位などにしておくにはもったいない。俺がフレージス家を継いだあとであれば、陛下に陞爵を談判してやっても構わない。フレージス家は侯爵家だから、陛下ともお会いする機会も多いのだ」
「……はあ?」
俺は顔をしかめる。他にどんな反応を示せというのだ。
にもかかわらず、イルガは満面の笑みで俺に手を伸ばしてきた。
「ノイ。おまえは俺と来るべきだ」
え、嫌だぁ~……。とんでもなく嫌だぁ~……。
次にイルガはオウジンを指さす。
「おまえもだ。リョウカ・オウジン」
「ええ……? なんで僕まで……?」
「共和国などという低俗卑劣な国家ならばいざ知らず、神秘の国である東国から留学生に選ばれるくらいであれば、さぞや高貴な家柄なのだろう。さらには剣の腕もたつと聞いた。俺とともに来い。近い将来、互いの国のことを語らい合おうではないか」
「……」
オウジンは苦い表情で口をつぐんだ。それを肯定と受け取ったのか、イルガは笑顔で満足げにうなずく。
とんでもないポジティブ思考だ。己の言が否定される可能性など考えもしないのか。
「ではな、その他の平民諸君。ああ、それ以下の者も約二名ほどいたか。ふふ」
「……ッ」
ヴォイドとリオナが凄まじい形相でイルガを睨んだ。
特にヴォイドからしてみれば、前回のカリキュラムで負傷したイルガを大穴の落下から身を挺してまで救ったというのに、何とも甲斐のない話だ。
おそらくイルガは未だその事実を知らないのだろうが、知ったところでスラムの孤児に救われるなど屈辱とか言い出しそうなところがまた。
イルガはふたりから向けられている怒りの視線など、どこ吹く風で続ける。
「おまえたちはせいぜいダンジョン内を逃げ回っているがいい。その間に俺たちが貴族の義務として、この程度のダンジョンならば攻略しておいてやろう。――ついて来たまえ、ノイ、オウジン」
的外れの高説を垂れたあげく、背中を向けて勝手に歩き出しやがった。完全に俺とオウジンが続くと信じて疑わない雰囲気でだ。
なんかもうすごいな。空回りの勢いが。にんじんをぶら下げられて暴走する馬くらいすごい。上級貴族様というのは、獣の俺などにはまるで理解できない性格をしていらっしゃるようだ。
俺とオウジンは、去りゆくその背中にそっと手を振る。
「……いってらっしゃーい……」
「……お気をつけてー……」
だが。
大きなヴォイドがいまにも爆発しそうな引き攣った笑みで、俺たちを見下ろす。
笑顔なのに目が血走っていて怖い。
「確か、手分けするんだったよなあ、エレミア? どうやら先方はてめえらをご所望のようだぜ?」
はぅ!?
い、い、嫌だぁ~……!
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