第343話 刹那の郷愁
バレたのバレてないのはもういい。どうせあのジジイは自分の中で何でもかんでも完結させてしまう。完結しているがゆえに面白半分に言いふらしたりはせん。されたとしてもジジイの妄言で済む。ま~た何か言っているわ、てなもんだ。
そのようなことより共和国軍が来る前にリリやヴォイドと合流をせねば。つい今し方好きに動けとの許可も出た。せいぜい走らせてもらう。
「む……。ああ、糞!」
ちょうどそのとき、マルドの寝室にある狭間窓から射した光が顔にあたった。ぐだぐだしているうちに夜が明けてしまったようだ。
そう認識した瞬間、敵襲を告げる喇叭の音が西壁各所から一斉に鳴り響いた。耳をつんざくような大音量に、思わず顔をしかめる。久しぶりの感覚だ。
その直後、誰かが叫んだ。
「来たぞォォーーーーっ! 配置つけぇぇぇーーーーっ!!」
弓兵らが慌てて狭間窓につき、連装式の弩を番えて鏃を突っ込む。彼らはマルドの寝室にも慌ただしく入ってきた。
だが――!
ゴッと凄まじい衝撃が防壁全体に響きわたり、俺の目の前で弩を番えていた弓兵が吹っ飛んで転がる。
「ぐ……!」
舞い上がり降り注ぐ砂塵に蹈鞴を踏み、俺は片腕で目を覆った。
共和国軍の放った投石機だ。おそらく西門大鉄扉を狙ったのだろう。運のないことに上に逸れ、マルドの部屋に直撃したらしい。
吹っ飛ばされた弓兵は死んだのか昏倒したのか、転がったまま動かない。石壁を完全に破られたわけではないが、投石による大きすぎる衝撃と震動と轟音は、壁に張りついた弓兵をも貫くのだ。
駆け寄り、うつ伏せになっていた弓兵の男を両手で仰向けにする。
「おい!」
「……っ……」
頬を叩くと、微かにうめき声を上げた。息はあるようだ。
俺は彼を引き摺り、マルドの部屋の端に置いた。なるべく壁から離しておかなければ、追撃をもらう恐れがある。
「よし」
彼の弩を頂戴しようかと考えたが、やめておいた。
あの時代に俺が使用していた複合弓とは構造からして違う。番えるのに手間取るようでは、よい的になってしまう。狙撃はさておき、乱戦ではベルナルドくらい素速く扱えなければ話にならん。
室内に別の弓兵が飛び込んできた。
「大丈夫か!? て、こ、子供っ!? おい、おまえ、こんなところで何をしているんだ!?」
「俺が誰だろうがどうでもいい! こいつなら問題ない! 息はしている! 貴様は配置についていろ!」
「わ、わかった! ……て、言われずともだ!」
弓兵が倒れた男の代わりにマルドの部屋の狭間窓につく。
俺は廊下を飛び出して走りながら、ところどころにある狭間窓から外の様子を見る。
西壁屋上の大型の石弩から放たれた丸太のような矢が、遠くの大地を覆うように迫り来る共和国軍に着弾した。
轟音が鳴り響き、土塊と砂埃が舞い上がった。めくれ上がる大地ごと、十数名の騎士たちを吹っ飛ばす。だが、軍の損害としては微々たるもの。
「なんて数だ……!」
対して、西壁要塞の狭間窓についた弓兵は疎らだ。三カ所につき、約一名といったところか。激戦が続いたせいで、かなり数を減らされている。
弓兵でこれなら、地上で戦う騎士たちは――……。
俺は西壁要塞の出口を目指し、全力で駆け出した。
槍装備の騎士や剣装備の騎士はもう要塞内にはほとんど残っていない。街に出ている巡回騎士や東門を守っている者を除いて、要塞側は総力戦と言って過言ではない。
予備隊もないとくれば、戦力的には相当追い詰められている。
急がねば!
西門からの突撃合図はまだない。
まずは敵の大軍を引き付け、弓兵の一斉掃射により数を減らす。射線が切れれば魔術師団による魔術の応酬だ。さらに距離がなくなれば、そこで初めて歩兵や騎兵、傭兵たちによる乱戦が開始される。
それまでにどれだけの数を減らせるか。
「~~っ!?」
再び西壁要塞が揺れて、眼前の弓兵が吹っ飛ばされた。
「……」
今度は確かめずともわかる。人体が千切れ飛ぶのを見ていたから。崩れ吹っ飛ばされた瓦礫に貫かれたらしい。要塞にも大きな穴が空いた。
「……馬鹿が、崩れかけの狭間窓などにつくからだ」
血の臭いのする砂塵を突き破って走り、俺は階段を駆け下りた。その頃にはもう、爆発音が断続的に聞こえ始めていた。
魔術師同士による魔術の応酬だ。燃えるものなどなくとも、要塞外側の景色は炎に染め上げられていく。
次の階段を駆け下りた。ソードラックに余っていたショートソードをすり抜けながら引っつかみ、抜剣して鞘を捨てる。
ないよりマシだ。邪魔でも投擲に使える。
迷路のような要塞内を記憶を頼りにしながら走り抜け、ようやく外へと続く扉を開けた瞬間、再び喇叭の音が鳴り響いた。
――開門っ!! 開門っ!!
