第349話 狼と犬
勢いそのままにクレイモアを叩きつける。
だがカーツは二本の剣で挟み込むように受け止め、凄まじい轟音を響かせた。両者の足下から砂塵が舞い上がる。
「おいおい。部外者だろ。そんなに熱くなんなよ。おまえさんに用はねえ」
交わる三本の刃がギリギリと鳴く。
騎士学校から戦場に出て一年。肉体は変化した。膂力を増し、感覚は鋭敏になり、意識を凌駕する反射で動けるようにもなった。ホムンクルスはもはや敵ですらなくなった。いまならばテスカポリトカとだってやれる自信はある。
けれども――。
「く……ッ、そが……ッ!!」
押し切れない。クレイモアを持つ両手にどれだけ力を込めようとも、この男をほんの少し後退させることさえできない。まるで大山のように。それどころかカーツ・アランカルドの表情には余裕すら見える。
こいつと俺、何が違う!?
カーツが狂気の笑みを浮かべたまま、ヴォイドに顔を近づけてきた。
「ここだけの話、共和国にも忠誠を誓ったつもりはねえ。リリさえこっち側に来てくれりゃ、おまえさんのことは見逃してやったって構わんぜ」
膂力では勝てない。おそらく剣術でも。
それでも。
ヴォイドは軽く両足を浮かせてクレイモアを強引に押し込むことで、その反動を利用して距離を取る。
「ざッッッッけん――なッ!!」
だがクレイモアを取り回し、攻勢へと転じる前に、カーツはもう踏み込んできていた。受け止め、再び先ほどのように両者の距離が近づく。
再び轟音が鳴り響いた。
ヴォイドはじりじりと立ち位置を変えながら押し込もうとするも、やはりカーツを下がらせることができない。
それどころか――。
「おめえ、女は好きか? もしそうならわかってやってくれよ。おめえは知らねえだろうが、ブライズとリリはふたりでひとつなんだよ。リリの幸せを考えるなら、プロクスと――いや、ブライズと一緒にいるのが一番なんだ。な、頼むよ」
「な……めン……なッ!!」
もう一度両足を浮かせながらクレイモアを押し込もうとした瞬間、カーツの足裏がヴォイドの腹を捉える。
「ぐ……っ」
鈍い音と鈍痛がして、全身が蹴り離された。とてつもない威力だ。オウジンがかつて見せたように、自ら飛び退かなければ血を吐き悶絶していたかもしれない。
両足で地面を掻いて滑り――。
「ふぅー……」
何を思ったかクレイモアをその場の地面に突き立てた。そうして手を放し、口に溜まった血を粗暴に吐き捨て、足下に転がる首ナシ愛馬の死骸に手を伸ばす。
カーツがわずかに目を丸くしたあと、少し楽しそうに笑った。
「こりゃ驚いたぜ。見かけに依らず、ずいぶんと頭の切れる小僧だ。あの時代の先生なら、喜んで一派に勧誘してたかもなあ」
「ハッ、乗らねえよ。んなもんにはよ」
愛馬の鞍に括り付けてあった武具を取って、自らの両腕に嵌める。手甲一体型のブンディ・ダガーだ。
大剣クレイモアを使用していたのは、単に馬上からの攻撃において、その長さが便利だったからに他ならない。
手甲の中でしっかりと握り込み、片頬にだけ笑みを浮かべてカーツを睨む。
「さぁて。仕切り直そうや、おっさん」
「……わっかんねえな。なんでそこまでする? 武器を持ち替えたくれえじゃ俺には勝てねえってことはわかってるはずだろーに」
「さァなァ!」
ヴォイドが地を蹴った。
重いクレイモアを振り回していたときとは別物の速度でカーツへと迫り、右手のブンディ・ダガーを拳のように突き出す。上体のみを側方に倒してそれを躱したカーツの脇腹を目がけて左のブンディ・ダガーを抉り込むように突き上げる。
だが聞こえたのは肉を裂く音ではなく、金属同士が擦れ合う音だった。
「ち……ッ」
「へえ? 思ったよりやるな。さっきまでとは動きが違う」
剣の腹で防がれた。
直後に受け流され、バランスを崩す。首筋に感じたわずかな空気の流動に頭を下げると、カーツの刃が通過した。そこに意識を持っていかれた瞬間、今度は地面から刃が顎を目がけてかち上げられる。
「~~っ」
手甲で防ぎ、打たれた衝撃を利用して上体を起こした。
「っと、若えのにやるもんだ。さすがは一組三班」
「うるせえ! 余裕ぶってんじゃねえぞ!」
今度は左のブンディ・ダガーをカーツの頭部へと薙ぎ払った。だが剣で防がれ、ほとんど同時にもう片方の剣を返される。右の手甲で受け止めた瞬間、両者の視線が交差した。
汗の玉が高速で視界の中を重力に逆らいながら吹っ飛んでいく。
カーツの表情から先ほどまでの、おちょくるような視線が消えた。
