第81話 秘密を整理しよう
俺は口の周りについたミルクを、パンの入っていた紙袋で拭って叫んだ。
「リオナ! 暗殺業からは足を洗えと言っておいたはずだぞ!」
「声、声大きいってば! 冗談だよぉ!」
む、ぐ。そりゃそうか。
「諜報も工作も暗殺も廃業したよ。いまはただの学生だから。ちゃんと常識と節度を持って生きてます。だから心配しなくてもあたしは大丈夫よ。本気で叱ってくれてありがと、ごめんね」
リオナが笑いながら謝ってきた。
おまえが言うと冗談ではなくなるのがわからないのか。まあ、冗談でそういうことを言えるようになったのは、ある意味では大きな進歩ではあるのだが。
「でだ。みんなに頼みがある」
「なぁに、エルたん? なんでも言って? なんでもするよ? なんだったら、いますぐしてあげようか? ほら、おいで~!」
無防備に両腕を広げて中腰になっている。
「何の真似だ」
「あたしをどーぞっ」
……キレそう。
俺はこんなにもまじめに話しているのに。
「エルたん、顔怖。怒ってる子犬みたいになってる」
「おまえ……数秒前にはあったはずの常識と節度とやらは、いったいどこへ旅立ったんだ……」
いや、わかっている。リオナの言動にいちいち引っかかっていたらキリがない。俺は大人だ。余裕を見せろ、ブライズ。人生二周目、心を広く持て。
ふぅー……。
「俺たちは一組全体のサポートに回りたいと思っている。先鋒になって道を切り開くのではなく、あいつら全体を底上げしておきたいんだ」
「いいよ~。あたしは元々正面切っての戦闘は得意じゃないし、どっちでもいいもん。エルたんのやりたいことを手伝うだけ」
「そうか。感謝する。――ヴォイドは?」
「あ~?」
大あくびをしている。
そうしてかったるそうに言い放った。
「さっきも言ったろうが。俺は別に構わねえよってな」
「それはおまえ、つゆ払い役でもいいという意味ではなかったのか」
「阿呆。なんで俺がクラスのガキどものためにそこまでしてやらねえといけねえんだ。金にもなりゃしねえのによ。やれることたぁテメエらでやらせろや。足りねえ分だけ補ってやる。その方が俺自身も楽できるってもんだろ。ククク」
言い方は最低野郎に聞こえるが、言っていることは限りなく正しい。いつも通りのヴォイドだ。
しかし、やはりすごいな、こいつは。どういうふうに育てばそんなにも心証悪く、優しいことが言えるようになるんだ。もはや才能としか思えん。まっすぐにひねくれやがって。
「オウジンもそれでいいか?」
振り返ると、オウジンが顔を上げた。
頬がリスのように膨れている。
モッチャモッチャモッチャモッチャ。
急いで噛んで急いで飲み込もうとしているのはわかるのだが、いかんせん頬張った量が量だ。
「喉に詰めるなよ……」
モッチャモッチャモッチャモッチャ――んぐ。
嚥下した。
口元を袖で拭い、オウジンが表情を引き締める。
「ふぅ。ああ、もちろんだ。僕もそれ……で――ごぷっ! んぶっ」
「わかったわかった。喋らなくていい。いいんだな」
口を押さえてうなずいている。
大丈夫か、オウジン。おまえのイメージ、ダンジョンカリキュラム以降はかなり変わってしまっているぞ。クールな優等生っぷりはどこにいったんだ。
「カリキュラムの再開初日は明日だ。そこから早速開始する」
ようやく落ち着いたらしきオウジンが、俺に尋ねてきた。
「エレミア、この前のカリキュラムのときのようにクラスが全体で動く場合は三班もそのままでいいと思うけど、そうじゃない場合はどうするんだ?」
「あー……。考えてなかった」
班ごとにバラバラに動かれては、俺たちも散開せざるを得なくなる。だがカリキュラムのルールでは、パーティごとの行動は必須だったはずだ。
「リリに融通を利かせてもらうか。俺が今晩あいつに頼んでみる」
「今晩? キミは夜にイトゥカ教官と会っているのか? ……妙だな……」
「!?」
あーもぉぉぉぉ!
また余計なことを言ってしまった。頭が混乱する。一旦、俺の秘密を整理しよう。
ヴォイドとオウジンとキルプスは俺が王子であることを知っているが、リリとリオナは知らない。
リリとリオナは俺がリリの部屋で暮らしていることを知っているが、ヴォイドとオウジンとキルプスは知らない。
俺がブライズであることは誰にも知られてはいないが、キルプスとリリにはいずれバレそうだから要注意だ。
頭の中を整頓していると、オウジンが真に迫った顔で口を開いた。
「ま、まさかエレミア。夜にイトゥカ教官とふたりきりで、そんな――」
「待て。妙なことを考えるな。何もやましいことなどない」
「――剣の修行をつけてもらっているのか!? ずるいぞ!」
オウジン。おまえ。
色々崩れても、糞まじめだけはブレないんだな。
「言い間違えただけだ。放課後にリリに融通を利かせてもらえるように頼んでおくと言いたかった」
リリとの同居を知っているリオナだけが、隣であからさまにむくれている。
あちらもこちらも、なんとややこしいことか。
オウジンが肩を落とした。
「そうか。残念だな。僕は高名なブライズ殿の流れを汲む彼女に稽古をつけてもらいたくて、海を渡ってきたからね。機会があればお願いしたいのだが、なかなか叶いそうにない」
リリは実技の授業であっても、他の教官たちとは違って直接生徒と打ち合うことはしない。それはブライズ流の剣術に“型”がないことに起因している。
とんでもなく教えづらいのだ。
ブライズ流は、あくまでも反射的に、本能的に、行き当たりばったりで剣を振るっているからだ。そんなものをどう教えればいいのか、俺だってわからない。
ゆえにひたすら基礎を繰り返し、人間の限界まで反射を高め、あらゆる角度に対処できる柔らかい肉体と、刃を通せるだけの筋肉を作ることくらいしか教えられることがない。
もしもリリと剣を合わせる機会がくるとするなら、それはリリ自身が生徒側の基礎力を認めてくれたときだろう。そこで始めてブライズ流の経験を積むことができる。
いや、もはやリリ流だな。
先は長い。俺は反射はできても筋力が足りない。オウジンも同じくだ。だから俺たちは阿呆ほど飯を食って、自身を鍛え続けるしかないんだ。
そんなことを考えていると、オウジンが首を振った。
「ああ、いや、僕のことはいいんだ。少し焦っていただけだから」
「焦っていた?」
オウジンが言いにくそうな様子で、頬を掻いた。
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