第38話 決死の逃走
俺はセネカを見送ってから、この場に残った三人を振り返った。
「念のための確認だが、わかっているな? まともにやり合おうなどと考えるな。逃げるぞ」
「だよねぇ~……。挑むならひとりでやってよね、不良」
「うるせえ。さっさといけやボケ」
「頼むから、こんなときにまでケンカはよしてくれ」
いつも通り。これが俺たち三班だ。
俺たちは顔を見合わせてうなずき合い、セネカの後を追う。
ちょうどそのとき、やつが拠点に姿を現した。歩いている。やはり。禍々しく口角を耳まで裂いて嗤いながら。
「急げ」
ミクの尻を押して通路に押し込み、オウジンを通そうとした瞬間、ヴォイドに首根っこをつかんで持ち上げられ、俺はそのままミクへと押しつけられた。
「おめえが先だ。アホガキ」
「お――っ!?」
「オルンカイム、連れてけ」
「あいあ~い。いまだけ感謝っ!」
俺はミクの胸に両腕で抱えられたまま、通路を運ばれる。一瞬、残るつもりかと肝を冷やしたが、オウジンもヴォイドもちゃんとついてきた。不良と騎士道はあからさまに相性が悪いし、優等生は騎士よりも頭がいいようだ。
だが、その背後。
歩いていたバケモノが、突然走り出す。
「後ろだヴォイド!」
「あ?」
黒く長い髪の下、瞳のない真っ赤な眼球が上弦の月のような形状へと変化する。口角を耳まで裂いて。
ヴォイドが反射的に振り返ると同時に、ブンディ・ダガーの左の手甲でやつの拳を受け止める。魔力光を纏った拳をだ。
「ぐッ、が――ッ」
凄まじい金属音が鳴り響き、ヴォイドの長身が吹っ飛んだ。走るオウジンを追い抜くようにダンジョンの床に叩きつけられ、俺とミクをも追い抜いて転がる。遅れて砕かれた手甲の破片が俺たちの足下に飛散した。
「な――ッ!?」
一撃だと!?
俺は両手両足を振ってミクの腕から逃れ、グラディウスを構える。
「だめ、エルたん!」
き――! 速――ッ!
拳を引き絞り、低く、低く。やつは低身長の俺のさらに足下に潜り込むような低い体勢から、俺の顎を目がけて光る拳を打ち上げた。
ゴォと暴風が巻き起こる。
反らせ、首――いや、全身を!
おそらく紙一枚分。皮膚のみを掠らせながら、グラディウスをやつの脇腹から肩口を目がけて斬り上げる。
「がああああ!」
キィィィと金属を引っ掻くような音がして、火花が散った。
刃が通らん――! 切っ先ですら――!?
互いに皮膚一枚。いいや、違う。やつにはひっかき傷すらついていない。糞、このグラディウスめ。
やつは駆け抜けながら拳を振り切った体勢で俺の背後に。
俺は全身を反らした不安定な体勢で。
互いに振り返る視線だけが交差した。
「――っ!」
体勢を戻す余裕はない。倒れ込む力を利用して全身をねじり込みながら、俺はグラディウスをやつの背中――いや、すでに振り返りつつあるやつの頸部へと叩き下ろす。
獣のような咆吼を上げながら。
「ぐるああああああっ!!」
やつが再び拳を放った。俺ではなくグラディウスの刃へとだ。刃と拳がぶつかり合う。
指の一本でもいい! やつの攻撃力を削げれば――!
そのつもりで叩きつけた刃は、しかし無残に砕け散り、柄は俺の手を離れて転がった。
勢いを殺しきれなかった俺は吹っ飛ばされ、背中から壁へと叩きつけられる――寸前、俺の頭を飛び越えてオウジンがやつの頭部へと刀の刃を袈裟懸けに振り下ろした。
やつはそれを屈んで躱し、着地したばかりのオウジンのがら空きの胴へと向けて、魔力光を纏う拳を放つ。
「オウジ――ぐッ」
背中から壁に叩きつけられた俺は息が詰まった。
だが、目だけは開けたままだ。瞬き一つで殺される。そんな確信がある。稀にいるのだ。こういう恐ろしいやつが。たとえば古竜のような。
やつの拳がオウジンの肉体を貫くより一瞬早く、ミクのレイピアの刺突がやつの真っ赤な眼球へと突き刺さ――らない。
切っ先が弾かれた。
眼球にだぞ――!? 本当に生物なのか、あいつは!?
