第64話 教えて、不良先生
理事長室に逃れた俺とリオナは、あらためてキルプスに頭を下げた。
「すまない。彼女を救う機会をくれたことに感謝する、キルプス……陛下」
「ああ」
キルプスがデスクの席に腰を下ろす。
扉の向こう側ではリリが聞き耳を立てているだろう。だが聞かれて困ることを言うつもりはない。ここにはリオナもいる。
「リオナ。全部話すが、いいか? 施設の件も含めてだ」
リオナが素直にうなずいた。
あの喧しい偽のミク・オルンカイムをよくよく知っている身としては、極めて新鮮な表情仕草だ。いつもそうしていれば、ちゃんとした美少女に見えるのだが。
「うん、平気よ」
俺は掻い摘まむことなく、レアンダンジョンでリオナから聞いた話を可能な限り丁寧に、キルプスへと話した。ちゃんとリリにも聞こえるようにだ。
キルプスは時折うなずきつつも、だが話が後半に差し掛かるとうつむき、デスクに肘をついて眉間を摘まみながら聞いていた。
きっと、俺がダンジョンで考えたことと同じことを思っていることだろう。
己とブライズであれば、共和国の体制を叩き壊すことができたのに、と。だがそれは共和国で暮らす多くの罪なき民をも苦しめるやり方だ。俺たちが選べるはずがなかったんだ。
どうしようもなかったのだ。
最初からリオナ・ベルツハインを救う術などなかったということだ。
沈痛な面持ちでうつむいているキルプスへと、俺は告げる。
「陛下。俺はこいつを共和国に送還すべきではないと考えている。むろん、この国の法にかけることなど以ての外だ」
王族の暗殺未遂は、例外なく極刑だ。王国でなくともだ。
「…………何を望むか、言ってみなさい」
「あまりこのようなことを言いたくはないが、リオナが共和国の暗殺者ならば、交渉材料に使える」
人質という意味ではない。リオナはすでに見捨てられている。おそらく有用な情報も与えられてはいないだろう。
だが、エギル共和国がガリア王国の戦姫に対して暗殺者を送り込んだという事実を、外交の牽制材料として利用しない手はない。それは無事に奪還できた本物のオルンカイム嬢の存在と同じく、明確な共和国の弱味になる。むろん、やつらは認めはしないだろうが、牽制くらいはできるはずだ。
俺はキルプスを睨む。
おまえが言ったのだぞ。ずる賢さがなければ王族ではないと。
キルプスが視線を上げる。だが俺を通り越し、天井を見上げた。
「命を狙われ、頭にきているのはわかる。だが、頼む。この娘に生きる機会を与えてやってくれないか」
今度は視線を下げた。俺で止まった。口を開き、だが言葉は発さずに再び閉ざす。
しばらく視線を合わせた後、キルプスが再び眉間をつまみながら口を開く。
「おまえ、その娘と付き合っていたのか?」
質問の意味や意図がわからず、俺はしばらく呆然としていた。
ようやく絞り出した一文字がこれだ。
「……は?」
「恋人だったのかと聞いたのだ」
いきなりすぎる俗な問いかけに、俺は顎が外れんばかりに呆けた。
「な……にを……?」
言っているのだ、キルプス。忙しすぎてついに狂ったか。
キルプスの視線がリオナへと向けられた。俺を指さし、今度はリオナに尋ねる。
「ふたりは付き合っていたのかね?」
「はい。真剣に」
はい!?
リオナまで真剣な顔で何を言い出しているのだ。
キルプスが腕組みをして、椅子の背もたれに背中を預けた。ギシリと椅子が鳴る。今度は視線を斜め下に向け、右の掌で口を押さえて思案している。
んんんん?
なんだこれぇ~……? 息子さんをあたしにください……?
ややあって、キルプスが視線を上げた。
「これはたまげたな。十歳にしては少々ませているとは思っていたが、まさかここまでとは」
だろうな。息子が暗殺者とデキていただなどと信じたくはないだろう。
いや、まったく以て事実無根なのだが。
「おい、真に受けるなよ、キルプス……陛下。いまのはこいつの冗談だ。そうだろう、リオナ?」
リオナが目を丸くする。
「あたし、エルたんのことは本気で好きよ?」
今度はキルプスが目を丸くした。
「エルたん……? おまえは――あ、いや、キミはそう呼ばれているのか」
「え、ああ。まあ」
俺はリオナの腕を引いて理事長室の隅まで連れてきてから、小声で囁く。
「おまえな。冗談ならもうやめろ。さすがに場をわきまえろ」
「本気だけど……」
「あのな、俺だってそのうち成長して、おまえが恐れている大人の男になるんだぞ。わかってるのか。ずっとチビではないからな」
「そんなのわかってるよ。でもたぶん平気。最初は確かにタイプだし強かったから近づいたんだけど、自分が思っていた以上にエルたんがかっこよかったから……」
確かにホムンクルス戦では身を挺して救ってくれたこともあったが、でもそんなことはお互い様だ。それにいまは色恋沙汰の話なんぞをしていられる状況ではないだろう。何を考えているんだ、どいつもこいつも。
リオナが少し恥ずかしそうに俺の手を取る。
「だからね、少しずつ一緒に成長できたら、きっと大人になっても怖くないと思うんだ。……あ、なんかすっごい面倒臭そうな顔した」
俺のあからさまな態度に、リオナが苦笑した。
「実際面倒だからな。所帯を持つことなど考えて生きてはいない」
「うんうん。でも、そゆとこも好きよ? ほら、追われたり求められたりすると施設にいた頃を思い出してすっごく怖くなるけど、その点エルたんっていつもあたし自身には何も求めないでしょ?」
「ぐ……」
なんてこった。糞が。
これまでの俺の態度の概ねすべてが逆効果だったということか。いや待て。あるいはまた心理誘導をかけられているのかもしれん。
例えばだ。
いざここで俺の方から「実は愛していた」とか「いますぐ結ばれたい」と、リオナを求めるようなことを口走ったとしよう。冷静に考えて、それはこの小娘がたったいま仕掛けた底なしの罠に自ら嵌まりにいくことにはならないだろうか。美しき朝露に彩られた蜘蛛の巣へと吸い寄せられる蝶のように、俺はこいつに言わされてはいないだろうか。
さりとて拒絶してもこいつの好意は強まるのだから、もはや無敵ではないか。
ならば俺は、俺はいったいどうすればいいんだ!
教えてくれ、ヴォイド先生!
不良先生「あきらめろや」
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




