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第53話 名もなき暗殺者




 俺は呻くように尋ねた。


「リリは? リリも俺の正体に気づいているのか?」

「さあな、知らねえんじゃねえの? だよなァ、陛下?」


 キルプスがうなずく。


「たとえ味方であっても、情報を知る者は少ないほどいい。ゆえにイトゥカには何も知らせてはいない。彼女ならばそれでも十分に動いてくれるとわかっていたからな。いや、実際に動いてくれた」


 暗殺の阻止か。

 確かにリリは、ミクに嫌疑がかかった瞬間に彼女の鞘ベルトを斬って無力化させていた。レイピアが腰に残っていたら、キルプスの命は奪われていたかもしれない。

 ミクが、キルプスを。殺していたかもしれない。

 目眩がする。

 俺はこめかみを掌で押さえ、うつむいた。


「エレミー、この学校でおまえの正体を知る者はわたしとヴォイド、そしてたったいま増えた、そこのオウジンくんだけだ。だからおまえは少女と同じ班にいたのに殺されもせず、人質にもされなかったのだ。身分を隠しておいて本当によかった」


 それまでずっと黙っていたオウジンが、力なくつぶやく。


「オルンカイムさんが……そんな……」


 キルプスがうなずいた。


「そうだ。だが正確には違う。彼女はオルンカイムではない。先ほども言ったことだが、本物のミク・オルンカイムは、すでにマルド・オルンカイムの国境騎士団が奪還し、保護している」


 俺の思考を遮って、キルプスは容赦なく続ける。


「彼女は――例の少女は本物のミク・オルンカイムがレアン騎士学校の受験に向かった際に仲間とともに馬車を急襲し、人知れずオルンカイム嬢に成り代わった、諜報工作を兼ねた暗殺者だ。目撃者もなかったことゆえ、誰もがそのことに気づくのに遅れてしまった」


 暗、殺……。

 剣聖ですら察知できない気配。一切の音を立てない猫足。異常な身のこなしに、気配察知能力。マンゴーシュという武器。いずれも剣士や騎士が求めるものではなく、むしろ暗殺や諜報活動に必須のものだ。

 歯を食いしばり、俺は両手で頭を掻き毟る。


「~~ッ!」


 いくつもだ。いくつもヒントはあった。

 学生というにはあまりにも能力が高すぎた。だが、オウジンやヴォイドといった若い才能に紛れれば、看破するのは難しい。そういう学生もいるだろう。そんなふうに考えてしまっていた。

 全身から脂汗が滲んだ。

 本物のミク・オルンカイムの誘拐。安全な暗殺ではなくリスクを孕む誘拐を選択したのは、オルンカイム家の令嬢ともなれば、あの猛将マルド・オルンカイムへの人質に使えるとでも踏んだのだろうか。


 信じたくない。あいつが、そんな。

 信じたくはない。だが。ああ、だが。

 脳裏に浮かぶ。キルプスへとマンゴーシュの切っ先を向けた少女の姿が。


 そして同時に、いまさらながらに気づいた。

 俺はこんなにも、あの少女に対して強い絆を感じていたんだ。

 たとえそれがまやかしであったとしても。


 全身から力が抜けていく。

 頭を抱えていた両手が、するりと落ちた。そのまま肩を落とす。

 キルプスが静かに続けた。


「誘拐が判明したのは、国境を防衛しているオルンカイム卿の騎士団が、たまたま共和国に向かう怪しげな一団を発見できたからだ。本当に偶然に過ぎなかった。彼らはマルドの国境騎士団から逃れようと、共和国側に逃走を開始した。だからマルドは追った」


