第346話 なんかもうすごい馬
そこかしこで言葉にならない叫びが飛び交っていた。すぐ近くで火花を散らす金属音が鳴り響き、わずか十数歩向こう側では人間が重なり合って、西壁から魔術師団が放った炎で大地ごと弾け飛ぶ。
怒号と悲鳴――。
ひっきりなしに降り注ぐ矢雨は、それぞれの軍が抱える魔術師部隊が上空に張った風壁により無力化され、血走った目で猛りながら騎士の波が押し寄せる。馬ごと肉は拉げ、真っ赤な霧を発生させ命が破裂していく。血と、鉄と、臓腑の臭い。
敵も味方もあったものではない。ここまで酷い戦場は、そうあるものではない。
「……」
西壁の特大鉄扉を飛び出し、堀に架かる橋をわたりきったところで第二第三大隊は足を止め、扇形の防陣を展開していた。押し寄せる共和国軍から、肉壁となって侵攻を防いでいるんだ。
ガライアが誇る高速の国境騎士団が足を止めざるを得ないのは、それだけで最悪の状況だとわかる。
騎馬隊のみで構成される第一大隊だけが戦場を割って走っていく。あの波に乗れなかった時点で、個人ではもはやどうしようもない。
「盾持ち、前へ! ファランクスだ!」
「槍騎士を急がせろ!」
西壁からはひっきりなしに矢雨と魔術の炎が降り注いでいる。ふたつの大隊で足止めしている間に、少しでもその奥にいる敵を減らす算段だろう。
屋上に設置された対竜石弩も、弓兵も、魔術師団も、すべてフル稼働させている。ここが王国にとっての最初で最後の要所で、もはや退く場などないと知っているからだ。
「詰めろ! 穴を空けるな! ――石弩隊は槍に持ち替えろ!」
だがこれではじり貧だ。第一大隊の成果次第では一気に崩れても不思議ではない。
わかってはいるが、それでも、もはや他に取れる策などないということか。
冷たい汗が額から頬へと伝った。
このままでは陥落する……。
ゴッ、と凄まじい音がして、大盾陣形が崩れた。
「ぐ……っ、退くなッ!! 跳ね返せッ!!」
その隙間を小さく細い影が抜けてくる。
「赤目が抜けたぞッ、誰か討てッ!」
「三名であたる! おまえたちは陣形を戻せ!」
他の騎士に紛れるためか鎧を纏ったホムンクルスが血肉とともにふたつの大隊を突き抜けて飛び出し、橋へと差し掛かった。
乱戦に走り込もうとしていた俺は、慌てて蹈鞴を踏む。
戻るか――!?
いや。これで陥落する砦なら、もはやとうの昔にガライアは存在しない。
ホムンクルスへと駆けた騎士数名が、投擲槍でその膝裏を打った。バランスを崩している間にホムンクルスの前方へと大盾を持つ騎士が回り込み、魔術光を帯びたその拳を盾で受け止める。
「ぬッ……ぐ……ッがあぁぁ!」
轟音が鳴り響き、大盾の騎士が橋上を数十歩もの距離を吹っ飛ばされていく。
けれどもその隙に残るふたりの騎士が追いつき、ホムンクルスの背後から関節部を斬った。勢いよく転んだやつの頸へと、切っ先が突き立てられる。
彼らは何事もなかったかのように戦列へと復帰していく。吹っ飛ばされた大盾の騎士ですら、足を引き摺りながら。
安堵も束の間。
投石機から放たれた大岩が、上空に張られた風の結界を突き破って第二大隊の中央へと着弾する。大岩は数名を下敷きにして転がり、さらに数名を轢き潰した。
それでも騎士たちは雄々しく声をあげ、肉片と化した仲間を踏みしめ前へと出ていく。対竜石弩から放たれた丸太のような巨大な矢が、敵の投石機に命中した。投石機は一瞬にして瓦解し、赤く染まった土煙が高く上がる。
あれが唯一の勝機だ。敵の投石機は西壁へともっと近づかねば、西壁屋上に設置された対竜石弩に命中させることはできない。飛距離と射角の違いだ。
「――っ」
だが、それでも。
投石から放たれた大岩が西壁にぶつかり抉る。
「ちくしょう、早くあの投石機を何とかしてくれ!」
「泣き言を抜かすな! 閣下を信じろ! 必ず破壊してくださる!」
数が違いすぎる。
これでは遊撃をしようにも。
第二大隊に空けられた穴へと走り込み、俺は最前線へと飛び込んでショートソードを振るう。共和国軍騎士を数名沈めて戦場を堀沿いに抜けようとするも、ひしめく敵の騎士たちの攻撃を受けるとすぐに押し戻されてしまう。
ああ、糞! ブライズの肉体であれば、強引に掻き分けて進んでやるというのに!
