第59話 生き方を知らないから
俺はクッキーを囓った。
咀嚼し、呑み込む。差し出された水をもらって一息つく。
「おまえは何のためにレアン騎士学校に潜入していたんだ? キルプス陛下の暗殺が目的か?」
「ううん、あれは想定外。まさか国王自らが理事長をやっているなんて思ってもみなかった。だから正直、あの呼び出しにはびっくりしちゃった」
やはりか。あの驚きようは演技には見えなかった。
こいつがどういったルートでこれまで情報を得ていたのかはわからないが、キルプスと正式に組んでいたヴォイドですら理事長就任は知らされていなかったことだ。
「ならば目的は何だったんだ? 工作にしろ諜報にしろ、学校では割に合わないだろう?」
「そんなことないよ。あたしの任務は戦姫リリ・イトゥカの暗殺だったんだ」
「……!」
無謀だ。絶対に不可能だな。
その作戦を考え出したリオナの上官は、現場というものをまるで理解していない頭でっかちだ。一度でも剣を交えてみればわかるだろうに。命が残っていれば、だが。そうでなくとも、近づくだけでも絶望的だとわかるだろう。
リオナは続ける。
「退役したとはいえ、リリちゃんはブライズ並みの被害を共和国軍にもたらした人だから。年齢的にまた軍に復帰しないとも限らない若さだし、何より常勝無敗の戦姫の存在は王国の民や騎士たちにとって強い求心力になってる。その精神的支柱を折りたかったんだと思う」
「そんな他人事みたいに。あのな、単刀直入に言うが、おまえにあいつは殺せんぞ」
育てた俺が言うんだ。絶対に無理だ。力量差がありすぎる。
かつてブライズだった頃の俺を暗殺するくらい難しい。前世の俺は手練れと言われる暗殺者を何度も返り討ちにした。それを難しいと思ったことなど一度もない。それどころか、暗殺者の襲来など生活の一部に過ぎなかった。
剣聖級と呼ばれるようになったリリもまた、同じようなものだ。それに、リリの側には俺がいる。弱体化したとはいえ、これでも元剣聖だ。
そんなことは俺が許さない。たとえ相手がリオナであったとしてもだ。
「うん。そうなんだよね。隙がなかった。あたしが先に発見してるのに、近づいてるうちに絶対に気づかれちゃう。たぶん索敵範囲外から弓を使っても、飛来する矢に反応しちゃうよね、彼女」
「ああ」
入学試験の際に、俺の視線にすら気づいたくらいだ。それでもおそらくリオナほどではないのだろうが、少なくともブライズよりはリリは鋭敏だと認めざるを得ない。
実のところ、根拠もある。
俺やオウジン、そしてヴォイドも、気配とは五感を総合した結果だと思っている。武芸者の大半がそうだ。だが、それだけでは入学試験時にリリがやって見せたように、他者からの視線には反応できないはずなんだ。なぜなら視線には音も熱も臭いもないのだから。
つまりリオナやリリは、俺が体得していない技術を本能的に識っているということになる。第六感とでもいうべき感覚だ。
「おまけにエルたんったら、なんでかリリちゃんと一緒に住んでるんだもんなー。人種も髪色も違うから親子や弟じゃないだろうし、戦姫には子供どころか家族さえいないって情報だったのに」
んん? いま、さらっと何を。
「あー……。もしかしておまえが握っていた俺の秘密って……」
「そのことだけど? ねえ、学生寮なのに、教師と生徒がふたりで爛れた生活をしてたの?」
俺は額に手を当てて天を仰いだ。
糞がッ!! どぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~でもいいわッ!!
こちとら子供ではあっても子供ではないんだ。そんなもの、喋りたければ勝手に喋れと言えてしまう内容だ。あと、爛れたことはしていない。
「もっと早く言え!」
「言ったら大した秘密じゃないことがばれちゃうじゃん……」
俺は頭を抱えた。
こいつは本当に心理誘導がうまい。
「ありゃ? エルたん? エ~ル~たん?」
「……何でも……ない……」
声が掠れた。
「んふ~ん、その反応」
猫のように頬をすり寄せて、リオナが耳元で囁く。
「まだ他に知られたくない秘密があるんだね~?」
「ああ、もういいもういい。あるよ、ある。だがおまえも諜報員なら自分で調べろ。じゃなきゃやめちまえ。情報を集める才能がないんだ。向いていない。暗殺にも時間をかけすぎだ。三流にもほどがある。どっちもやめちまえばいい」
こんな近くに王族がいるのだ。夢にも思うまい。
俺を人質にすれば、キルプスを殺せたかもしれないというのに。間抜けめ。
「うぅ~……」
微かにリオナが唸った。
俺はさらに続ける。声色を落として。祈るような気持ちで。
心から。願うように。いや、願いながら。縋るように。
「やめちまえ。そんなもの。暗殺も諜報もだ」
「エルたん……?」
ああ、まただ。嫌になる。男のくせにみっともない。
勢いよく、両手で両目を押さえた。
込み上げてくる。この転生体の弱さや脆さに腹が立つ。腹が立つとまた込み上げてくる。すぐに眉間が熱くなり、目頭が痛くなる。
そして溢れるんだ。どうしようもなく。大事なことを言おうとすれば、いつも。
「……ちゃんと生きろよ。何やってんだよ、おまえ……」
声が震えて詰まってしまった。指の隙間から溢れた涙が肘を伝う。
リオナも、リリも。俺と関わった女は、なんでみんなこんなことになっちまうんだ。
「……」
「……ほんとに……何をやってるんだ……。……馬鹿やろう……」
沈黙が訪れた。
互いの呼吸と水滴の音だけだ。
やがてリオナが声を絞り出す。吐息のような声を。
「……こういう生き方しか……知らないから……」
「話せよ、全部。最初からだ。時間なら山ほどある」
「ごめんね、泣かないで……」
リオナはそう言って、震える俺を抱きしめてくれた。
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