第338話 戦況はさらに悪化する
最初は街道を疾走する数体の早馬だった。時刻は早朝だ。
すれ違う際に俺の方へとチラリと視線を向けただけで、彼らは転回して俺を追ってくることはなかった。それどころか一瞥さえくれることもなく、悔しげな表情でレアンや王都のある方角へと最速で走り去っていった。
翌日、次の宿場町で起床した俺は、あの早馬が何の報せであったかを思い知らされる。俺が宿場町を発つ頃、街道を埋め尽くすように列をなした大量の馬車が宿場町を通り過ぎていったんだ。官民問わず、様々な馬車だ。商人用もあれば、貴族用もあった。
停めて問い詰めるまでもなく、さすがにわかる。
「……ガライアが陥落するのか……!?」
もしその予想が合っているならば、要塞都市の陥落は建国以来初の出来事だ。
前回の戦争で一度だけ関門を破られたことがあったが、ブライズ一派で攻め手を攪乱しているうちに、マルドの国境騎士団が半日と経たず防衛と修繕の両方――どころか敵将の首を取るまで成し遂げた。
関門破りをされた当時でさえ、陥落など誰の脳裏にも浮かばなかったことだ。
だがいま、ガライアはそこに住む民を急ピッチで疎開させている。おそらくまだ時間は残されているとはいえ、陥落の可能性が高まっているからに他ならない。
軍は民が完全に避難を終えるまで、要塞都市を捨てないだろう。時間を稼がねばならない。
ガードナーはこのことを知っていたのだろうか。
「急げ、アジフ!」
長い長い車列がようやく途絶えたあとは、徒歩や押し車で荷を運びながら避難をしている人々の列だった。人々は俺の姿を見て、何度も「止まって」「ガライアは危険だぞ」と声をかけてくる。それが煩わしくて、俺はあえて少し街道を逸れてアジフを走らせた。
心臓がバクバク鳴っている。
前世からよく知るあの堅固な要塞都市がなくなるなど、俺には想像もできない。だが街道を行く避難民の列は、馬車の車列を遥かに凌駕して永遠にも思えるほどに続いている。
半日近く続いた彼らの姿がようやくぽつぽつとしか見えなくなる夕暮れ時、ようやっと俺の視界の中に要塞都市ガライアを囲う高い高い防壁が見え始めた。
「もう少しだ、アジフ」
早馬で五日はかかる道のりを、アジフは四日で走り切った。大したものだ。
薄闇の中に都市の明かりが浮いて見える。魔導の光と炎の光の両方だ。
堀にかけられた裏門の跳ね橋は、おそらく避難民のためなのだろう。いまは下ろされたままだ。槍を持った門衛の数もいる。国境騎士団だ。
高速で跳ね橋に近づく俺を確認すると、彼らは瞬時に笛を鳴らし仲間を呼び、数秒後にはもう十数名で入り口を塞いでいた。
前列に長槍を倒した槍騎士、後列に多連装型の弩を構えた弓兵と、一瞬にして防陣ができあがる。
手際がいい。やはりマルド率いる国境騎士団は、王国騎士団とは別物の練度だ。
「警告は一度だ! 止まれ!」
俺は手綱を引いてアジフを止めた。両腕を上げながら馬から下りる。
「猟兵志願だ。入れてくれ」
「だめだ! 引き返せ!」
槍の穂先も弩の照準も向けられたままだ。
「なぜ? いまは少しでも戦力を増やしたいはずだろう」
うなじのあたりが灼けるようにチリチリする。
みな気が立っているのだろう。この殺気は本物だ。ヘタを打てば同士討ちになる。
「このような危急の時期に、ただの子供がくるとは思えん。貴様、ホムンクルスというバケモノを知っているか?」
俺がこたえるより先に、他の騎士が口を開いた。
「王国ではまだその存在を伏せられている共和国の怪物だ。人の振りをし、人に近づき、人を喰らう。ガライアでは民もその存在を知っているが、他の都市では軍部ですら上層部にしか知らされてはいない」
「少年、貴様がそうではないという証はあるか!」
先頭の隊長らしき男が雄々しい声を出した。
「わかったならば去るがいい!」
そうか。こういう手で何度かホムンクルスの侵入を許してしまっていたのだな。
だが俺が人間である証拠など示しようがない。
「たとえ人間であったとしても、もはや子供の参戦でどうにかなる状況ではない!」
「もし貴様が人間であるのならば、なおさら命を粗末にするな! 去れ!」
「馬ならばまだ避難民に追いつくこともできよう! 彼らには国境騎士が護衛についているから安全だ! 合流しろ!」
「悪いことは言わん! 我らが時を稼いでいるうちに行け! ここから離れろ!」
ホムンクルスは方便。こちらが本音か。
