第337話 郷愁を誘う味がした
まあ、あれだけ方々で種をまき散らしていた男だ。子供のひとりやふたりくらいはいても不思議ではない。
馬と戯れるアイシャに呆然とした視線を向ける俺に、エリーがもう一度同じことを言った。
「どうしてわたしの名を知っているの?」
「あ、ああ、それなら剣聖関連の文献で……その、読んだ……」
エリーが半眼になる。
「いくら文献に書いていたからといって、それで個人が特定できるー? そもそもわたしは剣聖様の一派じゃなくて、ただの宿酒場の給仕だったんだけど。そんなことまで書かれてる?」
――ぐふぅ!?
文献で誤魔化せないことが世の中にはあったのか!
冷や汗が出た。
「んーまあ別にいいけど」
「そ、そうか」
そういうタイプだったな、エリーは。細かいことは気にしないんだ。昔から。
未だ外でアジフとじゃれているアイシャの横顔を、俺はまじまじと見つめる。
しかし似てないなー……。
あの軽薄且つ小憎らしい顔面をした腐れ弟子と、この世にも愛らしい女の子が親子だぁ? 共通しているのは赤みがかった髪の色くらいのものではないか。どちらかといえば、顔つきはエリーに似ている。
エリーにはカーツのことを色々と尋ねてみたいところだが、そういうわけにもいかんのがこの転生体の不便さだ。知識ばかりが先行して肉体が置いて行かれてしまう。実にもどかしい。
「テーブルについて待ってて、お客さん。夕飯の支度をしてくるわ」
「感謝する。ああ、名乗っていなかったな。俺はエレミア・ノイだ」
俺は荷物を足下に置いて椅子を引き、腰を下ろした。
ずっと馬に揺られていたからか、揺れない椅子が脳と尻に違和感を与えてくる。まるで船から下りたときのようだ。こういう感覚も忘れていたな。
「いいのよ、エレミア。感謝はむしろこっちの台詞。あんたは娘の命の恩人だからね。あの子が大きくなったらお嫁にあげちゃう」
「阿呆」
カーツが義父になるだなど、考えただけでゾッとする。
顔をしかめて見せると、エリーが笑った。
「そ。わたしに似てるから、きっと美人になるのに。ざ~んねん」
父親に似ても、それなりに美形にはなったろうよ。そう言いかけて、かろうじて言葉を呑んだ。〝ラーツベルの孤狼〟を知ってはいても、その容貌まで知る者は、さすがにもう多くはない。ましてやいまの俺の年齢では。
エリーがカウンターの奥に見えるキッチンへと去っていく。しばらくしてアイシャが外から戻ってきた。
「たっだいまっ。おにいさん、アジフつないできたよ。わらの上でなでなでしてたら、お水だけのんでねちゃった。かわいいね」
「そうか。ありがとな」
ニィと歯を見せて笑う。屈託のない笑みだ。
アイシャは俺のテーブル席について、一生懸命に話をしている。他愛もない話だ。馬が好きだとか、お仕事を手伝うのは大変だとか、昨年まではガライアで暮らしていたとか。
俺はいちいちうなずきながら聞いてやる。それだけで満足そうに笑っている。楽しそうだ。
俺は子をなしたことはないが、この感覚を知っている。思い出したんだ。また少し前世のことを。
ここまで幼くはなかったが、拾った頃のリリもこのような感じだった。いや、あいつはもっと警戒心を持っていて、最初の数日間は怯えた目で俺を睨んでばかりいたか。近づけば呻る暴れるわ噛むわ、強引にいけば逃げる。いま思えば、当時から獣の片鱗を見せていたか。
手を焼いたものだ。ああ、それに関してはいまも焼かされているか。
リリも、カーツも、優秀で可愛らしく、そして本当に容赦なく手のかかる弟子だ。まったく、少しは休ませてほしいものだ。
そうこうしているうちにエリーが夕飯を持ってきてくれた。
「お待ったせ~。――アイシャ、おしゃべりは一旦ストップ、お水持ってきてあげて」
「はぁ~い」
「いただく」
「どぉぞ。まだまだあるから持ってくるわよ~」
スプーンでとろみを帯びたスープをすくって口に運ぶ。
……濃厚で、とても懐かしい味がした。
あの頃、毎日のように食っていた味だ。当時はエリーの父親が作っていたはずだが、どうやら味は完璧に受け継いだようだ。
ふわふわ卵のジャーマンオムレツを貪るように食う。これもかつての味そのものだ。最初に芋を焼いているのだろう。ホクホクというよりはカリカリしていてこの食感がまたたまらん。
ああ、記憶が蘇る。
この料理と果実酒で、俺たちはいつも宴会をしていた。勝ち戦であっても負け戦であっても、生きて戻ってきた日は必ず宴会をした。眠くても疲れていても、互いの無事を祝うのが恒例行事だった。
ああ、楽しかったとも。俺たちは確かに楽しんでいた。
ケリィが楽器を弾き、幼いリリが踊り子衣装を着て踊る。どいつもこいつも酒を傾け、俺はカーツと肩を組んで歌った。歌が調子っぱずれだと言って、そのうちカーツはエリーと部屋に消えやがる。ひとり、またひとりと部屋に戻ったり、テーブルに突っ伏したまま眠りについて、朝にはリリに叱られながら片付けをする。
いい時代だった。
いい料理だった。
いい夜だった。
「エレミア? ……あなた泣いてるの?」
エリーの声に我に返る。
気づけばアイシャがもうグラスに入った水を持って戻っていて、俺の向かいに再び座っていた。
