第356話 兄弟
その一撃は決して重くはない。だが左右から次々と繰り出される高速の刃は止まらない。縦横無尽、変幻自在に空間を駆け巡り、防御のためにと立てた刀を軌道を変えて掻い潜り、その奥にある肉へと食い込む。
歪な赤い華が咲き、鋭い痛みが脇腹に走った。
「オウジン!」
「問題ない、去なしてる!」
草鞋で大地を滑り、オウジンは長刀を正眼に構える。
凄まじい剣士だ。ヒノモトにも二刀を操る者はいたが、これほどの剣士は見たことがない。型を学び型を見切る〝剣鬼〟が提唱した東国の剣術ともまるで違う。出鱈目だ。まるで子供の振り回す木枝のように。だからこそ見切るには時間が足りない。
踏み込んできたカーツの右の一撃を、刀で受け流す。すぐさま左の剣が薙ぎ払われたが、滑り込んできたヴォイドが手甲で防ぎ、強引に彼を押し離した。
後退するカーツによって蹴り上げられた土塊を、左右に散って躱す。
うまい。最小限の嫌がらせで、追撃の足を止められた。
オウジンの表情が歪む。
似ている。戦姫リリ・イトゥカに。けれども、彼女の女性的な踊るような弧の動きではなく、あくまでも鋭く、速く、鋭角にだが。
オウジンの斬り込みを片手の剣ではね除け、もう片方の剣でヴォイドの頭部を突く。寸前で首を傾けて躱したものの、頬が耳まで裂けた。
「クソが! オウジン! 野郎の剣を――」
「やってみる!」
果敢に踏み込み、ヴォイドが右の剣を両の手甲で受け止める。けたたましい金属音が鳴り響き、ヴォイドの両足が地面を掻いて後退する。
その頸部を目がけて刈り取るように放たれた左の剣の刃を目がけ、オウジンが刀を振るった。
――岩斬り!
キィと刃同士が鳴った。
だが。
火花が散った直後――。
「~~っ!?」
「――ッ!!」
同時に弾けて後退する。
カーツが口笛を鳴らした。
「ああ? んだ、いまの? おまえさん、俺の武器を破壊しようとしたのか?」
「く……っ」
「やっぱそうか。すげえな、一組三班。噂に違わずか。使えんのぁ俺くらいのもんだと思ってたんだがなあ。ホムンクルス程度じゃ勝てねえわけだぜ」
狙いがバレた。それどころか合わせてきた。
いまあの男が放ったのは、変則ではあったが紛れもなく岩斬りだ。少し軌道が違うのは、刃が直線であるためか。だがああも正確に合わされては、こちらの刃まで壊されてしまう。
強い……!
「ボケんな、オウジン!」
「――っ!」
息を呑んで飛退る。
「よお、他にも見せてくれよ、侍」
足首を狙い、カーツの二刀の刃が大地を滑った。着地と同時に刀を構えて全身を揺らし、追撃を躱す。
いや、躱しきれない。羽織がはだけ、赤い線が肉体に刻まれる。
「おお……? はっは、いまどうやって避けたんだぁ?」
「空振一刀流。――散華!」
切っ先一寸のみの攻撃。仕留めにかかる技ではない。
細かく、細かく、素速く。まるで空を漂い舞い散る花びらのように、無軌道に。突き出した先で短い線を描く。前へと突き進みながら、何度も何度も。
だが、そのすべてを――。
「速ええな」
オウジンの突進に合わせて後退しながら受け、流し、止め、あまつさえ弾く。二振りの剣は正確に、刀の刃を迎撃する。
鋭く短い金属音が断続的に鳴った。
あるいは剣が一振りであったならば、などという甘えた考えを、振り払い、限界まで剣速を速めながら突進していく。
「ハァァ!」
「――っ」
気配を消して背後から飛びかかったヴォイドの顔面を回し蹴りで吹っ飛ばし――。
「があっ!? ぐ……の野郎があッ!」
カーツが二振りの剣でオウジンの刀を挟み込み、その動きを強引に止めた。
「く……っ動か――!」
「惜しいねえ。おまえさんも、あと数年もありゃ俺くらいは超えてたかもな」
直後、オウジンを凶刃が襲う。脇腹から肩口までを、カーツの切っ先が駆け抜けた。斬り上げの勢いのままに、血液が跳ね上がった。
