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第329話 母と剣聖




 アリナ王妃(母ちゃん)は感極まった表情で俺に走り寄り、俺の()()を呼びながら抱きしめてきた。

 その後、母上は恐縮するイルガといくつか言葉を交わしていたような気がするが、そのあたりからの記憶は定かではない。


 俺が茫然自失から立ち直ったときにはもう、理事長室のソファで母上と向かい合って座らされていた。

 閉ざされたドアの向こう側には複数名の気配がある。おそらく一組の出歯亀か、母上の連れてきた護衛か、あるいはその両方だろう。聞き耳を立てているのがわかるが、いまはそれどころではない。


「……」

「……」


 緊張する。ぐびと喉が鳴った。

 先ほどセネカが手を震わせながら淹れてくれた紅茶には手をつけず、母上はただただ俺を困ったような表情で見つめてきていた。


 言葉はない。だが言わんとすることはわかる。彼女はどう切り出せば俺を王宮に引き戻せるかと考えているであろうことが、手に取るようにわかる。

 乾いた唇を潤すため、俺は紅茶のカップを傾けて少し口に含んだ。


「あ、あ~……。その、なんだ。は、母上。いまは戦時中です。王族が迂闊にこのようなところにまで来るものではありません。街道とて安全ではないのだから」


 彼女に対する精神的外傷は大したもんた。国王であるキルプスに対しては入学から再会を果たしても言葉遣いなど戻らなかったというのに、アリナ王妃を相手にしては、自然と王宮時代のものに戻ってしまっていた。


「もう! 困ったエレミー! その言葉、そっくりそのまま返しますよ!」

「う……」


 確かに。そうだった。俺は阿呆か。

 震えそうな手でもう一度紅茶を飲む。

 ぬ。もう空か。やたら喉が渇く。

 そんなことを考えた瞬間、ポットを手にした母上が俺のカップに注いでくれた。

 くう、勝てる気がせん……。


「わたくしが何度、あなたに手紙をしたためたと思っているのですか。それを一度も返さず、()()()に伝言ばかりさせるのですから。陛下はあなたの召使いではありませんよ」

「わ、わかってます。その、勉学が忙しくて……」


 手を胸の前で拳にして、ぷんぷん怒っている。全然恐ろしくないのが、俺にとっては余計につらい。

 しかし老けないな、この人は。キルプスは気苦労ばかりで、この二年でずいぶんとやつれたというのに。俺と母上の関係性も、おそらくその一因になっているのだろうけれど。

 板挟みだからなあ。すまん、キルプス。


「エレミー? あなたはまだ子供だからわからないかもしれないけれど、いまこの国はとても大きな危機に瀕しています」

「理解しています。騎士学校ですから。このまま学校に残れば、いずれは騎士として戦地へ行くことになることも」


 嘘を吐いた。明日には戦地へ旅立つつもりだ。だがそのようなことを言えば、きっと彼女は卒倒する。

 母上は苦手だが嫌いというわけではない。一度は人生を失敗して無様にくたばった俺に、やり直しの機会をくれた女性だ。家族として愛しているし、親としての敬意もある。

 だがこの人は、周囲を優しく包み込むような雰囲気を持ちながら、実はかなり頭が切れる。


「でしたら話は早いわ。もう帰っていらっしゃい、エレミー。本当は我が儘につきあって卒業まで待ってあげたかったのだけれど、国難の最中ではその身に危険がつきまといます。あなたが先ほどわたくしの心配をしてくれたように」


 地方領主ですらない一下級貴族の四女だった彼女をキルプスが娶った理由がそれなのだと、本人から聞いたことがある。恐れ多くも彼女はその雰囲気を武器にして、キルプスの目に届かない地方の治政にできた穴に意見をしてきたのだとか。

 通常であれば、地方の下級貴族が国王に意見をすることはおろか、謁見の機会さえないというのに。たまたまパーティーで出逢ったときに、空気など一切読まずに。あるいは読んでいた上で仕掛けたのかもしれない。キルプスはそう語った。


 以降、キルプスの方からアリナに頻繁に相談を持ちかけるようになり、いまの関係に落ち着いた。要するに彼女は、とてもそうは見えないけれども、かなり頭がよくて押しが強いのだ。

 そして俺の口論の強さといえば、女性を相手にした場合は特に世界最弱だ。泣きそう。

 母上は続ける。


「あなたに万に一つのことがあれば、わたくしはもう生きていけません。いいえ、わたくしだけではありません」


 だから彼女は微笑みながらも、平気でこういうことを言うのだ。

 自身の感情に、国家の正論を繋げて。


「王族が死ねば、この国は決して停戦も休戦も選べなくなってしまうの。エギルとはどちらかの国家が消滅するまで、戦い続けるしかなくなってしまう」


 おそらく、今日この瞬間に俺の正体をわざわざ他の生徒らの前でばらしたのも、学校に残るという俺の退路を断つためなのだろう。

 手強い……。

 血の気が引いてしまう。まるで初めてホムンクルス・セフェクと遭遇したときのようだ。


「わかっています。キル――陛下にも以前似たことを言われましたから……」

「そうなれば両国で、とっても多くの人が死んでしまうわ。軍だけではなく、民からもよ。そうならないように、あなたは騎士としての戦いではなく、王族としての戦いをしなくてはなりません。()()()()()()


