第342話 看破する者
ラッカに続いて石造りの廊下を歩く。
西壁要塞内部は、まるで人工ダンジョンのように入り組んでいる。それも平面ではなく階層まで備わっているから厄介だ。さらには地の利を生かすため、袋小路まで造られているときたものだ。俺が共和国の兵士なら、絶対に迷い込みたくはない要塞だ。
壁面には無数のソードラックと魔導灯が、一定間隔で設置されている。いまは開戦時間が迫っているからか、そこを慌ただしく騎士たちが走り回っていた。
ラックが右を指さして口を開く。
「この廊下が外壁だ」
向かって右手側の壁には長方形の狭間窓がいくつもある。身を隠しながら弓や弩を射るためのものだ。記憶どおりであるならば、西壁上部には竜にも通用する大型の石弩もいくつか設置されていたはずだ。
あいかわらず堅固――と言いたいところだが、狭間がいくつか崩されている。おそらくは投石機による損害だ。
「ラッカ、西門はどうなっているんだ?」
「鉄扉なら片側が一度攻城兵器によって破られたよ。だから右側だけ急造で石を積んで塞ぎ、魔術師が固めて壁にしてしまった」
やはり侵入を許していたか。
壁面に残る剣や槍は磨かれているが、ところどころ魔導灯が割れていたり石壁を刃物が削ったような痕跡がいくつも残っている。ソードラックも壊れているものが多い。
どうやらガライア要塞は、想定以上に際どい状況にあるようだ。内部構造を知られることに目を瞑ってでも、傭兵や猟兵を招くわけだ。
「そこの正面にある扉が閣下の寝室だ。ちょうど特大鉄扉の真上にあたる位置にある」
知っている。マルドは危急の際にいつでも真っ先に飛び出せるようにと、最も危険な場所に部屋を設けていた。ゆえに一カ所だけ狭間が広い。マルドの通り道だからな。まあ構造上は、外から見てもわからんが。
ラッカが立ち止まり、ノックをする。くぐもった若い女の声で返事が聞こえた。
「お嬢、巡回騎士第二小隊のラッカです。客人をお連れしました」
すぐに扉が開かれる。
そこにいたのは、炎のように赤い髪を持った女だった。ただし、ガタイがベルナルドほどもある。服装は――制服だ。騎士学校のものに似ているが、タイの色は見たことがない。
彼女を見上げて、ラッカが尋ねた。
「閣下はお目覚めでしょうか」
そういえば手傷を負わされ昏睡状態だったか。室内を覗き見ようにも、女がデカくてろくに見えん。
「いえ、父はまだ……」
「そう……ですか」
父!? ええ!? ということはだ。
俺はしげしげと彼女を見上げた。
緩くウェーブした赤い髪は肩甲骨のあたりまで伸びていて、睫毛は異様に長い。やや垂れた大きな目は肉体の成熟には似合わず幼いが、微かにマルドの面影がある……ような気もしないでもない。
……が、ああ、そう。ああ。
リオナとは似ても似つかん。髪色以外は。どちらもまあ美人の部類ではあるのだろうが。
「あんたがミク・オルンカイムか?」
彼女の視線が俺へと向けられる。
「あら、ずいぶんとかわいいお客さんね」
お……お……。
なんだこのこそばゆさ。身長が俺の倍――とまでは言わないが、見上げるような高さだ。仕草は女性そのものだが、肩幅の広さから圧倒される。
すんごい見下ろされている。影に呑まれそう。
「どうしてわたしの名を?」
やはり。彼女が本物のミク・オルンカイムか。華奢なリオナが成り代わるには、少々無理があったのではないだろうか。
しかしこれならマルドが騎士学校へ入学させたがっていた理由も納得できる。服の上からでも備わった筋肉が透けて見えるようだ。誘拐事件以降、キルプスの計らいによって、彼女が希望していたレアン魔術師学校に入学していたはずだが。
「あ、や、それは~……」
言えん。おまえを誘拐した一味のひとりを、俺と陛下が匿っているだなどと。まあそのおかげでマルドの反対を押し切って彼女は希望していた魔術師学校へと入学できたのだが、細かい経緯は話せたものではない。
「閣下の~、ああ、有名な閣下のご息女だから……な。そ、そのようなことより、あんたは魔術師学校に通っていたのではなかったのか? なぜこんな危険な時期にガライアに戻ったんだ?」
「こんな危険な時期だからこそよ」
大きな、目に余るほど大きな胸に右手を置いて不敵な笑みを浮かべ、ミク・オルンカイムはそう言った。モニカやリリやミリオラも相当立派なものを持っているが、元の肉体の大きさもあって比較にならん迫力だ。もはや女性の胸というより大胸筋だ。
「そうだな。そういう考え方もあるか」
「そもそも、わたしは父の力になりたくて魔術師になったのよ。父は騎士になれ~ってうるさかったけどね」
この剛気にこの肉体。さすがはマルドの娘と言わざるを得ん。剣を握れば、さぞやよい一撃を放つことだろう。加えて度胸も据わっている。俺も騎士の方が向いていたのではと思えてきた。
そんなことを考えていたときだった。
「抜かせ、親不孝な馬鹿娘が。儂は余計な世話だと言うたぞ」
嗄れた、だがそれでもなお大きく野太い声がした。
ミクが振り返ると、ようやっと室内が見えた。オーガが着るのかと思えるほどの巨大な鎧に、飾りではないのかと言いたくなるような大斧。その側にあるキングサイズのベッドで身を起こしている白髪白髭の老人がいる。
「……して、そやつは客人か? ずいぶんと若く見えるが」
上体を起こすだけでわかる。あいかわらずの糞デカさだ。ミクですら小さく見える。
正直なところ、本当に人間なのかすら疑わしいと俺は思っている。絶対にオーガあたりの血がどこかで混ざったに違いない。マニアックな性癖の先祖がいたものだ。知らんけど。
「お父さま! 目を覚まされたのですね!? よかった……!」
「ふん、ちいと眠ったくらいで大げさに騒ぐでない」
そう言ってベッド脇にまで駆け寄ったミクを片手で雑に押しのけ、震え上がるほど鋭い瞳でこちらを睨む。その目が徐々に大きく見開かれていく。
額を押さえて頭を振り、もう一度視線を俺へと向け、やつは早口にこう言った。
「ミク、出陣の準備をしておけィ。第一大隊の生存者を西門に集結させたのち、おまえは魔術師団第四小隊を率いろ」
「え……。お父さまも出られるおつもりですか!? そんなお体では――!」
――!
