第33話 地下迷宮の敵性種族2・粘着
まともなダンジョンであれば、深層に近づくほどに魔物は強くなっていく。そして最奥部に主が鎮座する。一層からドラゴンが現れるようなダンジョンはほとんどない。強者は慌てずとも糧を得れるし、平時には力を蓄え眠っているものだからだ。
人間でも同じくだ。王族は王城を都市の中央に築く。あくせく働かずとも税を徴収し、国家が飢えても訪れる死の順は最後だ。
だが、魔物にとっては必ずしもそういうものではなかったのだと、俺はいま初めて学んでいる。
「やつはいつまで追ってくる気だ」
「だあ、まだいやがるぜ。うざってえな」
ヴォイドが振り返って吐き捨てると、ミクが珍しくそれに同調した。
「ゴブリンの方がマシだね……」
早足で歩く俺たちの背後を、泥色の粘液の塊がついてくる。
不定形生物のスライムだ。しかも割とでかい。俺はもちろん、ヴォイドでさえ呑み込むほどにだ。
粘液という性質上、穴さえあればどこにでも入り込むし、取り込まれれば窒息してしまう。いや、窒息を待つまでもなく、やつらの大半は体内に毒を宿している。
自ら生成した毒ではなく、そこら中を這い回って毒の苔や毒草、毒茸を取り込み続けた結果の毒だ。ちょうど河豚が成長過程において、海の毒物を食って体内に溜めていくように。
だが危険度は極めて低い。ゴブリンよりもだ。
知性があるのかさえアヤシいし、足の速さも早歩き程度。攻撃はただただ這い寄り覆い被さってくるだけ。その際の飛びかかりにだけ気をつければいい。つまり危険の少ない下級も下級の魔物なのだ――が、剣士にとってはこれが実に厄介だ。
「オラ!」
ヴォイドが振り返り、拳大の石をぶつける。
ボチョンと重い水音がして窪んだスライムだったが、石はその体内を通過して床に沈み、できた窪みもすぐに戻った。通過後には投げた石だけが迷宮の床に残される。
ヴォイドが嘆いた。
「勘弁しろや……」
そう。物理攻撃が一切通用しない。それどころかへたに剣で斬ってしまうと、保有する毒の種類によっては刃が溶けたり傷んだりすることだってある。最悪、分裂して二体になることもだ。
捕獲するにも水の浸透しない大きな袋が必要だ。スライムを閉じ込めた袋はダンジョンに何年も残り、粘液が完全に蒸発するまでやつらは生き続ける。爪先ほどの粘液でも残っていたら生きているんだ。
おそらく四層から迷い込んだゴブリンを喰らって育ったのだろうが、この大きさでは蒸発までに年単位を有するだろう。
ちなみに一度取り込まれれば水中でもがくよりも脱出は遙かに難しく、有機物である服からじわじわと溶かされ、最後には全身が消化される。
ミクが振り返って毒づいた。
「もう、しつっこいぃ~~~! バァカ、アァホ、トンマ、ヘンタイ! ヌメヌメキッショエロ魔物!」
「やめろ。体力の無駄だ。罵声で退くような知能はないし、仮に退くほどの理解力を持っていたらスライムは上級の魔物だ。剣士の手には負えん」
「わかってるよぉ!? でもあいつ、服溶かすんだよ!? あたしの裸を見てもいいのは将来旦那様になるエルたんだけなんだから!」
こいつ……。
危機感死んでんのか。
「特にあの不良には見せたくないよぉ。野獣みたいな目ぇしちゃってさあ」
「あー? 安心しろや、オルンカイム。おめえみてえなガキの裸にゃぴくりともこねえからよ」
ヴォイドは耳をかっぽじりながら、嘲笑を浮かべている。
ミクの右頬が引き攣った。
「なんだとーっ!! この熟女マニアが!!」
「アホかてめえは。悔しかったらちったぁ女らしくなってみな」
「なんであんたのためにならなきゃならんのさ!」
俺は天井に向かって叫ぶ。
「やめろ鬱陶しい! 俺の頭の上でガミガミ言い合うな!」
俺たちは小走りでこいつから逃げ続けていた。一度は全力で走って引き剥がしてやったのだが、ニオイでも辿っているのだろうか。再び現れたんだ。
魔術師でもいれば一瞬で灼き払える魔物だが、剣士は実に無力だ。俺たち一組で魔術が使えるのは、俺たちの知る限りフィクス・オウガスのみだ。だがやつを探索に駆り出せば、重傷を負っているイルガが死ぬ。
「あ~ん、せめてこの腰の魔導灯が本物の火だったらねぇ」
「魔法の明かりではどうにもならん。言うだけ無駄だ」
ずっと走り回っているおかげで、自分たちの位置も見失った。ダンジョンというのは人工でも自然でも、どこもかしこも同じ景色に見えるから厄介だ。
先頭のオウジンが角を曲がる。
「オウジン、まだ道がわかるのか? へたに拠点に戻れば待機組を巻き込むぞ」
「大丈夫だ。大体の位置は頭に入れながら走ってきた」
「わおっ、リョウカちゃんすっごぉいっ。イキイキイキってるだけのどっかの不良とは大違いだねっ」
いつの間にか名前呼びになっている。
ミク世代の距離の詰め方は、歳を取った俺には理解できん。いや、こいつだけの個性か。
「リョウカちゃんはやめてくれないか。僕の国では女の子に多い名前なんだ」
「リョリョ」
「……リョリョ?」
「了解リョウカちゃんの略に決まってんじゃん?」
ミクは他人の言うことを聞かない。こいつを意のままに動かそうとするのは、猫に芸を仕込むくらい面倒臭そうだ。
それにしても、オウジンのやつ。黙々と走っているだけかと思いきや、頭の中で地図を作り上げていたとは。つくづく優等生だ。助かる。残り三名のパープリン軍団だったら、ダンジョン真っ只中で迷子になって死ぬまで言い争っていたところだ。
「はは。まあいいか。呼び方は好きにしてくれ。それよりあれを引き剥がすいい方法を思いついた。少し走る速度を上げる」
四人が同時に速度を上げる。
スライムはせいぜいが早歩きから小走り程度の速さだ。すぐに引き剥がせる。けれど、どれだけ角を曲がろうとも時間が経てば必ず追いついてくる。
その原因がなんなのかがわからない。臭いなのか、音なのか、あるいは微細な魔力という可能性もある。
しかし――。
この階層にはあのスライム一体しか存在しないのだろうか。先ほどから他の魔物の姿が一切見えない。
逆に考えれば、このしつこさだ。あのスライムがいるおかげで、他の魔物が巣を作れなかったのかもしれない。ゴブリンは火を恐れるため、スライムには対処できないだろうから。
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