第3話 ついついやらかしてしまった
王都を馬車で出立した俺は盗賊や魔物に襲われることもなく、途中何度か宿場町で宿泊しながら無事に学園都市レアンに到着した。
初等部から高等部までの一貫校ゆえか、受験者の年齢はある程度ばらけている。当然、身分や性別もだ。それこそ上は王族から下は庶民まで様々だ。
貴族はこの学校を卒業するだけで騎士団内部での地位向上に繋がるし、庶民にいたっては準貴族である騎士爵を叙爵することができる。もっとも、その代償として他国との戦争の際には、戦地へと赴かねばならなくなるのだが。
その日は学園都市の宿で宿泊し、翌朝、俺は他の受験生らに混じって試験会場へと向かった。俺が入学予定にしている初等部の倍率はおよそ十倍程度らしいが、そこらへんは大した問題じゃあない。
右を見ても左を見ても同じような年齢のガキばかりだ。さすがに前世の記憶があれば、解けない問題などないだろう。
実際試験が始まっても詰まる部分はなく、筆記試験を真っ先に解き終えた俺は、教室を後にすることにした。
答案用紙を試験官に渡す際、若い試験官に「もう諦めたのか」と半笑いで囁かれた。だから俺は答案用紙をそいつの胸に押しつけるように渡してやった。やつは目を白黒させていた。
去り際「おまえのように世の中を甘く見ているガキを篩いにかけるのが僕の仕事だ」というアレな捨て台詞を貰ったが、それは無視した。
だが昼休憩を挟んで剣の実技試験が始まると、先の言葉の意味が理解できた。
あの試験官が木剣を持って立っていたんだ。初等部の受験生らが、順番にやつに木剣で打ちかかる。しばらく打ち合い、動けていると判断されたものだけが通過する。
その判断は第三者が行っているようだ。離れた場所の木陰に別の試験官が立っている。
このグループの受け持ちは女性だ。濃紺色の長い髪に、眼鏡。遠目では顔までは見えないが、背筋の伸びた姿勢が美しい。
彼女は木剣を振るう受験生らを見ながら、羽根ペンで紙に何かを書き込んでいた。さすがに何を書いているかまではわからないが、合否判定に関する要素であることだけは間違いないだろう。
ふと、その女がこちらに視線を向けた。
「……」
「……」
見ていたことに気づかれたか。鋭いな。よい剣士になりそうだ。
彼女は視線を逸らさない。眉を潜め、訝しげに首を傾げている。
なんだ? なぜ俺を見ている? オウルディンガム家の人間であると気づかれたか?
そんなことを考えて冷や汗を掻いた瞬間、女は興味を失ったように、また視線を紙へと落としてペンを走らせ始めた。
そうこうしている間に俺の番がやってきた。
例の試験官が俺を見て、親しげに目を細める。
「やあ、さっき途中退室した坊やじゃないか」
「……」
俺以外の周囲に、いい人アピールでもしているかのようにだ。特に、あの女の方をチラチラと見ながら、彼女にまで届く程度の大きさの声で。女の方は紙に視線を落としたままで、あまり興味はなさそうだが。
「ええっと、受験番号017番、エレミア・ノイくんか。ノイくんは男爵家の出身らしいが、聞いたことのない家名だね。辺境の地方領主かな。王都内の貴族なら大体わかるんだけどな」
何が言いたいのやら。
ちなみにエレミア・ノイは学園で使用するためにあらかじめ決めておいた偽名だ。オウルディンガム家は名乗れない。念のためエレミーもだ。
「ええ、まあ」
「ああ、失礼。緊張する必要はないよ。さあ、木剣を受け取って好きに打ち込んでくるといい」
気に入らん。ああ、気に入らんとも。
俺を衆目の面前で打ちのめす気であることがわかる。殺気がダダ漏れだ。筆記試験の際にちょっとばかり早く教室を出ただけで目をつけてくるとは、なんと性格のねじ曲がった生き物か。まるで我が兄たちのようではないか。
いいさ。少し遊んでやろう。王城からは出た。王都からも離れた。もはや猫を被る必要もない。
別の試験官から、俺は一振りの木剣を受け取った。
「あんたは構えなくてもいいのか?」
「こらこら、あんたじゃない。こう見えて教官だよ。初等部を教えることになっているローレンス・ギーヴリー教官だ」
「そうか」
「ギーヴリー家は王都の伯爵家だけれど、地方領主の出身では知らないのも無理はないね」
だから何だ? 中央の貴族であることをひけらかしたいのか?