「が……っ」
「残念だぜ、少年」
だがトドメに突き出されたもう片方の剣を、オウジンはかろうじて刀で弾き落として後退する。しかし地面に足をつけた瞬間、膝が力なく揺れた。
すでに追撃にと地を蹴っていたカーツが、左の剣を背後まで引く。
「じゃあな」
その刃がオウジンの左胸を貫く寸前、側方から捨て身で飛び込んできたヴォイドの一撃を右の剣で防ぎ、カーツは大地を掻いて滑った。
「させるかよ!」
その表情が苦々しく歪められる。
「おいおい。おまえさんももう限界だろうがよ。足掻いてんじゃねえよ。何がそこまでおまえらを突き動かしてんだ?」
ヴォイドが額から絶え間なく流れる血を袖で拭い、オウジンはぶら下がるだけで邪魔になった羽織を乱暴に剥ぎ取って投げ捨てた。
そうしてふたりは胸を張る。
「あ? てめえならよぉくわかんじゃねえの? 飾りじゃねえならよぉ、その足りねえ頭でもうちっと考えろや! 答えはてめえン中にあんだろうがッ!」
「カーツ・アランカルド。あなたと同じだ。あなたがブライズにすべてを懸けたように、僕らにもすべてを懸けたくなるやつがいる。この命が尽きるまで、退かない」
「つーわけよッ!」
カーツが歯がみした。
「エレミア・ノイか。あいつはいったい何なんだ……。リリに続いて、おまえたちのような男まで……」
「ハッ、んなこと知るかよッ!!」
「むしろ僕らが聞きたいくらいだな。――ヴォイド、ただでは勝てそうにない。だから」
「……あいよ」
ヴォイドとオウジンが同時に地を蹴った。
カーツがそれを迎え撃つ。迎撃に繰り出された双剣をろくに躱す素振りも見せず、相打ち覚悟でオウジンが刀を振るう。皮膚を破られ肉を貫かれながら――。
「ぐ……く……ッああああ! ……ッ引かないぞォォォ!」
オウジンが振り切った切っ先が、カーツの胸部を掠めた。革鎧を貫き、その奥に隠された肉をも斬り裂いて。
「くぁ……っ」
侍は倒れない。草鞋で大地を踏みしめて、裂かれた胴体から大量の血を噴出させながらもさらに前へと踏み出す。
カーツの表情が驚愕に歪んだ。その気迫に押されるように、思わず後方へと逃れ――そして。
「こいつら……玉砕覚悟かッ!?」
オウジンの脇から両手の手甲を立てながら飛び出してきたヴォイドの捨て身の体当たりをまともに喰らった。
「おらあああああッ!!」
とっさに振り下ろされた剣が、ヴォイドの肩口へと食い込む。だが、それでも。刃が骨へと達する前にカーツの全身を吹っ飛ばし、その体勢を初めて大きく崩させた。
両手の剣が弾けて上がる。
そのときにはもう、カーツの懐には、ふたりの少年は同時に踏み込んでいた。
「はは、マジかよ……」
こうなってしまっては、もはや勝負は――。
「おおおお!」
「はぁぁぁ!」
刀とブンディ・ダガーの刃がカーツの胸へと突き刺さる――寸前、側方から差し込まれた白刃が両者の刃をまとめて弾いていた。
「あ?」
「え?」
ヴォイドとオウジンが同時に視線を向けた先、いや、カーツまでもが目を丸くして向けた先には、騎士の鎧を纏ったひとりの男が立っていた。
短く刈り込まれ、すっきりとした髪型の男だ。
彼は優しげな眼差しでふたりの少年の方を向く。
「すまない。この男を殺すのは少しだけ待ってほしい。私も話がある」
「おまえ……は……」
男は手にしていた剣を足下へと叩きつける。
「家族と話すのに剣は不要だ」
そうして指の骨を鳴らし――。
困惑しているカーツの頬へと、手甲に包まれた拳を躊躇いもなく、渾身の力を込めて叩き込んだ。
金属と骨がぶつかり合う、鈍い音が響いた。
一歩、二歩、カーツが呆然とした顔で背後によろける。
「ケ……リィ……?」
「オウジン!」
「わかってる!」