「ったく、めんどくせえガキだ! 命を救ってやると言ってんだぜ? 何が不満だ!? いったい何がおまえをそこまで突き動かしてる!? 猟兵らしく金か? くだらねえ、死んじまったらそれも遣えねえ! それともリリに惚れてんのかァ?」
今度は一転、カーツが地を蹴った。
凄まじい速度で迫り来る斬撃を手甲で受け流し、刃を打ちつける。それを防がれながらも、もう片方の刃でカーツの斬撃を受け止める。
息衝く暇もない攻防に、呼吸が詰まった。
今度は互いに額をぶつけ合う。皮膚が破れて肉が裂け、互いの血が混ざり合いながら伝い落ちた。それでも首を押し付け合い、ヴォイドは歯を食いしばりながら叫ぶ。
「譲れねえニコイチならなァ、こっちにもあんだよッ!! ボケがッ!!」
直後、カーツの全身が後方へと流れた。押し切ったわけではない。自ら逃れたのだ。そうしてすべての表情を消し、直後にカーツは戸惑いを見せる。
「あ……?」
「残念だったなァ、おっさん。ブライズとリリ? 知ったことか。古ィ時代からやって来たジジイはすっこんでろや。こいつはもう新しい時代を生きてんだよ!」
ヴォイドがブンディ・ダガーの切っ先をリリへと向けた。
「あの女を死に物狂いで守ろうとしてるガキがいる。頭の悪いガキだ。地位も身分も財産もすべて擲って剣を握り、てめえよか遥かに強え女を命かけて守ろうとしてやがる。俺ぁそいつにつくって決めたんだ。てめえがブライズについたようになァ」
そうして再び両手のブンディ・ダガーを構え直し、ヴォイドは嘲笑う。
「偉大な剣聖様? 伝説の英雄ブライズだぁ? ククク……」
笑う、嗤う、嘲る。
額を押さえ、口角を上げ、大声で嗤った。
ひとしきり嗤い、悪辣な表情で口を開く。
「それがどうかしたかよ? くたばっちまった挙げ句、他人の手ぇ借りて生き返っただけの記憶もねえゾンビ野郎だろうが! そんな残り滓に何ができンだ? そんなにイトゥカが大切だったなら、生きてるうちに幸せにしろやって話だろうがッ!! いまさらしゃしゃってんじゃねえよッ!!」
「……」
「俺に言わせりゃよぉ、クク、そんな野郎に命かけてるてめえの生き方のが理解できねえよ、アランカルドさんよ。それとも、何かにしがみついてなきゃ、もう歩くこともままならねえってか?」
その言葉が、カーツの脳裏にブライズを失ってから酒浸りとなっていた数年間を想起させたことを、ヴォイドは知らない。ただ、ほんのわずか。それまで息を潜めていた殺気が、痩せぎすの身から小さく漏れ出したことだけは感じ取っていた。
ゆえに――。
ヴォイドの視線の先がカーツからリリへと変わった。
そうして戦場に轟くほどの大声で、空間を震わせながら叫ぶ。
「――そうだろッ、リリ・イトゥカ!? てめえはいつまでグダってやがんだ! さっさと立ちやがれッ!! てめえがすべきことをしろッ!! じゃねえと、俺もおめえもあいつに顔向けできねえだろうがよッ!!」
その言葉に――。
肩を震わせうずくまり、涙を流していた女が、突き動かされるようにふらりと立ち上がった。未だ流れ続ける涙を何度も袖で拭き、微かに唇を動かす。
「……プロクスを……殺すわ……。……わたしの手で……」
「ヘッ、わかってんならさっさと行ってこいや。ずるずるずるずる引き摺ってねえでよ、過去にケリつけてこい。ここは俺が持つ。このボケを張り倒したらすぐに追いついてやんよ」
「……あなたは逃げなさい……。……たぶんわたしはもう戻れない……。……今度はエレミアを守ってあげて……」
「やなこった。俺に命令できんのはその雇い主だけだ。時間がねえ、さっさと行け」
リリはカーツを一瞥すると、言葉をかけることなく乱戦の中へと斬り込んでいった。突然の戦姫の登場に、戦場にみるみるうちに混乱が広がっていく。
それを見送ったヴォイドが、首を左右に倒して骨を鳴らした。
「追わねえのかよ。ま、追わせねえけどな」
「必要ない。どうせリリにブライズは殺せねえ。俺はただ、ふたりを適切なタイミングで逢わせたかっただけだ。狂犬の存在はちょっとばかり想定外だったが、概ね予定どおりだ。プロクスとリリが創造する未来は、もうすぐだ」
「……口から屁ぇ垂れんなら壁相手にやってろや。おめえの言葉は、誰にも、何も、響かねえ」
カーツがため息をついた。
そうしてすべての表情を消し、双剣を構える。
「でもま、おまえさんは殺すことにしたよ。……リリを拐かしたエレミアもな。敵ながらあいつのことは嫌いじゃなかったが、……あの日、殺しておくべきだった……」
「やってみろやッ!!」
凄まじい殺気を膨張させ、両者が同時に地を蹴った。
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