第77話 戦姫さんは甘えん坊(第7章 完)
俺も同じくして、喉元まで出かかっている言葉が吐き出せないでいた。口に出してしまうことが怖いんだ。
ただ時間だけが無為に過ぎていく。
だが、このままではリリはまともな生き方のできない女になってしまう。だめだろう。そんなのは。
だから――。
「……」
何度も言おうとして躊躇う。リリがではなく俺がだ。
意を決した。
「なあ、リ――イトゥカ教官」
「……」
返事はない。
「おまえはただ漠然と、ブライズの背中を追いかけているだけではないのか? 何も考えず、追い続けて、同じように生きて、同じように死んでいければそれでいいと、そんなふうに考えていないか?」
ブライズが死んでも剣を持ち続けたことも、エレミアを昔の自分と重ねて部屋に住まわせたことも、弟子ではないが生徒を導く立場になったことも、すべてがそこに集約される。
「……」
やはり返事はなかった。
「俺の見当違いであれば、それでいいんだ」
リリは背中を向けて丸まったまま微動だにしない。すでに眠ってしまっている、というわけではないだろうが、こちらを向いてさえくれない。
少し哀しいな。
どう言えばいいんだ。こういうのは得意じゃない。
「あー……」
頭を掻く。
だめだ。結局俺は言葉を飾るだけの頭がない。ヴォイドのように気の利いた人間にはなれそうにない。オウジンのように優しく諭してやることもできない。リオナのようにおかしさを交えて話すことさえできない。
だから諦めた。諦めて、俺自身の想いを、俺の言葉で直接口に出す。
「別にな。代弁者を気取るわけではないが、ブライズはきっとこう考えている。リリ・イトゥカには、ちゃんと幸せになって欲しいと。そう願っている」
そして付け加えた。
「……気がする。たぶん。知らんけど」
しばらく沈黙が続いた。
気まずい。やはり余計な一言だったか。それはそうだろう。リリから見ればエレミアなど一介の生徒に過ぎない。自身やブライズとは無関係の他人だ。しかも人生経験もろくにない十歳児。そのような輩にとやかく言われる筋合いはないだろう。
そんなことを考えて、やはり謝ろうとした瞬間、リリが背中越しにぽつりとつぶやいた。
「…………そうね」
リリが寝返りを打ってこちらを向いた。
そのまま両手を伸ばし、ベッドの端に座っていた俺の身体へと回して、一気に毛布の中へと引きずり込む。
「お、おいっ」
真っ暗な中で抱きしめられて、その腕の力が思いの外強くて、俺は戸惑ってしまった。大きな胸の中に抱え入れられ、頭部には顎をのせられている。
鍛えているはずなのに不思議と柔らかく、そして俺よりも温かな肉体だった。すっぽりと包まれる。全身を。
そうしてリリが耳元で囁いた。
「でもね、エレミア。そうは見えないかもしれないけれど、わたしこれでも、いま結構幸せを感じているの。幸せなのよ。理由はわからないのだけれど、不思議と満たされてる。どうしてかしら」
「そ、そんなもん俺が知るか」
良い匂いだ。まったく。
「レアン騎士学校にきて、あなたと暮らし始めてから……それまで夜になると思い出してしまっていたことを、あまり思い出さなくなった。それはたぶん満たされたから。ブライズがいなくなって空いてしまった穴に、エレミアが入ったみたいに。これって母性本能かしら?」
「……というか、待て。待て待て待て」
俺は首を振って胸の中から逃れ、毛布を蹴って足下まで下げた。両手でリリの両肩を押して、強引に引っ剥がす。
「おい。教師と生徒だぞ。しかも俺は十歳だ。……一線は引いとけよ」
「何の話?」
きょとんとした顔をしている。
すっとぼけているのか。あるいはこういうやつだったか。かつての俺はこいつの保護者をしていたというのに、その真意がさっぱりわからない。
違うな。違う。
昔はわかろうともしなかっただけだ。ブライズは無神経で無頓着で阿呆だから。
困り顔で見ていると、突然リリが「ああ」とうなずいた。口元に手をやって、苦笑いで誤魔化している。
「そうね。確かにいまのはまずいわ。どうしてこんなことをしたのかしら。別に誘惑しているわけではないのよ」
「あたりまえだ」
苦笑いだ。リリの。だから俺の方が先に理解した。リリ本人よりも早くだ。
この表情を、何度も見たことがあったんだ。前世で。まったく同じ顔をしている。
俺が先に眠りに落ちると、たまに全身で腕にしがみついてきていたんだ。甘えたかったのだろうな。目を覚ました俺に見つかると、リリはいつも苦笑いで誤魔化していた。いまのように。その表情で。で、背中を向けて眠るんだ。
どうせ俺は眠るだけなのだから、それくらいは別に構わなかったのだが。しかしこうも身体が小さくなってしまうと、しがみつかれるとすっぽり収まってしまう。
「ごめんなさい。いまのはなかったことにして」
「言われずとも口外などできるものか。頼むから、そういうことは俺が眠っている間にやっておいてくれ」
ああ。そう言えばベッドに山ほど並べられていたぬいぐるみ群が、いつの間にかすべてクローゼットの上へと左遷されている。どうやら俺がやつらの役割を奪い取ってしまっていたらしい。
ブライズはぬいぐるみに奪われ、ぬいぐるみからエレミアが取り戻した。なんとも珍妙な話だ。
「うん。そうするわ。なんてね。……ふふ、あははは。次からはちゃんと我慢する」
「眠っている間なら別にいいと言ってるだろ。だが眠っているふりをしていると思ったら、そのときは離れてくれ」
リリが首を傾げた。長い黒髪がさらさらと流れる。
「……難しいことを言うのね。だったら、絞め落とせば確実かしら」
「本気でやめろ!?」
表層意識では気づいていなさそうだが、もっと奥深くの深層意識では俺がブライズであることを薄々感じているのかもしれない。
しかし、その年齢になってもまだ甘え足りないか。まったく。困ったやつだ。
まあ、家族を二度も失えばな。いや、実の両親に旅芸人一座、そしてブライズを合わせれば三度か。
「冗談よ。おやすみなさい、エレミア」
「お、おう。おやすみ、リリ」
「イトゥカ教官」
そこの線引きだけはしっかりしているな。
「……だよな」
「本当は別にいいのだけど。あなたが家具屋に家族だと言ってくれたときから、本当にそんな気がしてきてた。だから、ふたりきりのときだけなら」
「そうか」
リリが俺に背中を向ける。
俺はまたガシガシと頭を掻いた。
「……おやすみ、リリ」
「ええ。おやすみなさい、エレミア」
しかし度々ああいうことをされては、こちらの方の理性が保たん。前世では拾った痩せ犬程度に思っていたが、今世では立派な……ああ、糞。
ちょっと修練場で木剣でも振ってくるか!
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