「お、ああ、料理があまりにうまくてな」
「やーだ、父から教わったただの素人料理よ。よっぽどお腹が空いていたのね」
「……ありがとう、エリー」
「いいわよ。アイシャのお礼なんだから」
そうではない。細部にわたるまで、あの頃の夜を思い出させてくれたことへの感謝だ。
……ここにはもう、誰もいないけれど。それでも。俺は。
涙を袖で拭って笑う。
ああそうだ。もしリリやヴォイドと無事に戻れたならば、この宿酒場を貸し切って宴会をしよう。そうだ、そうしよう。きっと楽しい夜になる。一組のやつらを呼びたいが、少々遠すぎるか。だが戦争が終わった暁には、必ずみんなで。
あの頃のように。
「うまい飯に感謝くらい素直に言わせろ」
そう誤魔化すと、エリーは両手を細い腰にあてて苦笑いを浮かべた。
「それを言うなら、ごちそうさま、で十分よ」
「そうだな。馳走になった」
「ふふ、言い方がおっさんみたい。……でもそれ、昔誰かに言われたな……。ま、いいわ。お粗末様。ちゃんと足りたならいいけど」
腹をさすりながらうなずく。
懐かしくて食べ過ぎた。出されたものはすべて平らげたからな。お礼のつもりだったのだろう。とても量が多かった。
「見ての通りだ。これでは腹がつっかえて剣も振れん。ふはは」
「よーしよし。逞しく育てよ、少年。――アイシャ、空いたお皿を運んでくれる?」
「はぁ~い」
アイシャが椅子から尻を滑らせて、大皿に小皿を重ねてから両腕で抱える。
「ほう、慣れたもんだ」
「いつもおてつだいしてるからーっ」
そう言って元気にキッチンへと運んでいく。同じようにテーブルに残った皿を重ねているエリーへと、俺は静かに声をかけた。
「エリー。もしどこかでカーツを見かけたら、この場所を伝えておく」
エリーの手が一瞬だけ止まった。俺がその名を知っていたからだろう。
わかっている。大丈夫だ。今回はわざとだから。
再び片付けの手が動き出す。
「それも剣聖様の文献から?」
「〝ラーツベルの孤狼〟と呼ばれる双剣使いのカーツ・アランカルドだろう。ブライズの右腕だった男だ。ガライアには戦士が集まっている。やつも来ているかもしれん」
そう、集う。
味方はもちろんのこと、たとえ敵であっても。
「ええ、そうね。でも、ちょっと怖いな。あの人、昔っからモテるから。もうどこかで他の家族を持っていそう」
「そ、そこらへんの保証は……できかねるぅ……」
語尾が萎んでしまった。
擁護してやりたいが、こればっかりはな。まあ、あいつの女遊びの大半は、娼婦や踊り子といった商売女だったが。それでも、それを許すか許さんかは女次第だ。
……リリはだめだな。踊り子酒場で酒を飲んで帰るだけで不機嫌になっていたから。
ケリィ曰く。獣は獣でも、カーツは一派唯一の性獣だ、と。
放蕩のカーツと堅物のケリィは正反対の性格な癖によく連んでいた。互いを論じるに遠慮も一切ない。喧嘩も毎日のようにしていた。それでも一緒にいたのだから、馬が合うというやつなのだろう。
「それにあの人、まだ剣を握れているのかな。剣聖様が亡くなられたあと、魂の抜け殻みたいになってどこかに姿を眩ませてしまったのよ」
また俺の死が原因か。あいつがそこまで俺を慕っていたとは知らなかった。
俺はとこどんまでだめな男だ。己の無責任な死が何を招くか、エレミーになってから思い知らされてばかりいる。
「彼を見つけたパーカスンさんが言うには……あ、えっとパーカスンさんというのは――」
「ケリィ・パーカスンならよく知っている。文献にもあったし、俺が通っていた騎士学校に臨時講師で来ていたから」
「そう。彼が言うには、ガライアから遠く離れた街で酒浸りの廃人になっていたみたい。リリちゃ――戦姫様の手助けに一度だけ戦場に現れたって話だけど……」
「剣聖の死後は会っていないのか?」
エリーが首を左右に振った。
「数年間くらいは時々わたしのところには戻ってきてた。やっぱり抜け殻みたいだったけど。話しかけても首を少し動かすくらいで。……わたしじゃもう何をしても彼を立ち直らせることができなかった」
ならばアイシャはおそらくその頃に慰めでできた子だ。
そしてその直後、タイミング悪くカーツは共和国へ行ってしまった。リリやケリィはもちろん、エリーでさえその理由は知らないようだ。
「でも、うん。お願い、エレミア。会えたらでいい。……もしもまだどこかで生きているなら、一度ぶん殴られに戻ってきなさいって伝えてほしい」
「任せておけ。必ず伝える。アイシャを見たらきっと驚くぞ。生きる気力とて戻るかもしれん」
「だといいけど。――と、片付け片付け、任せきりじゃアイシャに叱られちゃうわ」
俺に顔を見られないように背け、大量の皿を両腕にのせ足早にキッチンへと戻っていく。エリーの声は震えていた。
まったく、手間のかかる馬鹿弟子だ。
己でまいた種くらい、己で責任を持って刈り取れと言いたい。
いや、俺に言えたことではないが~……。
その日は暖かなベッドで眠り、俺は翌日早々に旅立った。
またひとつ、想いを背負ってガライアへ。
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