第6話 剣聖とピンクの壁紙
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一章がもう少し続きます。
リリが名簿に俺の願書を戻した。
「それと、あとは部屋が空いていたからよ」
「……はあ?」
「全寮制のレアン騎士学校では、寮の部屋数を加味して新入生を採ってるの。特例的に入学させたエレミアにはすでに部屋がなかった。それだけのことよ。カリキュラムの最中に亡くなったり、学校を去る男子生徒が出たら、男子寮に移してあげてもいいわ」
事故物件に俺を突っ込むつもりか。ひどい弟子だ。まあ前世で散々敵を斬り殺してきたから、そういった類のことは信じていないが。
俺は額に手を当ててうつむいた。
「やむを得んというわけか。どうせ拒否をすれば居場所がないのだろう?」
「そうね」
リリの口角が少しだけ上がった。
「どうした? 何を笑うことがある?」
「以前、そういうふうに落ち込む人がいたのを思い出しただけよ。あなたも名前くらいは識っているかしら。剣聖ブライズよ」
俺だよ。
そうか。迂闊だったな。俺がリリの過去を識るように、こいつも前世の俺を識っている。
こんなみっともない姿になったのを見られるのは、気恥ずかしいものがある。とはいえ明かしたところで信じはしないだろうが。
「歴史の文献にある程度なら」
「その歳で文献を読むのなら、あの試験の成績にも納得ね。正直驚いたわ。わたしがあなたくらいの頃は……」
リリが言葉を切った。
戦場を駆けていた。すでに。ナイフを持って。ブライズの後を犬のように追って。剣技を真似、敵を討ち、そうして生き残った。
師を喪った後もだ。
脳にモヤがかかる。
「……?」
……そういや俺、なんで死んだんだ……。
記憶の霞が深くなる……。
頭を振った。
まあいい。とにかくいまは寮の話だ。
若ければこの女子寮という環境も楽しめるやもしれんが、あいにくこちとら精神はおっさんだ。小娘どもよりは、いまのリリの方がまだ対象というもの。
とはいえ、痩せた野良犬のような過去の姿を見ていた以上、あり得ないことだ。俺にとっては、最も手のかかった弟子以上の何者でもない。
「とりあえず、俺の部屋に案内してくれないか」
「そうね。もう夜も遅いわ。子供は寝なければならない時間だったわ。……エレミア、夕食は?」
「宿で食った」
「なら、ついてらっしゃい」
俺はリリに続いて女子寮を歩く。ときどき出くわす女子が、好奇の目でこちらを見てくる。
前世ではほとんどむさ苦しい男どもにしかモテなかった俺だが、どうやらこの小さな肉体というものは若い女の興味を惹くものらしい。顔立ちも、典型的な臭い立つ武人顔から、中性的なものへと変わってしまったというのもあるのだろう。
ええい、面倒な。
それにしても、出くわす女生徒らはみな、リリに挨拶をしている。開校されたのは今年で、リリの着任も今年度からだと言っていたはずだが、ずいぶんと顔が広い。
「おい、リ――イトゥカ」
「教官」
「イトゥカ教官」
「何?」
「すでにずいぶんと馴染んでいるようだが、元々の知り合いが多いのか?」
「いいえ、ほとんどの生徒たちとは昨日が初対面よ」
んん?
リリが眉間に皺を寄せてつぶやく。
「わたしは共和国との戦場で割と派手に戦ってきたから。少し有名になってしまったみたい」
「ほう、そうなのか」
あの後、ブライズとしての俺が死んだ後も、どうやらリリは戦い続けていたようだ。共和国との戦いにおける最前線で、俺の真似をして。
女だてらに、よせばいいのに。阿呆が。
「キルプス王はわたしを二代目の剣聖に仕立て上げたかったみたいだけれど、ブライズに遠く及ばぬ身であることを理由に、丁重にお断りしたのよ」
「ほう……。…………二代目剣聖!?」
ちょ、ちょちょ、ちょ、俺がくたばってからどれだけ活躍したんだ、こいつ!?