「なん――でよ!?」
一瞬ではあるが、それでも時間は稼げた。
やつの拳がオウジンの脇腹に突き刺さる寸前、オウジンは自ら飛び退いて威力を殺した。
「くあッ」
それでも着地と同時に表情を歪め、膝をつく。遅れてその口から血が垂れた。
当然だ。フロアすら貫く拳なのだから。むしろ去なしの技を使用したとはいえ、よく生きていられる。エレミアの肉体では死んでいただろう。
「く……ぅ……、まだ……だ……!」
「ミク!」
やつがミクの方を振り返った。人差し指で自らの眼球を指さし、口を裂いて嗤う。
無駄だ。そう言わんばかりの表情で。
「あ……」
俺は柄だけとなったグラディウスを拾ってやつの頭部へと投げつけながら走り、ミクの制服の背中を両手でつかんで引き倒す。
直後、彼女の立っていた場を、暴風を伴って光る拳が通過する。
「ひ……っ」
ミクが息を呑んだ。
あんな威力、特大の鈍器で殴られるも同然だ。掠めただけで致命傷、へたをすれば内臓ごと肉を削がれてしまう。いや、そんなもんじゃない。破裂し、血肉の煙になってしまう。
身を低くして滑り込んできたオウジンが、やつの膝関節へと刀の刃を滑らせる。
「シ――ッ!」
だが刃は文字通り滑る。火花を散らしながらキィィと音を立て、やつの体表面をだ。人体の皮膚のように見えるというのに、どういう理屈なのだ。
オウジンが両足を滑らせながら刃を低く構える。一瞬の溜め。
ざわと、俺の皮膚が粟だった。バケモノにではなく、オウジンにだ。
何かする――!
周囲から音が消えた気がした。直後。
――空振一刀流、岩斬り。
放たれた刀の斬撃を避けるように、やつが初めて煩わしそうに表情を歪めて跳躍した。
俺はその光景に目を見開く。
「……!」
避けた。これまでほとんどの攻撃を皮膚の硬質化であたるに任せていたというのに、バケモノは初めて回避した。オウジンの放ったその一閃は、それほどの鋭さを持っていたということだ。
だが。それでも。避けられては。
空ぶった刀を戻しきれず、オウジンに大きな隙が生まれる。バケモノは空中で両の拳を一つに固め、落下しながらオウジンの頭部へと振り下ろした。
「避けろオウジン!」
「――!」
命中する寸前、オウジンの足を持って乱暴に引いたやつがいた。ヴォイドだ。血まみれになったヴォイドはオウジンを俺たちのいる壁際に投げ捨てると、ブンディ・ダガーの右刃でやつの胸部を打ち抜く。
「くたばれやッ!!」
だが、刃が刺さらない。それでも構わずヴォイドは右腕を振り抜く。力任せにだ。
バケモノの両足が浮いた。歯を食いしばり、ヴォイドは全力で拳を突き出す。
「おらああああッ!!」
恐ろしく重い音が鳴り響き、バケモノが通路を大きく吹っ飛んで拠点のあった闇の中へと消えた。どうやら刺突攻撃に見せかけて、質量差を利用した距離を取るための攻撃だったようだ。
ヴォイドのやつ。天性の戦闘勘か。ずいぶんと機転の利く。
「押して離しただけだ! 効いちゃいねえ! オラ立て! 逃げんぞ、てめえら!」
引き離したといっても、いくらも距離はない。
相手は魔物。だが俺たちは身を翻してやつに背中を向け、同時に走り出す。
どうせ目を見ていようが襲ってくる相手ならば、背中を向けて全力疾走したって変わらないからだ。
接敵から逃走まで、時間にしてほんの一瞬の出来事だ。
なのに俺たちは全員、尋常ではない量の汗を流していた。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