歯がゆい。
すべてを破壊して突き進むマルドやブライズとは違って、リリやカーツのように間隙を縫いながら進むのがエレミーの戦い方だが、あまりの密度にその間隙が見つからないときた。こうなってしまっては手の打ちようがない。
横から伸びた槍の穂先が、俺へと迫っていた騎士の脇腹を貫いた。
「下がれ、猟兵! 出過ぎだぞ! 死にたいのか!?」
「おまえ、ずいぶんと若いな」
手にした大盾で魔術の爆発から俺を庇いながら、別の騎士がそう言った。
だから怒鳴り返してやった。
「~~っ、俺に構うな! 死にたくなければ自分の身だけ案じてろ!」
むしろここから出たいのだ、こっちは!
そう言ってやりたいが、そのような暇はない。斬撃を受け止め、その腕を斬り裂く。
飛来する矢を剣で叩き落とし、側方から迫った騎士の足甲の関節部分を一閃する。倒れた敵騎士に次々と槍が突き刺さった。
「おおっ、いい腕だな! 少年!」
「だから俺に構う必要はないと言っているんだっ」
いっそ堀に飛び込むか。いや、金属糸のコートでは溺れてしまう。岸壁を伝ったとしても、うまく這い上がれる保証はない。
第一大隊の安否も気がかりだが、それ以上にリリやヴォイドの状況が気になる。ふたりきりで動いているのだとしたら、必ず乱戦の外側から遊撃を繰り返しているはずだ。それ以外の方法を採っていては生き残れん。
俺もどうにかして乱戦の外側に出なければ。
だが――。
戦列が崩れる。
「怯むなッ!! 押し返せぇぇーーーーーーっ!」
「赤目抜けたぞぉぉーーーーーーーーーッ!」
国境騎士の防陣から飛び出したホムンクルスが、ひとりの騎士の喉笛へと喰らいついた。
「……ぐ……っごぼ……っ」
首を振って肉を喰い破り、血肉を吐き捨てながらホムンクルスが耳障りな声で吼える。セフェク型だ。
だめだな。あの騎士はもう助からん。
だが騎士は凄まじい形相でホムンクルスの全身へと両腕を回した。
「……ぐ……だれ…………が……、……ッ……はや……ぐ……」
「――!」
俺は前線から走って戻り、騎士が捕らえているホムンクルスの両足の関節部を狙ってショートソードを振るう。
「おお!」
――ギアァァァァーーーーッ!?
橋の上にホムンクルスの足が二本転がった。
すぐさま騎士に告げる。
「動きは封じた」
「……ぁ……い……あぉ……ぅ……」
騎士は俺の方を向いて一度だけ笑うと、暴れるホムンクルスを拘束したまま、自らの足で堀の中へと落下していった。ふたり分の重い水音が鳴り響き、飛沫が上がる。あとには赤く染まった水に泡が浮かんでくるばかりだ。
込み上げる苛立ちに、俺は吐き捨てた。
「馬鹿が。騎士道などと、くだらん死に方をしおって。…………だが、見事……」
背を向ける。
感傷に浸っている暇はない。水面を注視する余裕もない。
王国軍と共和国軍が面でぶつかり合うこの位置から脱する方法は、もうひとつしかない。なるべくならばもう少し安全な位置についてから呼びたかったのだが、かくなる上は。
俺は指を咥えて息を吹き出し、リズムを刻むように何度か繰り返した。
――来い、アジフ!
この喧噪だ。無事に指笛の音が届くとは思えない。仮に届いたとしても、ここまでの乱戦ともなれば、まともな生物であれば恐れて逃げるだろう。
それでも、いまの俺にはアジフに頼る以外にここから脱する方法はない。
「糞ったれ」
だが、敵味方入り乱れる人の壁を踏みしめ、それを高く飛び越えてきたのは――長い髪のホムンクルスだった。
やはり人間とは違う。抜けてくる敵の多くがホムンクルスだ。いったいこの戦場に何体いるのか。
「まったく、邪魔臭い……ッ」
ショートソードでホムンクルスの拳と打ち合う。その凄まじい衝撃に地を掻き、俺は橋の上まで押し込まれる。
ジンと両腕に痺れが走った――が、受けきったぞ。もう入学時の非力だったエレミーではない。
暴風を纏い魔術光を宿した拳が、弧を描くように俺の顔面へと放たれた。
――キヒヒヒヒ!
「……ふん」
それをショートソードで受け流して軌道を逸らせ、すれ違い様に胸部へと刃を叩きつける。
だが、斬れん。直剣では岩斬りにならん。動かす瞬間を見極め、軟化する関節部を狙わねば。
やつが足を持ち上げた。頭を目がけて繰り出された蹴りを、さらに後退して避ける。
「面倒なッ」
刀に持ち替える暇もない。
誰かが叫んだ。
「右だ!」
反射的に視線を向けた俺は目を見はった。いつの間にか、鈍器を持った敵の騎士が迫っていたんだ。
側方から薙ぎ払われたメイスを屈んで躱し、ホムンクルスの放った魔術の炎を跳躍で避ける。
「こちらは任せろ!」
味方の騎士がメイス持ちを背後から貫くのが見えた。
俺が地面に着地する瞬間を狙っていたのだろう。ホムンクルスは嘲笑しながら伸ばした爪を背中まで引き絞り、高速で迫ってくる。
――キヒヒヒヒィィィ……ッ!
