第7話 まるで伝わらない
俺とリリが相部屋。
王立レアン騎士学校では、生徒は基本的に全員が相部屋となることが決まっている。だが、教師と教師、教師と生徒の相部屋は当然ながら存在しない。
なぜそうなったのか。
実技試験時の教官ローレンス・ギーヴリーに対する暴行疑惑がことの発端だった。
どうやらローレンスのやつは、俺が卑怯な手を使って開始前に自身を叩きのめしたと、他の教官連中に吹聴していたらしい。
騎士道精神に反する行為として、俺は不合格になるところだった――のだが、それに反論を唱えた人物がいた。
国王キルプスの勅命により、俺と同じく特例中の特例で赴任してきた剣聖級の新任教官リリ・イトゥカだ。彼女はローレンスとの立ち合いの際、俺に一切の非がなかったことを証言してくれた。
だがそれはすでに、合格者の名が張り出された後のこと。つまり俺を受け容れる寮の部屋がすべて埋まってしまった後のことだったのだとか。
国王の使いで、且つ剣聖級とも言われるリリ・イトゥカの意見を無下にすることもできず、一度は困り果てた教官連中だったが、リリの「自身の部屋に住まわせる」という鶴の一声で事なきを得たというわけだ。
ローレンスだけが最後まで猛烈に反対していたようだが。
「そういうわけだから、しばらくは我慢なさい」
断固固辞したいところではあるが、そうなれば俺は入学を迎える前に退学扱い、否、門前払いだ。
ああ、しかし――。
目のやり場に困る。干された洗濯物のことではない。そんなものはただの布きれに過ぎない。リリ本人のことだ。
かつての面影を残しながら、ずいぶんと……その……育った。
あれから十年。元々産まれ月などは知らんが、六年あまりもの間、俺のあとをついて戦場を駆けてきていたガリチビの年齢は、最終的に十代中盤にまでなっていた。少なくとも俺の記憶ではそうだ。
となれば、いまは二十代中盤か。
「リリ」
「イトゥカ教官と呼びなさい」
ええい、いちいち面倒な。
「イトゥカ教官」
「何?」
「おまえ、結婚はしたのか?」
「していないわ」
“おまえ”は良くて、“リリ”はダメなのか。基準がわからない。
「なぜ?」
「キミに言う必要がある?」
「そうか。そうだな」
未婚か。嫁ぎ遅れてるではないか。戦争などにうつつを抜かしているからだ。この阿呆が。ええい、阿呆は世間の男どももだ。何を見ているのだ。まったく。顔に張り付いた眼球がただの節穴ならば、いっそ埋めてしまえばいい。腹の立つ。
そもそもこいつとて、兄弟子の誰かに貰ってもらえばよかったんだ。糞。
「俺は男だぞ」
「入学願書の一件で知ったわ。さっき話したでしょう」
嫌になるくらいわかっている。母アリナ王妃の願書改ざん事件のせいで、いまとんでもなくややこしい事態になってしまっているのだから。
「ならば一緒に暮らすのはおかしいだろう!」
ピンときていなさそうな顔が斜めに傾いた。
「そうかしら? わたしにはもうキミくらいの子がいてもおかしくないけれど……?」
それはッ! そうだがッ!? んんッ!?
どうやら嫁ぎ遅れの自覚はあったようだ。うん。
「そうではなく! おまえに危機感はないのか!」
「……? 婚期を逃したという……?」
「違うッ! そういうこと言うのやめろ、胸が痛い!」
不思議そうな表情をするな! 先ほどの小娘どもといい、まさかブライズの死後に世界中の貞操観念がぶっ壊れたんじゃあないだろうな!? 未婚の女性が男と住むのは当然なのか!?
いや、俺はリリの親父か。前世からこんな気分だったか。もう思い出せない。
「ああ。そういうこと。そうね。でも、平気よ。キミ程度なら簡単に組み伏せられるわ」
「う……」
確かに。
いくら剣聖ブライズの記憶があったとしても、剣を日常的に持ち歩いているわけではない。女性とはいえ大人、ましてや最後まで成長を見届けられなかったとはいえ、俺の“型無し”を囓っていた女だ。丸腰ではとても敵わないだろう。ましてやキルプスが認めるくらいの剣の腕前ならばなおさらのこと。
リリが微かに笑った。
「それに、ふふ。エレミアくらいの子から見れば、25歳のわたしなんて、もうおばさんでしょう」
俺の方が、ぃよっっっぽどのオッサンなんだよォッ!? ……と言えればどれだけ楽なことか! グギィ!
ギチギチと歯がみする。こめかみのあたりで血管が脈動している。
「おもしろい顔ね」
「やかましいわ!」
いや、馬鹿馬鹿しいか。
たかが弟子を、この俺がどうして意識などせねばならんのだ。そうだとも。俺はこいつを女だと思ったことなど一度もない。
まったく。若返ったことで俺が浮き足立ってどうする。大人の余裕を見せるだけだ。そうだろう、ブライズ。
「とにかく今日はもう遅いわ。顔を洗って着替えて先に寝ていなさい。あのベッドを使ってもいいから」
「イトゥカはどうするんだ?」
「教官」
ちっ。面倒な。
いや、いちいち怒るのもやめだ。ムキになるな。いまの俺は子供なのだから。
怒りを垂れ流すようにため息をついてから、俺はリリに尋ねる。
「イトゥカ教官は寝ないのか?」
「まだ少しやることが残っているから」
リリが名簿らしきものを持ち上げて指さした。
中身は名簿ではなく、入学願書の束だったようだ。どうやら合格者の願書から、自身の受け持つクラス名簿を自作するらしい。
「わかった。ほどほどにしておけよ。寝なければいくら鍛えたところで強くは育たんからな」
「……」
言ってしまってから気づく。
しまった。リリはもう成長しきった二十五の女で、俺は十歳のガキだった。逆ではないか。俺が育たんでどうする。
何やら昔に戻ったような気がして、余計なことを口走ってしまっていた。
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