第351話 負ける気がしねえ
二振りの細く長い剣と、左右一対の太く短いブンディ・ダガーの刃がぶつかり合う。互いを破壊せんとする鋼鉄は火花を散らし、轟音を響かせ、衝撃さえも発生させる。
双剣から次々と繰り出される軽やかな斬撃に対し、ブンディ・ダガーを装着した少年は乱暴な軌道でそれらをかろうじて防ぎ続けてた。いいや、時折変幻に襲いくる剣閃に掠められ――。
「く……っ」
金属糸で編まれた学生服が、切っ先で引き裂かれる。顔をしかめて後退したが、再び地に足をつけたときには腹部がはだけ、赤い筋が入ったのが見えた。
たらり、と血が流れる。
金属糸などものともしない、鋭い斬撃だ。それをあたりまえのように繰り出してくる。おそらくはオウジンやエレミアが使っていた、岩斬りとかいう技と似た性質の斬撃か。
つくづく嫌になるぜ……!
心の中で毒づく。
認めたくはないが、このカーツ・アランカルドという男は史実にある通り、天才なのだろう。だから剣聖に認められた。だから剣聖の右腕となった。
英雄という光の中に隠されていた、大きな濁りだ。
……底が見えねえ。イトゥカよりも、ずっと。
ずいぶんと斬り合った。だがカーツは変わらず無傷のままで飄々と立っている。
その全身に、純粋な殺意だけを纏わせて。
「へえ、やるもんだ。やっぱなかなかいい線いってンなあ、ヴォイド・スケイル。こっちは最初から殺す気でいってんだが、学生風情をこうも仕留めきれんもんかね」
「ハッ、そりゃ残念だった……――なァ!」
言葉と同時に血の染み込んだ土を蹴り上げる。むろんカーツの目を狙ってだ。同時に自らも走り出した。やつが躱すであろう方向を想定しながら。
だがおおよその予想を裏切って、カーツは自らの赤茶けたローブを広げて飛礫を防いだ。それならそれで構わない。目隠しとなったローブごと貫くのみ。
狂犬が牙を剥いた。
「がああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーッ!!」
渾身の力を込めて、走る勢いそのままにローブ中央へと右の刃を突き立てる――が。
「~~!?」
軽い。手応えがない。
そこに気づいた瞬間、ローブを突き破って細い刃が迫った。避けきれずに脇腹を抉られながら両者は交差し、立ち位置を入れ替えて振り向いた。
「ハァ!」
「があッ!!」
その隙間で互いの刃を再度ぶつけ合う。
「悪ィなァ。こちとら搦め手にも慣れてんだ。なんせ、騎士道精神クソッ喰らえって教わってきたもんでよ」
「ク……ソが……ッ」
刃越しに顔を近づけた。
力を込めると、脇腹からドロドロと大量の血が流れ出すのがわかる。だが、一瞬でも手を弛めれば持っていかれる。
ギギ、ギギギ――刃が軋み擦れる。悲鳴をあげる。
「俺がおめえくらいのときは、そこまで動けなかったもんだッ。惜しいぜ、ヴォイドッ。あと三年もありゃ、どうにかなったかもなあッ」
ここまでか。悔しいがいまはまだ勝てる気がしねえ。こうなっちまっちゃあ、どうにか離脱するしかねえが、馬なしでこの野郎を振り切れるか。
そうやって生き延びてきたのだ。戦場では。ずっと。
「うるせえよッ、馴れ馴れしく呼んでんじゃ――ッ!」
言葉が終わる前に、カーツが前蹴りでヴォイドの腹を蹴り押した。脇腹に響いた激痛に、ほんの一瞬気を取られる。
「だがもう、終わりにしようや。ブライズとリリ、感動の再会ってやつを俺もこの目で見てえんだ」
刃が頬を裂いた。
とっさに首を傾けなければ今頃は胴体とおさらばしていただろう。
「まだ粘るか。そろそろ死んでくれよ」
「ざッッッけんなッ」
なおもカーツは鋭く細かな斬撃を幾重にも重ね、必死になってそれを防ぐヴォイドのブンディ・ダガーの隙間を縫って、的確に肉体を斬り裂いていく。
クソがッ、手が追いつかねえ……ッ!! 離脱する隙もねえ……ッ!!
「防げるかよ、ガキ!」
「ぐ、おおおおおッ!!」
軽やかな動作で放たれてる一撃一撃が異常に重く、
パン、と右肩が弾けた。
噴出した血液が線となって空中に飛んでいく。それでも歯を食いしばって自ら踏み込み、ブンディ・ダガーの左の刃を拳のように突き出す。
「があぁぁぁぁ!」
だがカーツはそれを双剣で受け止めることさえせず、左足を軸に右足を引き、勢いよく身体を回転させながら、虚空を貫いたヴォイドの背中へと二本の刃を平行に走らせた。
とっさに右腕のブンディ・ダガーを立てると、刃部分と手甲部分の両方に凄まじい衝撃が走り抜けた。
「ぐッ!?」
ヴォイドの全身はまるで暴風に揺れる細枝のように打ち流される。
額から流れた血が目に入った。景色が歪む。赤黒く染まって。
それでも空中で体勢を整え、どうにか地面に足をつけたときにはもう、眼前には赤茶けたローブが広がっていて――。
ゾワリ……。
悪寒が走った。
己の全身から滴る大量の血液が、ボタボタと地面に落ちる音がした。吐くだけの呼吸。打ちつける心音。歪む視界。全身が脳からの指令を拒絶する。手足の感覚が遠のく。
まずった。
「じゃあな」
「……」
ぼんやりと見える視界。右の刃を左下方に、左の刃を右下方に。
それを認識できたときにはもう、カーツは下段でクロスさせた両手から、二振りの刃を同時に斬り上げていた。
肉体は動かない。反応すらできない。感覚がなくなったかのようだ。脳だけが生きている。
すまねえ、ミリオラ……。見誤っちまった……。……スラムを……ガキどもを……。
瞼が落ちていく。
だが、二振りの細い刃がその肉体を斬り裂く寸前になって、カーツは斬撃の軌道を変えた。ヴォイドの肉体表面を滑るように持ち上がり、正確に頭部を目がけて空を切り飛来してきたショートソードを弾いたのだ。
その金属音に、落ちかけていた瞼が再び開かれた。
全身の傷から血を噴出させ、ヴォイドは後退して距離を取り――そうして向かいくる二頭の馬に乗った懐かしい顔ぶれに…………満面の笑みを浮かべる!
瞬間、尽きかけていた精気が漲った。全身が熱を取り戻す。
そして。
一年前よりほんの少しだけ低くなった、けれどもまだ幼さを残した声が響いた。
「ヴォイドォォォ! はっはーっ、どうだっ! 驚いたか、一年巻いてきてやったぞっ!!」
「酷い怪我だ! 無事か、ヴォイド!?」
だからヴォイドは。
血だらけの顔で笑いながら、軽口を叩くのだ。
まだ学生を演じていた、あの楽しかった頃のように。
「ハッ! 抜かしやがれ! 遅えぞ、てめえら!」
もう、負ける気がしねえ。
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