第36話 拗ねるな、剣聖
――走る、走る、走るッ!
いまの足音。着地音を、他のやつらは聞いただろうか。
上層へと続く階段はまだ見つかっていない。だが、一度拠点へ戻った方がよさそうだ。
「オウジン、拠点の場所はまだわかるか?」
「ああ。だが――」
オウジンが振り返る。
俺はミクに視線をやった。ミクは握りしめた手を口元にやって、不安そうにつぶやく。
「……たぶん大丈夫、追ってきてない……と思うけど……」
「不気味だな。やつの目的がわからんことにゃ、どうしようもねえ」
走る俺をヴォイドが片腕でかっ攫って、小脇に抱え上げた。
「ぬあっ!? おい、ヴォイド! 俺を下ろせ!」
「ガキは黙ってろや。――おい、てめえら! もうちょい速度上げんぞ!」
「うん、いいよぉ~」
「わかった」
直後、グンと走る速度が上がった。
どうやら俺に合わせて走る速度を落としてくれていたようだ。そもそもが追跡者が鈍足のスライムだったら、これまで全力で走る必要なんてなかったからな。
当然だが、十歳の肉体ではどれだけ気合いを入れて走ろうとも、十代中盤の彼らにはついていけない。足の長さも筋力もまるっきり違うのだから仕方がない。
とはいえ、とはいえだ。
「ぐぬぬぬぅぅ……」
ぐやじい……!
「あはっ、エルたんの怒り顔かわいっ。キュンキュンしちゃう」
「やかましいっ」
「あん。仕方ないない。だってまだ成長期だもんねっ」
天下の剣聖だったのだぞ、俺は。
誰より足は速かったし、鈍足の馬くらいなら追いつけた。膂力だってヴォイドの倍以上はあったんだ。オウジンよりも自在に剣を振るえたし、ミクの気配察知……は、絶対に真似できんな。侮り難しは猫娘か。
「ぐ、く、くぅ~……」
「どんまい、エルたん! そんなとこも好きよっ!」
俺よりも足が速く、俺よりも気配察知に優れたやつが何か言っている。
何の慰めにもならん。泣ける。
「黙って走れや、オルンカイム。あと、てめえは気配察知を忘れんなよ」
「うっさ! いちいち命令しなくたって、ちゃんとやってるよぉ! でも、気配察知は絶対じゃないからねっ!! 何となくでわかる程度だからっ!」
何となくだと? 理論と理屈と磨き上げられた感覚に裏付けられたものですらないだと!?
ぐぅぅ、うらやまじい……っ!
「へいへい。ダンジョン内で喧々言うんじゃねえよ。キンキン声が反響して耳が痛えわ」
「だぁ~れが言わせてんのッ!?」
俺とオウジンが同時にため息をついた。
仲悪いなあ、こいつら本当に。
結局俺たちは何度か道を間違えながらも、オウジンのおかげでどうにか拠点まで戻ってくることができた。
拠点の入り口に気配察知のできるミクを残し、俺とオウジンとヴォイドは待機組に合流する。
どうやら待機組の中ではリーダーらしきものが決まったらしく、そいつを含む一班から五班までの各班長が集まってきた。
リーダーに担ぎ上げられたらしき生徒が、俺たちを出迎える。
「あらためてになるけれど、セネカ・マージスよ。三班のみんなのことは知ってるから、あらためての紹介はいらない。それより、上層への階段は見つかった?」
後頭部で短く縛った髪は、色素が薄いのか銀色がかっている。ミクと同様にやや幼く見えはするが、言葉や話し方から察するに、事務的、合理的な女子のようだ。事ここに至っては話が早くて助かる。余計なことにかけていられる時間はない。いつあのバケモノが現れるとも知れないからだ。
オウジンがセネカにことのあらましを説明した。セネカは左手を腰にあて、右手で前髪を掻き上げるような体勢のまま、うなずきながら聞いていた。
尋常ではない雰囲気に、いつの間にか重傷者のイルガと治療者のフィクス以外のほとんど全員が、この場に集まってきている。
オウジンが言葉を切って、セネカがうなずいた。
「そう、スライムは処理できたけど、例のバケモノが現れたかもしれないのね」
「ああ。姿を見たわけではないが、おそらく間違いないはずだ」
ヴォイドは腕組みをしながら壁にもたれて目を閉じ、ミクは依然として入り口付近で闇を見つめて警戒中だ。
俺はオウジンの横に立っているが、蚊帳の外らしい。
まあそこらへんは仕方がないだろう。飛び級とはいえ十歳の身だ。侮られるのは想定済み。実際に足も遅いしな。膂力もないし。察知能力も並だ。
さらに時々こんなふうに情けなくなって、泣きたい気分にもなるし。仕方ない。仕方がないんだ。
ぐやじい……!
だが、オウジンならば話し合いを任せても大丈夫だろう。その程度には、俺はこのパーティを信頼している。剣聖という視点からでもだ。
膂力のヴォイド、技のオウジン、察知のミク。決して悪くないパーティだ。
当初こそあまりの協調性のなさから、どうなることかと危ぶんでいたが、学生のみの構成ではこれ以上は望めそうにない。
それどころか、思うにへたな騎士小隊よりも優れている気がする。
「ふー……」
だが、それでも。
あのバケモノには勝てる気がしない。そこに己の経験や技術が加わったとしても、だ。このまま遭遇せずに、どうにか脱出までやり過ごしたいところだ……が。
けれどそんな俺の仄かな願いは、警戒しながら闇を見つめ続けていた少女が発した次の言葉で打ち砕かれることとなる。
ミクが突然闇に身を乗り出すようにして、大きく目を見開いたんだ。
「……きた……」
俺はため息とともにうなだれた。
ああ、うまくはいかんものだ。
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