 あの山岳でマルド・オルンカイム率いる国境騎士団から逃れられる部隊など、俺が知る限り存在しない。共和国にも、王国にもだ。

 俺は靄がかる思考のまま、声を絞り出した。


「その中に囚われていたのが、受験のためにレアンへと出発したはずの娘、本物のミク・オルンカイムだった、ということか」

「そうだ。その一件が偶然明るみに出なければ、あの少女はミク・オルンカイムを名乗ったまま、ガリア王国に多大な損失を与えていただろう」


 多大な……損失……。

 だめだ……もう頭が回らん……。


「父上、言葉を濁すな。俺はあなたが思うほど子供ではない」

「そうか。要するに国王である私の死か、あるいは王子であるおまえの拉致。さもなくばレアン騎士学校と強い繋がりのある王国騎士団への工作、諜報による混乱。近しい例でいえば、ホムンクルスを街中に解き放つことさえ考えられる」

「……」


 ヴォイドが壁にもたれて両腕を組む。


「あのホムンクルスを解き放ったのも、あいつだったんだろうよ。まったく、厄介な女だぜ」


 その言葉に反論するように、オウジンが遠慮がちにつぶやく。


「そうなのかな。ホムンクルスはオルンカイ――彼女を殺そうとしていた。僕は彼女に救われたからわかる。彼女の刺突があいつの眼球にあたらなければ、僕は間違いなく死んでいた。そのときに彼女へと向けられたホムンクルスの殺気は、間違いなく本物だったように思う」

「かもな。何にしても楽観視はすべきじゃねえ。これから起こりうる最悪を想定しろ」

「そう、だね……」


 わかっている。俺だってオウジンと思いは同じだ。

 だが少女はダンジョンカリキュラムの存在を、ただひとりだけあらかじめ知っていた。でなければ、あのタイミングでホムンクルスを解き放つことなどできなかったはずだ。少なくとも学内では、少女にしかできなかったことだろう。


 己の命を、危険に晒してまで……?


 オウジンの言葉に突き動かされるように、思考が少し戻った。

 ホムンクルスは間違いなくミクを殺そうとしていた。それはヴォイド自身も認めている。だからヴォイドは少女の警戒を解いた。

 誰が、はいま考えるだけ無駄だ。ならば、ホムンクルスがレアンダンジョンに放たれた理由を先に考えるべきか。


「……王族の暗殺の(俺を殺す)ため、ではないのだろうな。人質目的の誘拐ならば話は別だが、国の第三王子を殺害しても意味がない。殺すなら父上か、あるいは長兄のレオナールだ。ならばおそらくホムンクルスを放った理由は、兵器としての有効性の証明。あるいは殺傷能力の実験か」


 ヴォイドがうなずいた。


「ヘッ、ようやく調子が出てきたじゃねーか。――そもそも猫にはおまえを暗殺や誘拐する機会なんざいくらでもあった。俺は最初(はな)っからおまえらを見ていたからわかる。あいつがそれを実行しなかったってことは、おまえが王子であることを知らなかった証でもあるんだろうよ」


 それで初日にあの曖昧な警告だったのか。


 ――オルンカイムにはせいぜい気をつけな。


 ああ、まぬけめ。俺が一番のまぬけだ。

 学生生活に溺れ、戦場での息の仕方を忘れていた。未熟な十歳の肉体が、思考まで幼くさせていた。本来であれば感情を制御し、切り捨てるべきことなのだ。

 わかっている。頭ではわかっている。

 だが俺の幼い脳みそは、少女の救い方を模索し始めてしまっていた。 


楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
[一言] >己の命を、危険に晒してまで……? 諜報員なんて目的成就の為には自分の命くらい息するように織り込むでしょ。 そういうふうに教育されるし。 自爆テロなんてまさにそれ。 ミク?が巻き込まれそ…
[一言] 連続投稿ありがとうございますヽ(´▽`)/ やはりエギル共和国の諜報員だったのですね。 ホムンクルスの事や出所を知っていたから其方方面だとは思いましたが……。 しかし騎士学校から騎士団へのち…
[良い点] 良いじゃない、青臭い考え方だって! そんなエルたん、嫌いじゃない!! [一言] どんな展開が待ってるのか、ワクワクしながらお待ちしております(^_^)/~
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