 ぐうの音も出ん。俺はキルプスが王位にいるから迷いなく戦ってこられた。母上はそのような王族になれと、俺に求めている。

 うつむくしかない。


「エレミー。優しいあなたはきっと、ここに残る学友たちのことも考えているのでしょう。自分だけが戦場から逃げてしまっていいのかと。でもね――」

「母上!」

「ん?」


 母上は微笑みを崩さぬまま、少しだけ首を傾げた。

 ああ、やはり理屈ではこの人には勝てない。ならば。


「惚れた女がいます」

「…………………………はい……?」


 これにはさすがの母も面食らったようだ。何を言い出すのかと。表情から微笑みが完全に抜け落ちて、ただただ困惑している。なかなか見ない表情だ。


「そいつが戦場で待っている! いまも最前線で命を張って戦っている!」


 だがそれも一瞬だ。彼女は表情を装う。

 対面する者に、常に癒しを与えるように。だから手強い。やりづらい。


「その方は騎士なのね? ならばその方を急ぎ王都に呼び戻しましょう。名を教えて? そうね、大義のためにあなた付きの護衛になってもらいましょう。将来のことは追々考えるとして――」

「そのような要請には彼女は応じない。絶対に」


 あいつはブライズのように、命尽きる瞬間まで戦い続ける。前世の俺がそう仕込んでしまったからだ。

 そしてリリの命が尽きたとき、あるいは王命で彼女を王都に戻した瞬間に、ガライアは陥落する。王国内に要塞都市ガライアを超えるほどの防衛力を持つ砦は存在しない。たとえ王都であってもだ。


 ガライアは王国の心臓部だ。それゆえに猛将マルド・オルンカイムを領主として置いた。陥落したら、敵の刃はキルプスの首にまで届いてしまうぞ。

 だがそのようなことを子供の口から言って、どれほどの説得力を示せるというのか。

 歯がゆい……。

 少し声を落とし、俺は両手を組む。強く、強く。


「――彼女は言ったんだ。俺が生きる王国の未来を守るために、戦いに行くのだと。だから、頼むから、俺を卑怯者にしてくれるな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()彼女を、遥か高みから見物するような卑怯な人間にはしてくれるな」


 冷めた紅茶を一気に流し込み、俺は長い息を吐いた。


「王族の戦い方が卑怯だと言っているわけではないぞ。あなたは知らんだろうが、以前、陛下がレアンの墓地で命をかけるその瞬間を見た。肝が冷えた。俺は感情にまかせて動こうとした。でも、キルプスは正しかった。俺にはできない、思いもつかないすごい戦い方だった」

「きっとできますよ。陛下に教えを請えば」

「俺にはできない。その戦いはレオやアランがやればいい。キルプスもまた、俺のような戦いはできないと()()()言ってくれたことがある。()()()()()()()()()()()


 だからあの時代を乗り切ることができた。

 いつの間にか、俺はブライズに戻ってしまっていた。自覚できてはいたが、このときの俺はもう自分の言葉を伝えるだけでも精一杯だったんだ。

 これ以上は偽れない。

 そうして俺は彼女の目を正面から見つめ、口を開く。


「明日、戦地に発つつもりだ。誰が何を言おうとも耳は貸さん。キルプスにも言ったが、俺をどこかに閉じ込めておくことなど誰にもできん。彼女を救いに行く。あいつの命が擦り切れて亡くなってしまう前に。もう時間がないんだ」


 息を吸い、ゆっくりと吐く。

 そうして俺は言う。


「これが最後の我が儘だ。縁を切ってくれ、母上」


 息を呑み、母上が目を見開いた。

 そうして寂しげに、途切れ途切れにつぶやく。


「エレミー……言葉はもう、届かないのですね? それがあなたの答えなのね?」

「ええ」


 ため息をついた母上が、気配ひしめくドアの方へと視線を向けた。


「アルムホルト。いますね?」

「はっ。ここに」


 ドアが開く。

 蜘蛛の子を散らしたように一組の面子が逃げるのが見えた直後、その男は堂々と理事長室へと入室してきた。

 白髪に精悍なツラ。年齢の割に衰えなどまるで感じさせない覇気。


「失礼します」

「アルムホルト、おまえが来ていたのか!」

「陛下の墓参り以来ですな。エレミー殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」


 そうか、帽子を目深に被ってベンチで佇んでいたのは、キルプスの近衛騎士隊長のアルムホルトだったのか。やけに護衛が少ないと思っていたら、こいつが来ていたからか。

 アリナ王妃がすっかりと冷えてしまった紅茶に、初めて口をつけた。小さく喉を動かして微笑みを消し、静かに告げる。


「アルムホルト、エレミーを止めてください。王族に剣を向けることを許可します」

「……承知いたしました(イエス・マム)。少々お下がりください」


 一瞬の逡巡もなく、躊躇いすら感じさせず、王都最強と呼ばれた魔法剣士ジルベール・アルムホルトはロングソードを抜いた。


「参ります」


 そこまでするのか、母上……。


本年度の投稿は今日で最後となります。

みなさま、よいお年をお迎えください。

そして来年もどうぞよろしくお願いいたします。



楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
エルたんの言葉にホロリ( ;∀;) ボス戦続くな〜w 頑張れエルたん、大丈夫なんとかなる、、、 というかなんとかしろエルたん! 今年も楽しい物語をありがとうございました、来年も楽しみにしております!…
更新お疲れ様ですヽ(´▽`)/ 母は強し。 母ちゃんの想いがエレミアのソレを上回った感じですかね。  今年も一年間ありがとうございました。 堪能させていただきました。 来年もまた宜しくお願いします。…
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