オウジンが刀の峰で、ヴォイドが手甲で素速くカーツの両腕を打ち据え、双剣を取り落とさせた。
「……ッ」
隙を見せ取り落としてしまった剣に視線を向けたカーツの頬へと、再びケリィの拳が突き刺さる。
「ぐが……」
「よそ見をするな、カーツ。私を見ていろ」
脳震盪でも起こしたのだろうか。膝が揺れ腰を落としたカーツの頬へ、ケリィは三度拳を打ち据える。
割れた歯が血とともに宙を舞った。
「あ……が……、ケリィ、てめ――」
その段に至ってようやく全員が気づく。ケリィが歯がみし、涙を流していたことに。
いつの間にか戦場からは喧噪が消えていた。エレミアが向かった中心部で、いままさに何かが起きているということだけは、肌で感じられる。
それでも、いまだけは。この光景に目を奪われて。
「カーツ、おまえはいつまで想い出に縋って甘えているつもりだ!?」
「想い出じゃねえ! 先生は蘇――!」
「もういないんだッ! あの人は!」
拳を固め、カーツを撲つ。
「死んだんだ!」
「んなことは俺だって――」
何度も、何度もだ。
「黙れ! 現実を受け容れろ! あの人のいないこの世界を受け容れろ! 本当はわかっているはずだ! 代わりなどどこにもないと!」
「……!」
顔の形がなくなるまで、何度も。
やがてカーツの目からも涙がこぼれ落ちる。
「そんなこと、俺だって本当は――」
「だったらおまえのすべきことは何だ!? 過去に縋って嘆くことか!? 違うだろう! ……あの日、リリが偽英雄を討った日、私はおまえの中に確かな炎を見た! 先生がおまえに遺した炎だ!」
「そんなもの、俺にはもう……」
拳が突き刺さる。
「いいや、おまえの中にはまだ先生からもらった炎が残っている! ならば新たな炎など求めるな! 俺たちにはもう必要ないだろう!?」
「ケリィ……」
ケリィは泣きながら拳を固め、カーツの頬を撲つ。
「次はおまえが炎を育て、誰かに分け与える番じゃないのか! 俺たちはいつだってそうやって、先生に生かされてきただろう! いつまで欲しがっているつもりだ!? いつまで甘えているつもりだッ!?」
撲つ。骨の音が鳴った。
「なあ、リリでさえもう、違う未来へと向けて進んでいるのだぞッ!!」
「……」
項垂れたら髪をつかんで顔を上げさせ、再び撲つ。
「なぜそれがわからないッ!? なぜここまで間違えたッ!?」
もはや無抵抗で静かに涙を流す男を。撲つ。
そうして腰砕けとなっているカーツの前でしゃがみ込み、その両肩に手をのせ、嗚咽混じりにつぶやいた。
「……おまえはブライズ先生から……何を学んできたんだよ…………」
項垂れ、覇気を失ったカーツの前で立ち上がり、ケリィはヴォイドとオウジンに向けて頭を下げる。
「みっともないところを見せたな、スケイル、オウジン。けれど、これで私の用件は済んだ。あとの処遇は好きにしてくれて構わない」
その言葉を受けて、ふたりの少年は目を見合わせる。
会話はひと言もない。だが同時にカーツに視線を向けてから、ため息をついた。
「ったく。ボコられたくれえでガキみてえに泣いちまう野郎なんざ、殺す価値もねえ。後味悪すぎんだろ。てめえで好きにしろや」
「右に同じだ。僕らにはそんなことをしている暇もない。――行こう、ヴォイド。歩けるか?」
ヴォイドが両手を広げて肩をすくめる。
「ま、何とかな。……と言いてえところだが、今回ばっかはギリだ……」
「……はは、実は僕もだ……」
笑い合う。
限界を超えた肉体を支え合うように肩を組み、ふたりの少年はふらふらと歩き出した。
「あまり寄りかかるなよ。重いだろ」
「阿呆、てめえが寄っかかってんだろうが。くくく」
「はは」
ふたりが肩越しに振り返り、言葉を残す。
「つーわけであとは任せたぜ、パーカスン教官殿?」
「僕らはこのままエレミアのところに向かいます」
「ああ。……死ぬなよ」