鋼鉄の蝶番を軋ませて、左扉のみとなっている正門が開かれた。背の低い俺では内側から見る戦場の様子はよくわからん……が。
大隊、というにはあまりに少なく。
二桁。
その先頭では、巨大な馬にまたがったジジイが大斧を右手一本で持ち上げながら、雷轟よりもなお轟く大声量で叫んでいた。
「誇り高き騎士どもよッ、その身にガリアを背負えィ! 第一大隊、突撃じゃあァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!」
喇叭の音が再び鳴り響き、マルドを先頭にして第一大隊が鬨の声とともに濁流のように流れ出した。深く広い堀に架かけられた橋を蹄で打ち鳴らし、すでにそこまで到達していた共和国軍騎士をものともせずに跳ね飛ばす。
馬も、人も、空を舞った。血肉となって空に爆ぜた。
いくつもの声が重なる。鬨の声であり、悲鳴であり、叫びだ。
マルドは大斧で人波を掻き分けながら戦場の奥深くへと入っていく。
数の差などものともせず、第一大隊は炎で爆ぜる敵陣へと食い込んだ。第二大隊、第三大隊がそれに続く。だが、すべて合わせても五百に満たない小さな軍だ。
あの大地一面に広がり押し寄せる共和国軍の騎士を相手に、何ができるものか。もはや俺ですら絶望を感じるほどの数の差だ。
傭兵の姿も視界に入るのはわずか数十名ほど。ほとんどいないと言っていいだろう。
やつらの原動となる金は、命あっての物種だ。死んでしまっては遣えん。
――ああ、地獄へ還ってきた。
定かではないが、リリやヴォイドの姿はなかった。だが「狂犬は生きている」というラッカの話を信じるならば、この地にいないわけではないはずだ。
おそらくブライズがよくやっていたように、開戦前から壁外に身を潜めておき、敵軍の虚をつく襲撃をしては離れる、そういう作戦を採っているのだろう。
その方がいい。マルドのように最上位の立場ではできないが、外様の存在であるならば最小限の危険で最大限の効果を得られる。
……が、ここにいる以上は、俺も正面から出るしかない。
走る、走る、走る――!
傭兵や猟兵らが完全に出払うと、壁内にわずか残った騎士たちが数名がかりで巨大な鉄扉を押して閉ざし始めた。
「閉門っ! 閉門っ!」
構わず走る。
閉ざされては出るに出られん。
騎士のひとりが、ぎょっとした目で俺を見た。
「な――っ!? こ、子供!?」
「おい、ちょっと待て! 戦場に出るつもりか!?」
「誰かあの子供を止めろ! 死んでしまうぞ!」
「構うな! 閉門を急げッ! もうそこまで共和国騎士が迫っているッ!」
立ち塞がった騎士たちの腕をすり抜けて、俺は走った。
閉ざされる直前に身を横にしながら大鉄扉――西門から飛び出す。門をくぐったのは最初がマルドで、最後が俺だ。
ゴゥンと重く低い音が背後から鳴り響き、巻き起こった風で純白のコートの裾が揺れた。
「……!」
俺の眼前には、かつて見ていた地獄のような光景が広がっていた。
血肉が弾け飛び、魔術の炎が人を灼く。様々な感情をぶつけ合うように、怒号と悲鳴が交差する。そこには善も悪もなく、ただ虚無感に駆られながら貪るように命を消費していく者の姿しかない。
いつだったか、幼い俺にケインは言った。
戦争を起こす者は悪だが、戦場に立つ者に善悪はない。それでも生きるために殺すしかない。
ヒトがヒトを殺さねばならなかった時代。
最も愚かで、最も悲しく。
けれども。それでも。
その中で俺たちは生きて、愚かさも悲しさも忘れるため、仲間と笑っていた。
最も輝いていた。
あの頃に見ていた光景だ。
「がああああぁぁぁぁぁ!」
バイザー越しにもわかるほどに血走った目をした共和国騎士が迫り来て、一切の躊躇いもなく俺へと剣を振り下ろした。
軽く身を傾けてそれを躱し、俺は手にしていたショートソードでバイザーの隙間を貫く。断末魔の悲鳴もなく、男はその場に膝をつき、その体勢のまま事切れた。
――さあ、始めようか。
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