第78話 祈るよりはずっといい
朝。俺が目を覚ますと、リリは先に起きていた。
大体の朝は、リリの方が早い。それは睡眠時間の短い大人と長い子供、準備の多い教師と少ない生徒といった立場の違いもあるのだろうが、それ以上に彼女の生活習慣がそうさせているようだ。
心当たりがある。
ブライズ一派にいた際には女手が他になかったせいで、炊事や洗濯は任せっきりだった。その頃の習慣が抜けていないのかもしれない。
ちなみに、それらはブライズが命じたわけではない。子供なりに居場所を作るための処世術だったのだろう。勝手に始めたのだ。あいつが。
だから炊事洗濯掃除で何度失敗しても、俺はあいつをあえて止めなかった。リリを客でいさせるつもりはなかったからだ。ちゃんと一派に迎え入れられるように。ここが居場所になるように。
当初は稚拙だった料理だが、数ヶ月が経過する頃にはそれなりに味わえるようになっていた。さらにその数ヶ月後には栄養バランスを考えるようになり、一年が経過する頃には俺や弟子ども個々人の好みに合わせて皿ごとに料理に変化が現れるようになった。
生来、凝り性なのだろう。考えて、考えて、何かを成す。だから剣を握り始めてから数年でリリは強くなれた。あの頃に食べていた朝食に比べれば、ここ最近はなんと味気ないことか。
前夜に食堂の購買で買ったパンを皿に並べたリリが、ストレッチ中の俺に話しかけてきた。
「エレミア」
「ん?」
「昨夜のことなのだけど」
「な……んだ……?」
言葉を発する前から喉が詰まった。
思い出させるなよ。
結局あの出来事の後、修練場が閉まっていたから学校敷地内を走りまくってきた。中庭で木剣を一心不乱に振るっているやつがいるなーと思ったら覗いたら、オウジンだった。
あいつも恋文字の件で邪念を払っていたのだろう。おまえのは別に払う必要もないだろうに、糞まじめなムッツリ野郎め。
「覚えてるかしら。グラディウスを新調したのかって聞いたこと」
「そっちの話か」
胸をなで下ろす。
「そっち? どっち?」
「何でもない」
ストレッチストレッチ。腱を伸ばす。
リリの視線を背筋で感じながら。
「………………いやらしい……」
「いやらしくないっ。なんだその勝ち誇ったような笑みはっ」
気にしていたのは俺だけのようだ。馬鹿馬鹿しい。
「そういえば確かにそんなことを言っていたな。ちゃんと新調したぞ。スティレットを持つのはもうやめたけどな」
「そうなの? 予備の武器を持つのは発想的には悪くはないわよ。どんな武器もいずれ折れるものだから」
「別のを持つことにしただけだ」
俺はソードラックに立てかけた短い刀を指さした。
「ヤツザキだ。違う。クシザシ……違う、スキヤキ?」
「……脇差し」
呆れられた。
「それだ。相談したらオウジンに薦められた。岩斬りもできるそうだ。長刀のように深くまでは斬れんらしいが」
「岩斬り?」
「オウジンが所属している流派の空振一刀流の技らしい。俺はその技を盗んで、ホムンクルスの腕を斬ったんだ。グラディウスでは歯が立たなかったからな」
リリが眉根を寄せてこちらを見ている。
「なんだ?」
「いいえ、別に。またブライズみたいなこと言ってると思っただけ」
言葉に詰まった。
だが態度には出さない。
「そういえば、ブライズも様々な流派から寄せ集めた剣術だったな。ほとんど我流みたいだが」
「あの人は流派だけではなく獣や魔物からも学んでいたわ。ある魔物と戦って武器を折られたときには、捕食されかけたから逆に頸部を食いちぎってやった、とか言って豪快に笑ってたもの。ふふ、いったいどちらが魔物なのだか」
蛮族かよ……。まるで覚えていない……。
「それで、武器の新調がどうかしたのか?」
「ええ。朝のホームルームで一組全員にも話すけれど、ダンジョンカリキュラムが再開されることになったわ」
「――!」
それは楽しみだ。
「それで、この先のカリキュラムについてなのだけれど」
「待った。俺に先に話してしまっていいのか?」
