第328話 母上襲来大混乱
目を覚ましたとき、石畳を行く七人分の足音がしていた。あたりはもう暗い。レアン北側の少し外れにある騎士学校へと続く道だ。
どうやら俺はベルナルドに背負われていたようだ。全身の痛みは消えているが、身体の怠さが残っている。おそらくフィクスの治療を受けた後なのだろう。魔術での治療は、本来なら自然回復する分を先取りしてむりやり治癒させるものであるらしいから、体力の底まで使い切ってしまったのだろう。
体重が減ってしまうな。また食わねば。
目が開いていることに気がついたセネカが、俺を見て言った。
「みんな、エレミアが目を覚ましたわ」
「……ああ。よく寝た」
ベルナルドの背から降りようとすると、丸太のような腕が俺の大腿部を締め付けてそれを阻止した。フィクスが横から口を挟む。
「まだ背負われたままの方がいいよ。頬以外は比較的浅い傷だったけれど、全身に結構な数を刻まれていたから、治療時に周辺組織のかなりの部分を魔素に変換――」
「わかったわかった。いや、わからんが。ごちゃごちゃ説明してないで、結果だけ知れればいい。治療に体力を根こそぎ使ったから背負われとけということだな?」
フィクスが苦笑いをした。
「うん、そういうこと。あと、頬は傷が残る。消したければ外科的治療が――」
「わかったわかった。頭が痛くなる。別に傷のひとつやふたつ、俺は気にせん。心底どうでもいい」
一年前のテスカポリトカとの戦いで背中に大きな傷を負ってしまったモニカが、そっぽを向いてぷっと噴き出した。
イルガが呆れたように口を開く。
「キミはそれでいいかもしれないが、ご家族は驚くだろうから、ちゃんと手紙で報せておきたまえよ。エレミアはまだ子供なのだから」
「……貴様に常識を諭されるとはな……」
「キミは俺を何だと思っているんだい? ……家族は大切だぞ。いまの家族はもちろん、昔の家族だってな」
俺を背負って歩くベルナルドが、少しだけ笑った。
だが確かに。確かにな。愚兄どもは笑う程度で、キルプスは怒った後に諦めてくれるだろう。そこまではいい。だが、アリナ王妃は。
ううむ。仕方がない。
おそらくこの中で外科的知識を有しているとすれば。
「リオナ?」
最後尾でうつむきながらついてきていたリオナが、驚いたようにバッと顔を上げた。
「へ? あ、なに?」
そうしてキョロキョロとみなを見回し、苦笑いで頭を掻きながら近づいてくる。
「えっと、聞いてなかった。へへ、ごめぇん。ちょ~っと疲れちってさ」
ああ、わかる。さすがにな。様子が変だ。何かを隠しているな。
光晶石の街灯に照らされた道の先に、騎士学校が小さく見え始めた。
だがこいつが自ら話さないことを、俺が口を割らせるのは不可能だ。そもそも剣とは違って口論にはとんと自信がない。まあ、いざとなれば助けてやればいい。
「いや、いいんだ。……大丈夫か?」
「傷だらけのエルたんがそれ言う? 痛いところはなぁい?」
「俺は問題ない」
「あたしもー」
いや、問題はあったか。
「頬の傷が残るという話だったんだ。おまえなら消せるか?」
「あらら。でもごめんね。あたしの医療知識って命を繋ぐものしかないんだ。そっちは専門のお医者さんに見てもらった方がいいよ」
そうか。そうだな。
リオナはそういう世界で生きてきたのだった。不要なものを切り捨てて、最後残ったものにしがみつき。
「いいさ。俺は顔面の傷くらい別に気にせんからな」
「あたしもー。むしろかぁっこいいよぉ」
少し無言の間があった。
やはり様子が――。
リオナが再び口を開く。
「ねえ、エルたん。いつ行っちゃうの?」
どこへ、などと問い返すほど阿呆ではない。
王国と共和国の国境線、最前線となっている要塞都市ガライアへだ。
「体力が戻っていたら、明日には発つつもりだ。遅くとも明後日だな」
「止めても……」
「無駄だな。勝手に旅立つ。俺を閉じ込めておくことはできん。誰にもだ」
誰であろうが、例えこの国の王だとしてもだ。
リオナが再びうつむき、後ろ手を組んだ。
その腰には俺が使用していた刀が提げられている。どうやら運んでくれていたようだ。
「突然だねぇ」
「最初からそういう予定だっただろうが。言っておくが、今回はついてくるなよ。おまえにいかに優れた暗殺技術があろうが、雑多に敵味方の入り乱れる戦場では役に立たんのは、誰よりもおまえが一番知るところだろう」
暗殺者とはそういうものだ。存在を気取られないから恐ろしいのであって、姿を見せてしまえば対処は容易になる。
「……お別れ……かな……」
「阿呆、辛気くさいことを抜かすな。戻ってくる。さっさと戦争を終わらせてな」
可能であれば、イルガやセネカらの卒業する一年後までには終わらせたい。でなければ、ここにいる七人の仲間たちまで騎士として全員戦場に送られることになってしまう。
このような時代ではあるが、もしも彼らがその手を人の血で染めずに済むのであるのならば、俺はそうしてやりたいと思う。かつてのリリのようにはなってほしくはない。平和な時代にだって騎士としての役割はあるものだ。
