第4話 弟子のことなどすっかり忘れていた
夜。
俺は宿のベッドの隅っこで、膝を抱えてうなだれていた。
やってしまった。ムカつきすぎて、自分でも無意識に力を込めすぎてしまっていたようだ。つい先ほど初等部からの使いがやってきて、ローレンスの軟弱野郎の肋が五本もイってしまっていたことを知らされた。てっきり二本くらいかと思っていたというのに。
俺は枕をぶん殴りながら毒づく。
「仮にも正騎士が、ひ弱すぎるだろうが! 大口を叩いたくせに、貴様の肉体はスライムか!」
追って通知された言葉は。
――筆記も実技も力量に問題はなかったのだが、他の生徒らの安全を鑑みて、キミを当校の初等部に入学させるわけにはいかない。
だそうだ。
正式な沙汰はまだらしいが、絶望的といって過言ではないだろう。
「はああぁぁぁぁぁ~~~~~~~………………」
兄に、母に、父に。あれだけ勢いよく啖呵切ってやってきた初日からこれだ。
いまさらおめおめと王城になど帰れるものか。母は手放しで喜んでくれるだろうが、糞兄どもには小馬鹿にされ、父には呆れられるに違いない。そうして剣の途を捨てることになる。冗談ではない。
だが、だからといってどうする。
しばらく考えた。考えてから、俺は決めた。十歳らしく涙目で。
「いっそこのまま旅にでも出るか」
王族の末子の一匹や二匹いなくなったところで、国家はそんなに変わらないだろう。そうだな、そうしよう。もういい。十年耐えたのだ。これ以上はもういい。
そうと決まればさっさと荷物をまとめて――。
部屋がノックされた。
宿代はすでに前払いしたはずだ。騎士学校初等部からの合否はもう決定してしまった。ならば誰が何の用で、この妄想かもしれない落ち目の剣聖の部屋など訪ねてくるというのか。
ちんまりと立ち上がり、俺はドアを開ける。極めて不機嫌に。
「なんだっ? 俺はいま忙し――」
「こんばんは」
そこには女性が立っていた。
年の頃は二十代中盤といったところだろうか。濃紺色の長い髪をうなじで一本に束ねている。
どこかで……。この女、どこかで見た顔のような気がする……。どこだ……?
「あー……」
そうだ、教官のひとりだ。受験生らのメモを取っていた女。眼鏡を掛けていないから、すぐにはわからなかった。
いや、それ以前にもどこかで。どこだ。王宮にいたか。
脳がこそばゆい。
俺は頭を振った。
「何か用か? 初等部からの入学拒否なら、先ほどすでに通達されている」
すでにわかっていることを、そう何度も言われたくはない。
俺の無遠慮、ぶっきらぼうな物言いに動じることなく、女が告げる。
「受験番号017番エレミア・ノイ。あなたを迎えに来たわ」
声――!
彼女の声が、俺の脳を雷のように貫いた。
途端に記憶が蘇る。霞のかかった前世の記憶だ。
「おまえは……」
ひとりで戦場を駆けるブライズの後ろを、許諾もなくついてくる者が数名いた。その中のひとりだ。痩せ細った小さな身体で、重い剣ではなく錆びたナイフを持って、危険な戦場を走ってついてくる犬ころのようなガキ。
ブライズ最後の弟子だ。
といっても、弟子は全員“自称”だが。ああ、記憶が霞がかっていて、名前がどうしても思い出せない。
「失礼、自己紹介が遅れたわね。わたしの名はリリ・イトゥカ。今年度付けで王立レアン騎士学校高等部への着任が決まっている教官のひとりよ」
「リリ……っ」
そう、そうだ。確かそんな名前だった。
驚いたな。こんなところで再会するとは。しかし大きくなったものだ。あの痩せぎすのチビが。
俺の腹のあたりまでしかない細枝のような肉体だった頃とは違い、ずいぶんとその……女性らしくなっている。
それより、リリはいまなんと言った?
高等部? 高等部への着任が決まっている教官が、初等部への入学希望の俺に何の用だ?
「あ、ああ、えと。リリ、俺に何の――」
「――イトゥカ教官と呼びなさい。それと、女性をそうじろじろと見るものではないわ」
「ああ、そうだな。ああ。……イトゥカ教官」
物言いには動じないが、さすがに呼び捨てまではダメのようだ。おそらく教官として、他生徒への示しといったところか。
「よろしい」
しかし――……。
そうだ。そうだった。リリ・イトゥカだ。
あの男とも女ともわからんほどに痩せこけた泣き虫のチビだ。流浪の民、旅芸人一座の孤児。ようやっと思い出した。
呆然としている俺の反応に、一瞬だけ怪訝な表情を示した彼女だったが、すぐに元の顔へと戻った。
「荷物をまとめてついてらっしゃい。宿の前に馬車を停めているわ」
「あ、ああ。――いや、どこへ?」
「何を言っているの? レアン騎士学校以外のどこへ行くつもりなの?」
それだけを告げると、リリはさっさと部屋から出て行った。
あの頃にはなかった果実のような甘い香りが、宿の一室には残っていた。
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