第71話 子犬、吼える
ヴォイドとリオナはこれまでと同じく犬猿の仲になるかと思っていたのだが、案外、何事もなく受け容れられた。少々拍子抜けだ。
その件に関し、やつはこう言った。
リオナが俺に害を及ぼす人物ではなかったから、どうでもよくなったと。実にドライだ。だが本音はやはり違う気がする。
ヴォイド・スケイルは誰よりもお人好しだ。今日はその理由の一端を垣間見れた気がした。それは、からかう気にもなれない理由だった。
「んじゃな」
朝食をさっさと終えたヴォイドは、適当に後ろ手を振りながら本校舎の方へと歩いていった。まだ授業開始にはずいぶん早いし、あいつは鞄どころか教科書の一冊も持っていないのだが。
「……あのサボり魔、たぶん屋上で寝ようとしてるよね」
「やはりそうか。あいつらしいな」
おっと。いいことを思いついた。
「ふはは。先ほど俺をチビとからかってくれたお礼に、リリに密告しておいてやろう」
「エルたん……。……小さい……」
「お、お、俺は小さくないっ! すぐに大きくなるっ!」
「器の話だよぉ?」
「ぐ……。じょ、冗談だ……」
「だよねぇ~」
さて、次はオウジンだ。
これからはミク・オルンカイムではなくリオナ・ベルツハインと名を変えるのだから、せめて一組三班にだけでも下地を作っておきたい。
ヴォイドに貰ったパンを食べ終えた俺たちは修練場へと向かった。
俺やリリが毎朝ストレッチをするように、オウジンは毎朝木剣を修練場で振るっているんだ。ちなみに入学試験で使ったものとは違い、重量を真剣に近づけるために修練用の木剣には鉄骨が入っている。あたれば痛い。
部活動棟の最奥、修練場前まできて、リオナが不安そうにつぶやいた。
「……リョウカちゃん、真面目だから怒られそう」
「そうか? 案外いないかもしれないぞ?」
「いるよぉ~……」
俺にはわからん。
感知範囲内ではあるが、壁やドアを一枚隔てれば、それだけで感覚がかなり鈍る。だがドアを開いたとき、修練場の端で木剣を振るうオウジンの姿が目に入った。
俺たちが入室しても視線ひとつよこさず、空振一刀流の型を丁寧に辿っている。気づいていないわけではないだろう。壁やドアさえなければ、オウジンほどの使い手ならばこの距離に踏み込まれる前には感知している。
俺とリオナは修練場の入り口に立ち、オウジンの型が終わるのを待つ。
流れるような動きだ。まるでうねりせせらぐ流水とでも言うべきか。俺やリリとは違い、一度たりとも切っ先が留まることがない。
決して速くはない剣速だが、綺麗に弧を描き、緩やかに全方位を流れる。あれで実戦になると緩急がつくのだから、なかなかどうして読みにくそうだ。
だが、だからこそ、オウジンの言う彼自身の未熟さが見て取れる。
つまりだ。察するにあの“岩斬り”という技は、やはり溜めなど必要とする類のものではないということだ。最終形態では、刀の一閃一閃がすべて岩斬りになる。へたに打ち合えば剣ごと真っ二つだ。
東方の“剣鬼”は、こちらの“剣聖”より上かもしれない。
想像するだけで背筋がゾクゾクする。やはり海を渡ってでも、空振一刀流の完成形は一度見ておかねばなるまい。
「綺麗だね、リョウカちゃん。踊ってるみたい」
「ああ」
そうか。踊り子の剣舞に似ているのか。
案外剣舞とは、あちらの剣術を学んだ誰かが踊りに還元したものなのかもしれない。だとするなら踊り子の剣舞からも学べるものがあるかもしれない。ああ、しかし十歳という年齢ではその手の店には入れない。エルヴァのスラムならば、あるいは。
「エルたん?」
「なんでもない」
しばらく待っていると、オウジンが木剣を腰に戻す仕草をした。むろん鞘などない。真剣を想定した動きだからだろう。
そうして見えない誰かと礼を交わすかのように、頭を垂れる。
「ふぅ……」
ようやくこちらを向いた。
オウジンは木剣を壁際のソードラックに戻すと、首にかけた手ぬぐいで汗を拭いながらこちらへとやってきた。
「お待たせ。エレミア……と、オルンカイムさん」
オウジンの視線は俺にはない。リオナへと向けられている。まっすぐに。
「もう、いいのかい?」
「うん」
「キミには色々と事情があると思う。でも、そうだな。僕は少なくともキミに命を助けてもらった。キミがホムンクルスの眼球を突いてくれなかったら、あの拳を去なす余裕もなく、イルガと同じ致命傷を負っていただろう」
一度言葉を切って、オウジンはため息をついた。
「未熟だな。僕は」
「何が言いたいのかわからんぞ、オウジン。いちいちおセンチになって脱線するな」
「あ、そうだね」
オウジンはまだリオナを見ている。リオナの方は視線すら合わせられないようだ。肩をすぼめて小さくなっている。
「僕の国には一宿一飯という言葉があって、小さなことであっても、一度受けた恩義は生涯忘れ――」
「くどい。もっとわかりやすく言え。なぜいま語学の授業など開始したのだ」
言葉を遮ってやった。
「ええ~~……?」
なぜかオウジンが情けない顔をした。リオナが慌てて俺を制止する。
「エ、エルたぁ~ん……。もうちょっとリョウカちゃんのお話を聞こうよ……」
「俺はちゃんと聞いているからこそ、もっとわかりやすく言えと言ってるんだ!」
「ごめんね、ごめんねリョウカちゃん。エルたん十歳だからまだ空気とかうまく読めなくて。あとさっき野良犬にからかわれたから、ちょっとご機嫌斜めになってるだけなの」
「リオナ! おまえは俺の母親か! どいつもこいつもこの俺を子供扱――んむぅ!」
リオナに口を塞がれた。
「あ、うん……き、気にしてない……」
何をしょぼくれた顔をしているのだ、オウジンめ。
罪悪感に囚われているはずのリオナの方が、まだまともな顔をしているではないか。どういうことだ、これは。
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