第46話 学生生活を満喫する剣聖
朝。甘やかな香りの染みつくベッドの上に、暖かな日射しが降り注ぐ。
俺はリリの部屋のベッドに仰向けで寝転んだまま、伸ばした手を眺めていた。小さく、か細い手だ。己のものでありながら何とも頼りない。
「……」
「どうかしたの?」
リリに尋ねられ、上体を起こす。
彼女はすでに着替えを終えて、教壇に立つ身支度を調えている。青の教官服だ。俺たちの制服と同じく金属糸で編まれている。男性用はパンツだが、女性用はスカート。胸元にはタイがあるが、いまは弛められている。
「情けない腕だと思ってな」
ちなみに俺はまだ寝間着だ。先日のダンジョンカリキュラムの一件のおかげで、崩落に巻き込まれた一組のみ、今日までの休暇が言い渡されている。
ちなみにダンジョンカリキュラムは全クラスで一時中止となった。再開は安全を確保できてかららしい。ダンジョンの安全確保とはなんぞや、と言いたいところだ。
さすがにあのホムンクルスが二体も潜んでいるということはないだろうから、ダンジョンが本来あるべき姿であることを教官連中が確認でき次第、といったところだろうか。
いずれにせよ、退屈だ。つまらん。
「力がない。まるで細枝だな。グラディウスでさえ両手でなければ満足に振れんとは」
オウジンはさておき、ヴォイドがうらやましくなる。まるでブライズが十代だった頃のような肉体性能だ。
リリが眼鏡をかけた。
座学のときにだけ掛けるのだが、別段、目が悪いというわけではないらしい。ただの気分だそうだ。ブライズが戦場に立つ際には、必ず赤の下着を身につけていたのと同じだ。たぶん。
「それはそうでしょう。まだ子供なのだから」
「わかってはいるが……」
思わず拗ねて唇を尖らせてしまう。これでは本当の子供だ。
リリが俺を窘めるように言った。
「焦って集中的に鍛えてしまってはだめよ。背が伸びなくなるから成長に応じて適切にやりなさい。手足の長さも剣では重要になるのだから」
「……うう……」
思わず、言葉が喉に詰まった。
リリが髪をかき上げながら、怪訝な表情で俺を見る。
「わたし、変なことを言ったかしら?」
「いや」
勘弁してくれ。それは俺が前世で十歳のリリに言った言葉だ。
教えというほどのものではなく、ただ幼い頃のリリががむしゃらに兄弟子らや俺と同じ鍛錬を積もうとするものだから、宥めるための方便だった。あの頃のリリは、できないとすぐに泣いてしまうものだから。
走っては追いつけず、大剣は持ち上げられず、振るっては弾かれ、いつも最後には悔し涙だ。いま思い出しても、ずいぶんと可愛げのある娘だった。
ああ。そうだ。だとすれば次にくる言葉は。
「そうね、剣技を磨けばいいわ。剣を振るえば自然と必要分の力がついてくるし、技は力があろうがなかろうが、将来的に無駄にはならないから」
「……そうするよ」
こっちは方便ではなく本心からの言葉だった。
教えがほとんどなかった分、ちょっとした言葉でも覚えていてくれたようだ。切なくもあり、嬉しくもある。感情が複雑過ぎて言葉では言い表せない。
だが、一つだけ確実にわかったことがある。
大人になったリリにとって子供になってしまった俺は、ブライズが見ていた少女リリと同じようなものなのだろう。
つまり、完全に半人前のガキ扱いだ。
リリが少し考えるように、顎に人差し指をあてて上を向いた。
「それとスト――」
「――ストレッチも続ける。わかっている」
切れ長の目が丸くなった。
「あら。聞き分けのよいこと」
「そらあな」
自分がかつておまえに言ったことだし。そう言えたらなんと気楽なことか。
なぜか悔しい。
おまえを育てたのは俺だし、そもそも俺は昔のおまえと違って、うまくできなくても泣いて駄々をこねたりはしない。なぜなら大人だから。
虚しい強がりだ。
うなだれ、ため息をつく。
「何?」
「何でもない」
苦々しく思っていると、リリが表情を弛めて背中を向けた。
「では、いってくるわね。しっかり休んでおくのよ」
「母親ぶるのはやめろ」
「それを望むなら、なってあげてもいいわ」
ああっ!?
