第40話 獣とバケモノ
うずくまるオウジンへと、俺は手を伸ばす。助け起こすためではない。
こいつはもう戦えない。これ以上無理に動かせば死んでしまう。そんな顔色だ。
「オウジン。おまえの刀を貸してくれ」
「……?」
返事は待たない。
俺は刀の柄を勝手につかみ、膝をついた体勢だったオウジンの腰から引き抜いていく。
だが刃が鞘から抜けきる寸前、オウジンが切っ先をつかんで止めた。強引に引けば、オウジンの指が飛ぶ。
「オウジン、このままではどのみち全滅だ」
「……」
まあ、そうだろうな。いまの俺は十歳のガキだ。誰でも止めたくなる。俺だって前世なら止めたはずだ。
けれど、オウジンの口から出た言葉は意外なものだった。
「……刀は剣のように振ってはいけない……。……刃が折れる……」
顔中から脂汗を滲ませながら、オウジンが視線を上げた。
こいつもイルガ同様、いまや重傷者の仲間入りだ。だがいまはとにかく時間がない。バケモノはすぐにでも現れるだろう。
オウジンの指を強引に開かせようと、俺はやつの手に自らの手を伸ばした。だが、指先が触れ合う寸前、オウジンが呻くようにつぶやく。
「……岩、斬り……。……面に対し、垂直に刃をあてて、挽くんだ……。……寸分の、狂いも……許されない……。……だが達人であれば、斬れないものは、ない……。……岩であっても、鋼であっても……」
「おまえ」
俺に託してくれるのか。十歳の俺を信じてくれるのか。
唇から血を垂らしながら、オウジンが目で訴えかけてきている。
「わかった。助言に感謝する」
「……けれど、あの速さで動く敵を正確に捉えるのは、並大抵の……ぐ……げぁっ……」
オウジンがごぼりと音を立てて、血を吐いた。
「もういい。理解した。休んでろ」
「…………すま……ない……」
オウジンが痛みを堪えるように固く目を閉じて、次の瞬間、刃から手を落とした。その肉体が倒れ込む寸前に、隣に膝をついたミクが両腕で支える。
「エルたん!」
俺は階段上の鉄扉を指さす。
「喚くな。わかってる。だがここは袋小路だ。やるしかない。ヴォイドもオウジンもこうなったいま、俺以外に適任はいない」
クラスメイトの大半はひよっこだ。新米騎士以下のな。
ミクが不安そうに尋ねてきた。
「何かをつかんだから挑むんだよね?」
「ああ」
「勝てる?」
「無茶を言うな。分の悪い博打だ」
ふと、懐かしい気分になった。こんな問答を前世でしょっちゅう聞いていた気がする。
ああ、そうだ。リリだ。
あいつはブライズの強さを知りながら、いつも不安そうにしていた。戦場で互いを見ている分には、こちらの方が不安だったのだが。
過去の遠景を消し去るように、ミクがもう一度口を開いた。
「負けてもいいから、生きて戻ってきて」
「善処はする」
「だめ! 約束してっ!!」
ほとんど絶叫に近かった。
苛立ちや焦燥を含むその迫力に、俺は言葉を詰まらせる。
「……なんとかする」
「うん」
ミクにいつもの笑みはない。
俺は彼女に背を向けて、オウジンの話を脳内で反芻しながら、クラスメイトたちから少し距離を取った。自らバケモノのいる方角へと、歩を進めて。
刀。長いな。斜め下段に構えたら切っ先を引き摺る。振るうときには気をつけなければ。それに、やはり俺にはまだ少しばかり重い。
こちらの大陸では大小や長短を問わず、重さと力で叩き斬るための頑丈な直剣がほとんどだが、東方武器である刀は技と斬撃に特化させるため、脆さを含むほどに薄く鋭く打たれている。
重量の軽さは速度と正確性を大いに増し、そして反りは刃を入れた際、挽き斬ることに特化させるための形状らしい。
つまりオウジンの使った空振一刀流の岩斬りは、刀でなくては発動できないということだ。
それはまさにいま俺が試そうとしていたことの解答だ。偶然ではあったのだろうが、実戦前にオウジンが答えをくれた。
だが、あの速度で動くバケモノを相手に、正確に面を捉え、垂直に刃を入れることなどいまの俺にできるだろうか。いや、正直に言えばブライズ時代ですら怪しい。“型無し”ゆえに力に任せ、かなり雑に戦ってきたから。
もっとも、竜鱗すら砕いたブライズの肉体であれば、分厚く頑丈な大剣を振るって力尽くで頭から叩き潰してやることも可能だったのだろう……が。
「……ッ」
最初にミクが息を呑んだ。
魔導灯の照らし出す範囲内に、それが入ってきたからだ。
バケモノはすでに走ってはいなかった。この先が袋小路であると知っていたのだろう。とことんまで追い詰め、いたぶるつもりらしい。
口角を耳まで裂いて嗤っている。逃げ場を失い泣き叫ぶやつらを見て。
クラスメイトらはパニックになり、閉ざされた階段の鉄扉へと詰め寄せることしかできない。もう扉を叩く者すらいない。悲鳴も、泣き声も、バケモノの恐怖がすべて圧し潰した。
湿ったダンジョンを、静寂の中で響くバケモノの足音だけが支配する。
「ふー……」
剣士の血が騒ぐ。
まるで昔の自身に戻ったかのようだ。血流が血管を広げ、顔が紅潮し、肉体が中央から末端まで徐々に熱く覚醒していく。
ひりつく。久々の感覚だ。もっと研ぎ澄ませ、もっと、もっと。
自然と口角が上がる。嗤った。喉の奥から堪えようもない嗤い声が微かに漏れる。あのバケモノのように。
こんな顔はクラスメイトには見せられない。
空振一刀流、岩斬り。何でもいい。やつを斬れるのであれば、“型無し”に取り込んでやる。
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