くだらんやつだ。こちとら危険がなくとも、王族であることは隠したいくらいなのに。
黙っていると、勝手に理由を説明してくれた。
「当然、幼少期より貴族剣術を嗜んでいる本物の正騎士だ。腕にもそれなりに覚えがあるから、こうして教官を任されている。だから、構えなくたって子供に負けるような鍛え方はしていないよ」
またあの女の方を横目で見ている。
おまえは誰と話しているんだ。俺を見ろ。その縮れた前髪をつかんで、強引にこちらを向かせてやろうか。
猫を被るのをやめた途端に、前世以来、死んでいた己の中の獣が息を吹き返したようだ。血が熱くなっていく。
「そうか。ならば遠慮は無用だな」
「いつでもいいよ。さ、かかってきたまえ」
受け取った木剣を右手で数回振った。
軽いな。軽すぎる。十歳のこの身にも軽すぎる。使いづらそうだ。さっさと真剣を持ちたいものだ。お遊びではこの渇望は満たされない。
「おいおい、どうしたんだ? そんなところで振っても僕には届かないよ。もしかして、僕が正騎士と聞いて怖じ気づいちゃったのかな? 大丈夫、手加減くらいしてあげるから」
「いや、そういうわけではないが……」
クスクスと、他の受験生らが俺を笑った。
だがいちいち気にはしない。慣れている。剣術を笑われ続けた前世で。そういった輩は剣で黙らせてきた。ローレンスのように口先ではなくな。
「こないと選考通過できないよ? それとも、ケガをしないうちに田舎に帰るかい? それもまた人生だよね~?」
よく囀る。
呆れたものだ。俺をガキと侮り、構えもしない。やつは余裕ぶって、未だヘラヘラ笑っている。女を見ながらな。よほどのお気に入りらしい。
まあ、いい。
俺は木剣の峰を肩にのせて、左脚を前に出し、右足を引く。
「へえ、変わった構えだ。騎士剣術でも貴族剣術でもないな。田舎剣術かな」
「さて、どうかな」
「わかっていると思うけど、ここでは棒きれを振り回すような遊びではなく、ちゃんとした貴族剣術を習うことになるんだよ。合格できればね。キミには難しそうだけれど」
ローレンスが笑うと、釣られて他の受験生らも俺を笑った。
そうやって好きなだけ小馬鹿にしているがいい。どうせすぐに静まりかえる。
俺は静かにつま先へと体重を移動させる。
やつは未だにヘラヘラ笑って、構えようともしていない。肺いっぱいに空気を吸い込み、視線を上げた。そうして、やつに負けないくらい嗤ってやる。獣のように歯を剥いて。
「……糞間抜けが……」
「あ? 聞こえたぞ、おまえ、いま何て言った?」
地を蹴った。七歩先まで一息に迫り、否、やつの眼前で着地することさえなく、一瞬の後には俺はもう疾風のようにやつの背後に足をつけていた。
振り切った木剣を、肩に戻す。
遅れて風が渦巻いた。
「か……っ……あ……っ!?」
木剣を取り落としたローレンスが、自らの胸を両手で押さえながら両膝を地面につく。交差の瞬間に胸を打ってやっただけだ。
だがやつは白目を剥いて泡を噴き、そのまま前のめりに倒れてしまった。どうやら気を失ってしまったようだ。
少しやり過ぎたか。軽い木剣であることをちゃんと考慮したつもりだったのだが、力を込めすぎたようだ。この駄剣士が、皿の上に乗ってる肉よりも遙かに切りやすかったせいだ。
「……」
他の教官らが倒れた彼に慌てて駆け寄り、受験生たちがどよめく。俺を笑ったやつらは、一斉に黙り込んでいた。
前世と同じだ。俺はいつも己の剣で、獣の剣技を馬鹿にする騎士どもを黙らせてきた。そうやって剣聖にまで上り詰めたんだ。
隣で実技を行っていた別の教官が、気絶したローレンスを抱き起こして頬を叩く。
「大丈夫かっ!? ギーヴリー教官! おい! ――誰か、誰か水を持ってきてくれ!」
やつは泡を噴いたまま、ビクンビクン痙攣している。笑える顔だ。
まあ、人体の急所は外しておいた。骨は知らんが、内臓は無事なはずだ。命に別状はないだろう。そんなことよりも、己の合否の方に心配が出てきた。
男の教官が俺を一瞥して、口を開く。
「こんなになるまで……やりすぎだぞ! 受験番号017番、子供とはいえ、おまえに騎士道精神はないのか! 覚えておけ! 剣の強さだけが騎士たり得る資格ではない!」
「待ってくれ、俺は――」
こんなになるまでも何も、俺は木剣を一度しか振っていない。そう言おうとした瞬間、怒声で遮られた。
「宿に帰れ! 合否は追って通知させる!」
「……ぅ、わかっ……た……」
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