だが俺には退けぬ理由がある。ここまで来て戻るなどあり得ん。しかし強行突破は同士討ちとなる。
どうすれば……。
ここで第三王子エレミー・オウルディンガムを名乗ったとて、到底信用はされまい。このようなことなら母上に親書でも書いてもらえばよかった。あるいは猟兵などと言わず、まだ街の中に祖父母が取り残されているから迎えに来たとでも適当な嘘をついておけばよかったのだ。
つくづく俺は頭が回らん男だ。
このようなときにセネカがいてくれれば、などと考えてしまう。
「それ以上の接近は、貴様をホムンクルスと見做す。命の保証はない」
隊長らしき男が、今度はおだやかな声を出した。
「立ち去るがいい。その若さで命を捨てることはあるまい。たとえガライアが――いや、王国そのものが地図から消え失せようとも、我らが王とおまえたち民が健在である限り、国は滅びん」
「我らはその礎となろう。おまえのような子供の出る幕ではない」
ああ、覚悟を決めている人間の目だ。強き者の眼だ。
あの頃、戦っていたみなに宿っていた覚悟の光だ。消える直前になって強く輝きを増す、生命の光だ。
「……」
うつむく。
嫌いではない。美しいとさえ思える。
こういう輝きは、いつだって俺を痺れさせる。老騎士から受け継いだ胸の奥で常に燻り続ける炎が、一層激しく燃え上がっていく。守らねばと思ってしまう。
「生きよ」
「去れ」
「引き返せ」
「王とともに」
「頼む……」
だがいまは、いかんともし難い。
「これは国境騎士の戦い。おまえはおまえの戦いをしろ」
俺の戦い、か。
仕方がない。防壁の外で野宿をし、戦場に直接出るか。しかし明日以降は、持たされた水や食糧もなくなる。
前世のように戦場に身を潜め、小動物を喰らい、蟲を喰らい、朝露を啜るか。ほぼ野人だったブライズならばともかく、エレミーの肉体では腹を下しそうで嫌なのだが。
そんなことを考えていたときだった。
「急報ッ!! 急報ッ!!」
ガライア内部から飛び出してきた伝令騎士が、大声でこう告げたのは。
「第一大隊、撤退中にプロクス軍による奇襲を受け壊滅ッ!!」
「な――っ!?」
ズグっと心臓が妙な鼓動を刻んだ。
国境騎士団第一大隊はマルド・オルンカイムが自ら率いるガライア最強最速の部隊だ。常勝無敗、山岳だろうが山林だろうが脚の強い馬で駆け抜け、敵部隊を必ず殲滅する。おそらく王国全土を見ても、これに勝る軍はない。
それが壊滅?
隊長らしき男が――いや、門を守る兵の全員が初めて俺から視線を外し、伝令騎士へと向けた。
「閣下は――オルンカイム閣下はご無事なのか!?」
「か、閣下は生還。しかしながらプロクスと打ち合い重傷です……。あれではもはや此度の戦には……」
その場に全員に衝撃が走った。俺にもだ。
考えられない。あの無敵ジジイが重傷を負わされただなどと。
「な、何という……ことだ……! おのれ、プロクスめ……!」
プロクス? 先ほどから何だ? 新手のホムンクルスの名か? だとしても、マルド・オルンカイムはホムンクルス程度を相手に後れを取るようなジジイではないはずだ。
だが俺がプロクスについて尋ねるより先に、隊長は指示を開始する。
「邪魔だ! 街道まで下がれ、小僧! ――すぐに跳ね橋を引き上げろ! 五名詰め所に残れ! 私は事態の把握に動く!」
俺を跳ね橋から街道まで後退させた直後、ガラガラと音を立てて跳ね橋が上がっていく。少しずつ。
――いましかない!
俺はアジフの尻を手で押した。
「いいか、アジフ。しばらくこのへんで身を隠していろ。俺が指笛を鳴らしたらすぐに来てくれ」
――……。
ヤーシャの指笛はベルナルドから教わった。これを鳴らせばヤーシャに育てられた馬は必ず反応するらしい。リズムはアジフ専用だ。
わかったのかわかっていないのか。アジフは俺に尻を向けて、街道脇の草を食む。
跳ね橋が上がっていく。構っている時間はない。
俺は堀を跨ぐように跳躍し、上がり続ける跳ね橋の縁へと両手をかける。見つからぬよう閉ざされるギリギリまでぶら下がり、閉ざされる寸前になってから両手の力で乗り越えた。
尻で橋を滑って音を立てぬように転がりながら着地をし、先ほどの話題で注意が散漫になっていた騎士たちに見つからぬよう、すぐさま建造物の裏に身を隠す。
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