「ええ。そこは大した問題ではないわ。ただ、別の大きな問題があって――」
両足を開き、胸を地面につけた状態で俺はうなずく。
「教員会議の結果、ホムンクルス以外の魔物に関してはこの先、わたしを含めた教官での対処はなされないことになったの」
「つまり、教官が先行して大きな危険のみを排除する、という下見制度がなくなったということか」
今度はリリがうなずいた。
「そうね。そういった危険な魔物と対峙してしまった際の引き際を見極めることも、学ぶべき重要な要素のひとつだから、というのと、あとは崩落時の生還について、下見の役割自体を当面は高等部一組に任せられるのでは、といった意見が出てしまって……」
浮かない顔をしているな。
どうやらリリの望む方向とは違う意見が会議で採用されてしまったようだ。正直俺もその決定はどうかと思う。いずれはそうなるべきではあっても時期尚早だ。
「ホムンクルスとの善戦が裏目に出てしまったか」
「ええ」
高等部には危険な魔物を対処させ、そして中等部、初等部には予定通り教官が放ったゴレムなどの魔法生物で訓練させる。そういう方針のようだ。一組はその先鋒なのだろう。
俺自身は歓迎だ……が、三班以外にとっては死活問題だ。
「潜んでいる魔物によっては死人が出るぞ」
「そうね」
ホムンクルス戦を乗り切ったとはいえ、クラスメイトの大半が実際に戦ったのは下級の魔物であるゴブリンのみだ。あの程度の魔物であれば騎士すら必要ない。狩猟者で十分だ。それどころか多少知識のある一般人でも対処できる。
「開拓による発見物の所有権はどうなるんだ?」
「危険なものや新発見のものは王国騎士団が接収する。けれど、そうでないものは学内で今後自由に使っても構わないということになったわ。貴金属の一部も学校運営に回してもらえる」
「だから会議でまかり通ってしまったのか」
教官連中は騎士団からの出向が多い。当然、ダンジョンを開拓したのが教官ならば、その際に手に入れた宝物はすべて騎士団のものとなる。だが学生は別だ。まだ騎士ではない。
要するに、学生に開拓させた方がレアン騎士学校にとっては都合がいいのだ。
「命より金か。愚かなことだな」
「ほんとに」
ストレッチを終えた俺は、リリの待つ食卓へとついた。それを見届けてから、リリはパンに手を伸ばす。教官連中にはありがちな神への祈りの言葉はない。
これもブライズの影響なのだろう。
俺には食材となるために殺された命への感謝はあっても、神々への感謝はないからだ。
「なんとかする。ヴォイドたちとも話し合って、三班で一組全体のフォローに回る。どうせそうさせるために、俺にだけ先に話したんだろ。三班以外のやつらに聞かせるわけにはいかないから」
「よくわかったわね」
あたりまえだ。俺たちが何年一緒にいたと思っているのか。
リリが微笑む。
「本来なら十歳の子供に頼るようなことではないのだけれど、祈りながら待つだけよりはずっといいと思ったから」
「頼りなくて悪かったな」
神に日々の糧を与えてもらっているだなどと、笑わせる。糧となったのはそれまで生きていたものであり、糧を得るのはあくまでも行動の結果だ。
神は人間を救ってはくれない。敬虔な教徒であっても例外はない。
戦場では死にたくないと祈りながら死んでいったやつらを山ほど見てきた。ならば祈りの形に組む手は何のためにあったのか。
柄を握りしめ、刃を振り下ろせ。そう教えてきた。
「そんなことないわ。神様よりはずっと頼りにしてるもの」
「やめろやめろ。比べる対象ですらない。やつらは何もしてくれない」
「ふふ、またあの人みたいなことを言って」
ゆえに祈りを捧げるときは、他にできることがないときと、剣の通じぬ相手と戦うときだけだ。例えば自ら不幸な途を選ぼうとする馬鹿な弟子に、避けようのないくらい大きな幸福が訪れますように、といったふうに。
そんなものは気休めどころか、荒唐無稽ですらあると知りながら。
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