剣聖の称号は、俺以外に受け取ったやつはいなかったはずなのだが。
他の自称弟子どもも同じだが、俺はリリに剣を教えたことなど一度もない。彼女はただついてきて見ていただけだ。
俺の背中を。獣の“型無し”と蔑まれた俺の剣を。
「ええ。いいえ。さっきも言ったけれど、お断りしたわ。ただこのままではいつか押しつけられて祭り上げられそうだったから、共和国との停戦協定が結ばれたときに軍から身を退いたの。そうしたらキルプス王から、せめてブライズのように後進を育ててくれないかと強く要望されてしまって――」
「お、おお……。それでレアン騎士学校に……」
「王命だから仕方なくよ」
おい、父。俺の弟子は、とても迷惑しているぞ。両親揃って何をしているんだ、まったく。
リリが物憂げにため息をつく。
「その話が軍部から騎士学校にまで噂として伝わったのね。だからみんなすでにわたしのことを識っていたのだわ。とてもやりづらい」
「すまん」
「なぜあなたが謝るの?」
名前のことと言い、剣聖のことと言い。うちの国王夫妻と俺の前世が、迷惑を掛けまくってるからなのだが、当然そんなことを言えるわけもなく。
「それもそうだな……」
前世からの因果が絡まり過ぎていて頭が混乱する。
とにかくキルプス王、つまり父の見立てでは、リリはすでにブライズと並ぶ剣士というわけらしい。いったいどれほどの活躍をしたのか。
それとも、多少の政治的宣伝も含まれているのだろうか。剣聖を有する国というだけで、敵国は警戒せざるを得なくなるから。ブライズのせいでな。結局俺のせいか。
だがそう考えると、キルプスは昔から案外したたかだったのかもしれない。ブライズをこの国の英雄へと祭り上げることで、他国を牽制できる“剣聖”なる存在を作り出したのだから。
果たしてリリは本当に剣聖級なのか、あるいは政治的宣伝を担う役割に過ぎないのか。
しかしあのガリチビが――いや、いまやナイスバディの美人なのだが――剣聖級とは。一体どれほどのものか剣技を見てみたいものだ。見てみたい。
何となく尻を見ながら、彼女についていく。
いや、勘違いするな。俺の身長が低いからだ。下心があるわけではない。断じてだ。
やがて尻が止まった。違った。足が止まった。
「ついたわ。ここが今日からあなたが暮らすことになる部屋よ」
「ああ」
まだ先ほどの話の衝撃から抜けていない俺のことなど意にも介さず、彼女は部屋のドアに鍵を差し込んで回した。
ドアが開かれる。
目が痛くならんばかりの煌びやかなピンク色の壁紙と、やや大きめのクローゼット、奥の部屋には簡素なキッチンも備え付けられていた。
だが。妙に生活感がある。ベッドの上など小娘が好きそうなぬいぐるみだらけだし、バルコニーには女性ものの洗濯物が干してあった。
しばし考えて、俺はリリを見上げる。
「女子寮というものは、最初から色々と揃っているのだな」
日用品に制服となる衣類、食器に――壁には立派な剣まで掛けられている。そういった必須のものから、無駄に思える無数のぬいぐるみ類まで。
気のせいか、果実のような匂いまで漂っている。
ブライズだった頃には軍部の用意してくれた様々な寮や宿舎に泊まったものだが、ここまで至れり尽くせりだった部屋はない。
「男子寮は殺風景だと聞く。男どもが見たら嫉妬しそうだな。これは女子の数の少なさゆえの優遇措置か?」
使え、ということだろうか。
いやしかし、干された洗濯物など使い道が――……。
「あら、それは誤解だわ。これらはわたしの私物と趣味だから」
「ほう?」
「受験番号017番エレミア・ノイ。あなたは今日からここでわたしと暮らすのよ」
「ふむ」
しばし考えてから。
俺は勢いよくリリを二度見したのだった。
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