「じょ、冗談ではない! 俺をガキ扱いするのも大概にしろ!」
前世では擬似的にではあったが、リリが娘で俺が親だったというのに。
「まだ甘えたい年頃では?」
「そんなわけ――……。おまえはそうだったのか?」
リリが少し思い出すように視線を斜め上に向けた。そうして少し照れくさそうにうなずく。
「うん、そうね。甘えたかった」
「俺に!?」
「どうしてわたしがまだ産まれてもなかった頃のエレミアに甘えられるの」
呆れたように言われて言葉に詰まる。
「あ、ああ、あいや、ああ、えっと……」
拾った犬くらい、やたら懐きやがると思ったら。あの頃のリリはブライズに甘えたかったのか。道理で、十代中盤になってもまだ同じベッドで眠っていたわけだ。
リリが楽しげに首を傾げる。
「いいえ、冗談よ? 正しく冗談。母親はね」
「趣味が悪いぞ……」
「ふふ、困っている顔が可愛かったわよ」
少し、打ち解けてきたように思える。
崩落事故が起こる以前のリリは、あちらはあちらで猫を被っていたらしい。どこか人間味が出てきたように見える。
「でもね、もしもエレミアに帰る場所がないのなら、それもいいかもしれないわね」
「おまえな――」
「どうせわたしはこのままだと結婚なんてできなそうだし、一緒に暮らすくらいは構わないわ」
リリが笑いながら後ろ手を振って部屋から出ていった。遅れて顔面が大発火する。
あいつは関係性すら不明だったブライズという家族を、まだ引き摺っている。
誰もいなくなった部屋で、俺はぽつりとつぶやいた。
「ちくしょう、リリめ……。安心くらいさせてくれよ……」
もう一度ため息をつく。
ベッドにあぐらを掻き、少し考えてから、俺は枕をぶん殴った。
「いや、それ全部ブライズがリリにやってきたことではないか! 糞、ブライズの阿呆め! いらんことばかり伝えおって!」
俺だよ。
言ったんだよ。いま思い出した。確かに言ったことがあった。子供だったリリに。
――どうせ俺は所帯など持てるような男ではないから、コブがあろうがなかろうがどうでもいい。
言われる方の身になって初めてわかることもある。
虚しい。虚しいにもほどがある。過去の己がいまの己を苦しめるとは。
「ああ~……」
もそもそと起きて、ストレッチを開始する。
実のところ、筋肉のなさなどあまり嘆いてはいない。
確かにブライズは比類なき剛の剣の使い手だった。あれは自賛ならずとも“型無し”の最終形態の一端だったように思う。
そう、一端だ。一端、あるいは一角に過ぎない。
ホムンクルスの頸を一閃で斬ったリリの太刀筋は、彼女の師であるブライズの剛の剣ではなかった。むしろそれと対をなす柔の剣だ。しかもほぼ完成形に見える。
近いうちに手合わせを願えないものだろうか。まだ少し早いか。
未熟ながら硬化した皮膚を斬る術を教えてくれたオウジンの空振一刀流もまた興味深い。リリの使う柔の剣に近しいが、それとも少し違う。鋭の剣とでも言うべきか。
もしもキルプスが許してくれるなら、いつかオウジンについて東方に渡り、空振一刀流の“剣鬼”とやらにもまみえてみたい。
「ふふ、ははは」
自然と笑みがこぼれる。
王立レアン騎士学校に入って本当によかった。やりたいことが山ほど見つかる。
俺はいま、学生生活を最高に満喫している。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