たったいま気づいた。マルドの左腕、肘から先がない。
おい、嘘だろ。あの〝王壁〟マルド・オルンカイムだぞ。いったい何と戦えばそんな傷を負うというのか。例のプロクスという存在だろうか。
「ハッ、この程度、治療が済めばすべて古傷よ!」
「またそんな乱暴なことを……他人だけではなく、もう少しご自身のことも労ってください」
「むはは、そう心配するな」
マルドが首を左右に倒して豪快に骨を鳴らした。ミクはラッカと視線を交わしてから、不承不承といった具合に部屋から出ていった。
言い出したら聞かないのだ、このジジイは。昔からな。
「ルッカは下がってよいぞ。貴様も戦の準備をしておけ。……童、話がある。残れ」
「ラッカっすよ……。――了解しました!」
「……」
ラッカが俺の肩を軽く叩いてから、ミクのあとを追うように部屋から出ていく。部屋には俺とジジイのふたりだけが残された。
俺は両腕を組んでその場に立つ。そうして自身が猟兵であることを名乗ろうとした瞬間、ジジイはベッドから両足のみを下ろして膝に肘をあて、再び俺を睨みつけてきた。
恐ろしいほどの威圧だ。武器すら持たずにこれとはな。
「年を取り、死が近づくとな、他者の魂が瞳から感じ取れるようになる。大抵の悪党の中にすら、大なり小なり幼き無垢を見出すのだ。それゆえ年を経て寛容となる者が多い」
何が言いたいんだ。まったくわからん。
儂の顔面は怖いかもしれんが、恐れる必要はないということだろうか。よく言えたものだ。これほどの闘気だか殺気だかをぶつけてきておいて。
俺はあえて不敵な笑みを浮かべ、睨み返してやった――というのに。
「何を呆けておる、童。さっさと名乗らんか。時間が惜しい」
これだよ。
舌打ちをくれてやっても、マルドは歯牙にもかけん。他者が向ける悪意など意にも介さないのだ。その上、己の悪意善意だけを押しつけてくる。このような人格には裏も表もあったものではない。
だが、だからこそ、いっそ清々しい。
笑えてくる。前世とまったく同じだ。衰えが感じられん。嬉しくなってしまうだろうが、糞ジジイめ。
「猟兵エレミア・ノイだ。今日からここで厄介になる」
「ほ! ……なるほどのう。そうであったか。ならば貴様が戦姫の男娼というわけか」
おい――っ!?
顎髭をなぞりながら、やつはもう片方の手ででかすぎる鎧をあっさりと片手で持ち上げ、装着した。
前世の俺に言わせりゃ鎧なんざただの重石だが、マルドにとってのそれは衣服程度の軽さにしか感じられないらしい。あってもなくても発揮できる力に変わりがない。ならば着ておいた方がいくらかマシというもの。
「そ、そういう関係ではないっ! あいつが戦う理由にはなっているかもしれんがっ! 断じて!」
「ぐははは、勘違いするなよ、エレミア・ノイ。妙に腑に落ちただけのこと」
「それはどういう意味だ?」
マルドが壁に掛けてあった巨大な斧を右手一本で軽々と外し、背中へと装着した。
「童、貴様の瞳は汚泥のように濁っておる」
ひどいっ! 突然の罵倒!?
自身のこめかみを指先で叩きながら、ジジイは目を細める。
「自覚の有無など儂の知ったことではないが、無垢の欠片も感じん。様々な死を見続けてきた薄汚い目だ。自他に依らず死を受容してきた者の目だ。儂はな、その目を持つ男を知っておる」
やつはそう言って、不気味な笑みを浮かべた。
嫌な予感がした。
「かつてこのガリアで〝剣聖〟と呼ばれた間抜けな男よ。――ぐは、ぐははははっ、ようやっと戦場に還ったなァ、ええ、おい?」
「あ……?」
「自覚の有無は知らんがなァ」
再び呆けた俺を押しのけて、マルドは後ろ手を振りながら部屋から出て廊下を歩いていく。
「お、おい、マルド! おまえ――」
「ぶはははははっ、構わぬぞ! 貴様は好きに動けィ、童ァ! ぐははははは、愉快! 愉快!」
どでかい笑い声を残しながら、マルドは去っていった。
………………は? え?
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