だがいまの自分に戦争を終わらせるだけの力があるとも思っていない。いや、かつての自分でさえ、たったひとりでは不可能だった。
それでも……。
俺はベルナルドの背に揺られながら上半身だけで振り返り、うつむいて歩くリオナの頭を撫でた。
「嘘をついたことはないぞ。なんだかんだでいつも生き残ってきただろう」
リオナが少し驚いたように視線を上げて、何かを言いたげに口を開き、すぐに閉ざした。そうして思い直したように胡散臭い作り笑いを浮かべる。
「そーなんだけどー……。……それだけじゃ……」
「あのな、この期に及んで約束の接吻だのなんだの抜かすなよ?」
リオナが困惑の表情を浮かべた。直後、作り笑いが舌舐めずりに変化する。
「へ? してくれるの? あれ? あれあれ~? ついに、ついにリリたんからあたしに傾いた!?」
「するか阿呆! ……そもそもリリともそういう関係ではない。……ない?」
首を傾げる。
リリがガライアを旅立つ前に勢い余ってプロポーズをしてしまった気がするが、あれはあいつの中でカウントされているのだろうか。いや、戦争に行かないならばという条件をつけたはずだったが。うむむ。
なぜかリオナが断言する。
「ない。全然ないよ」
「ないかー……。そうだな」
いや、いや、リリのことはさておき。先ほどのリオナの言動だ。
いつものような悪ふざけの類の発言ではなかったのか。では「それだけじゃ」に続く言葉は、いったい何だったのか。尋ねてもこたえてはくれないのだろうが。
それまで黙っていたベルナルドが機嫌よさげにつぶやいた。
「もうすぐ着くぞ。お疲れだ。エレミア」
「ああ、ベルナルドもな。毎度毎度背負わせてばかりですまん」
肩を揺すって大男は笑う。
「たまには、背負ってもらおうか」
「潰れてしまう……」
みんなが笑った。気持ちのいい笑いだ。これも今夜が最後になる。故郷を持たない俺には王都であっても郷愁などなかったが、この胸を穿つような気持ちがそうなのかもしれないな。
ああ、もうレアン騎士学校が目の前にある。帰ってきた。ここへ。
セネカが指さしながら言った。
「あら、正門に馬車か停まってるわね。こんな時間なのに」
馬二頭で引く中型の馬車が停まっているし、いつもなら詰め所にいる学校の門衛が馬車に付き添うように、あるいは見張るように近くに立っている。
「よもや俺がヴォイドとの約束を繰り上げて一年でテスカポリトカに挑んだように、オウジンが目的を達成して戻ってきたのかもしれんぞ」
冗談めかして言うと、モニカがふるふると首を振った。
「わたし、手紙でやりとりをしてるから。それはまだだよ」
「……エルたん」
リオナに言われて気がついた。
少し離れた位置に置かれたベンチには、煙草を吸っている帽子の男がいる。こちらの様子をうかがっている気配がある。わからんが、手練れかもしれん。首筋がひりつく。
イルガが言った。
「ふむ。うちの学校はいつも理事長が不在な上に、戦姫であるイトゥカ教官も出征してしまったから、騎士団以外の来賓などはないはずだが……」
「馬車は騎士団のものではないな。エンブレムがない。退学願いを出した貴族学生の迎えか何かではないか。いずれにせよ、俺たちには関係のない話だ。堂々と素通りしてやればいい」
全員がうなずく。
だが俺たち八名が正門近くまで来たとき、馬車の扉が開いた。
そこから転がるように飛び出してきた貴族風の服装の女性の姿に、俺は度肝を抜かれた。あんぐり開いた口が閉ざせない。それこそテスカポリトカとの再会など比較にならんくらいにだ。
一瞬でどぶしゃあと汗が噴き出す。
セネカがパチンと手を合わせて感嘆の声を上げた。
「わあ、綺麗な人。ドレスがすごく似合ってる。アテュラにも見せてあげたいわ」
だがそれ以上に度肝を抜かれていた男がいた。
イルガだ。なぜなら王都に名を連ねる名門貴族フレージス家の嫡子として、唯一彼女に会った経験を持っていたからだ。
俺とイルガが驚愕に目を見開いた表情で頭を抱え、ほとんど同時につぶやいていた。
「お、お、お、王妃殿下!? な、なぜこのようなところに!?」
「ひぃぃ、母……う……え!? なぜここに……!?」
数秒後、イルガが目玉がこぼれ落ちそうなほどにさらに瞼を開き、アリナ王妃から俺へとギョッとした視線で凝視する。
「え!? ハ、ハウ・ェ?」
さらに数秒後には、驚愕が伝播していた。
「な――っ!? ちょ、ちょ、ちょ、待ちたまえ……!? 彼女はこの国の……!」
「……エルたん? 王妃……殿下……? 母上……?」
「エレミア!? あなたまさか……」
セネカが引き攣った顔で額に手をあてた。
「……これ何の冗談よ……。夢よね……?」
しまった! やっちまった! 最悪の失言だ!
「う、うあぁぁぁぁぁ!」
俺がそれに気づいたときにはもう遅かった。その場にいた俺とアリナ王妃を除く全員の視線は、すでに俺たち親子の間を行き来していたのだった。
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