「馬鹿が、誘いだ」
わかっていた。メイスを持つ騎士がいたことも、跳躍すればその隙を狙いに来ることも。想定済みだ。
俺はショートソードを目一杯前へと突き出して、ホムンクルスの口の中へと突っ込み、喉奥から頸部まで貫いてやった。硬化したうなじの外皮にあたり貫通こそしなかったものの、頸骨を砕き貫く感触は伝わってきている。
「ほう、裡側は思ったより柔らかいようだ」
生物である限り、もはやまともには動けまい。
腹を蹴って堀へと突き落とす。
先ほどの騎士が目を丸くしてつぶやいた。
「驚いたな。赤目をあんなにあっさり討ち取るだなんて。本当にやるなあ、少年。なあ、生き延びることができたら国境騎士団に入らないか」
俺は敵騎士の剣を受け止めながら、思いっきり顔をしかめて見せてやった。
「冗談ではない。マルドのジジイなんぞに従ってたら、命がいくつあっても足りん」
ましてやマルドは俺がブライズの生まれ変わりであると気づいているようだったからな。きっとやつは喜んで、完膚なきまでに、容赦なく、俺を使い倒すだろう。
昔からマルドの依頼は無茶なものばかりだ。前世ではブライズの肉体だったから耐えられたのであって、この繊細で愛らしいエレミーの肉体では到底到底。
「わははははっ、第二大隊で歓迎しようと思ったのだが残念だ。……ん?」
「また抜けてこられたのか? まったく、面倒な!」
こんなことをしている暇などないというのに。
「いや、そうじゃない。前線の様子が……何か……」
視線を戻すと、確かに人の壁が波打つように揺らいでいた。
ヘルムを取った騎士の顔が、一瞬にして青ざめる。
「……まさか、プロクスか!?」
ここへ来て何度か聞いた名だ。詳細を尋ねようとするのだが、不思議とそのたびに邪魔が入る。俺には縁がないのか、あるいは反対に――……。
何にせよ、あのマルドが腕を失うほどの重傷を負わされ、さらに第一大隊の七割近くを削り取った存在だ。いまこそ知るべきときだろう。
「おい、プロクスとは何だ? ホムンクルスのみで構成された部隊名か?」
「部隊ではない! やつは一体だ!」
「……ああ? ちょっと待て。あり得んだろ。あのマルドが一騎打ちで敗れたとでもいうのか?」
考えられん。何かの間違いだ。
「あれが何者かは我々にもわからん! だが、人間の姿をしているだけの、ホムンクルス以上のバケモノだと思っておけ! ――まずいぞ、閣下や戦姫殿がおらねば陥落する……ッ」
陥落? たった一体の何者かによって、この要塞都市ガライアが?
人の姿形をしたテスカポリトカのようなものだろうか。いや、いくらテスカポリトカでもガライアを正面から落とすなど絶対に不可能だ。それに、マルドがあれに敗北するとも思えん。ヘタをすれば素手で殴り倒しそうだ。
大波が近づいてくる。
「く、来る……」
槍を持つ手がガクガクと震えている。それほどの相手なのだろうか。
共和国軍の前線が綺麗に割れた。国境騎士らの陣形までもが掻き分けられている。そこかしこから悲鳴が上がった。
いや、いや。違うな。どうも様子が。
「おわっ!? なんだぁ?」
「おい、こいつ誰の――」
「いでっ!? ……ええ!?」
悲鳴というより混乱だ。割って入られたというより、敵味方に依らず、誰もが戸惑いながらも自らそれに道を譲っているように見える。
騎士が眉間に皺を寄せた。
「ん? プロクスではない……のか?」
「あ……」
国境騎士らが形成する分厚い壁を掻き分け、その後方に位置する最後の数列を何かが飛び越えてきた。
馬だ。小柄だからすぐにわかった。アジフだ。
「あーっ!! 俺かっ!!」
そういやダメ元で呼んでいたのだった。けれど、まさか騎手もなしに馬が乱戦をくぐり抜け、本当にここまで辿りつくとは。恐るべしはヤーシャ族の調教か。
「……は、ははは……」
やつは堀に架かる橋へと豪快に蹄を打ちつけて着地をすると、トコトコと俺の方へと歩み寄り鼻先を寄せてきた。
――ブルル。
「……おまえ……なんかもう、すごいな……」
忠犬みたいだ。
そんなくだらないことを考えた。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