何かが起き、静まり返っている不気味な戦場の中心へと向けて。
それを見送ったあと、ケリィはカーツへと手を伸ばす。少し躊躇い、カーツがその手をつかんだ。
「やり過ぎた。痛むか?」
「……兄弟子の拳ってのはやっぱ痛えもんだ……。いい男が台無しだぜ……」
「もっといい男になったぞ。だが、言葉は本音だからな」
「……わかってるよ……。……先生にぶん殴られた日を思い出しちまった……いてて……」
ケリィがカーツを引いて立たせた。
「バカ、女遊びの仕置きと一緒にするな。彼らの殺意を逸らすには、おまえを徹底的に殴る必要があったんだ」
「……あいつら、ガキの分際でバカ強かったなあ……」
少し笑ったケリィが、カーツの胸を軽く叩く。
「当然だ。リリから分け与えられたのか、あるいはエレミアが自身で発生させたのかは知らないが、ここに強い炎を宿しているからな。臨時教官として一度だけ関わったことがあるのだが、彼らを見ていると、私たちが現役だった頃を思い出したよ」
「……そりゃあ、一線退いちまった俺が敵わねえわけだ……」
空を見上げる。
戦場にしては緩やかな風の流れる、静かな青い空を。
そこには矢も魔術もない。澄んだ空が広がっているだけ。
「カーツ、まだ生きる意志はあるか?」
「どうかなあ。なんかちっと疲れちまった。けど、てめえでしでかしちまったことの決着は、てめえでつけねえとな。……そのあとは、そうだな……もう、どうでもいいか……」
ケリィがため息をついた。
そうして、伝える。戦場となったガライア国境線へと至る前に、出会ったふたりの女性のことを。ひとりは懐かしく、もうひとりはとても小さな。
前日にはエレミアが泊まっていたと聞かされたときは、奇妙な運命を感じたものだ。
「おまえの炎を必要としている者が、ガライア街道手前の宿場町にいる。私でも、先生でも、リリでもなく、必要なのは、おまえだけの炎だ」
「……? まるで覚えがねえや。物好きだね」
ケリィが背中を向けて落とした剣を拾い、カーツに手を振る。
おそらくはこれが今生の別れとなるであろうことを知りながら。
「正義の味方でも騎士でもない私には、おまえの罪科をとやかく言うつもりはない。だからすべての決着がついたあとに生き延びていられたら、行ってみるといい。目に見える世界というのは、存外簡単に変えられるものだ。私たちが先生と出会った瞬間のようにな。その上で過ちを償うか、あるいは恥を忍び後悔を抱えながら新たな人生を生きるかはおまえが決めろ」
それは優しく、そしてそれ以上に厳しい言葉だった。
だが、だからこそ――響いてしまう。
気づけばカーツは、我知らずつぶやいていた。
「先生だけじゃねえや……」
その言葉に、ケリィが振り返る。
カーツが腫れた頬を指先で掻き、わずかに赤く染まりながら唇を尖らせた。
「……その、あんたに会えて嬉しかった……。――ああ、いや、いまのはやっぱナシだ。女に対して言うコトだった。ああったく、忘れてくれ。いまは殴られすぎて頭がどうかしてたんだ」
短く刈り込まれた自らの頭に手を置いて、ケリィは口角を上げた。
「私もだ。おまえは最初から最後まで、手間のかかる弟弟子だったよ。剣の腕は私よりも立つ癖に、甘ったれで、女にだらしなくてな。主義主張も性格も、私とは正反対だ。……だが、喧嘩をするのは楽しかったぞ」
その言葉に、カーツが肩を揺らして笑う。
「悪かったなぁ。堅物のあんたにゃ尻拭いばっかさせちまった」
「いいさ。奔放なおまえの恥ずかしい失態を間近で見るのは、かなり笑えたからな」
「……それは忘れてくれ」
「ははは」
それだけだ。
あとはもう、互いに手を振り、背中を向け合った。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。