第327話 王の矜持
テスカポリトカがイルガへと向けて地を蹴った。無風の第九層、建造物内部で暴風を巻き起こしながら迫るバケモノに、反応が間に合っていない。おそらく見えてはいるのだろうが、肉体がついてきていないといったところか。
イルガが剣を引き、構えに移る頃にはもう手遅れだ。
「速――っ!?」
「ぬぅあ!」
だが寸前、槍の穂先がイルガを守るように突き出され――るよりも先に、俺はもう駆けるテスカポリトカの側方から襲いかかっていた。
「どこを見ているッ!」
――オオォォ!
やつがイルガの頭部に振り下ろした爪を、俺は下段から斬り上げる。ギィィと金属の擦れる音が響いて爪の軌道が逸れ、イルガの真横の空間を貫いた。
バケモノの視線と俺の視線が交差する。
「――ッ!!」
――……ッ!
やや遅れて突き出されたベルナルドの槍を、やつは大きく飛び退いて躱し――そうして目を見開いた。
ジャガーの表情など終ぞわからんが、だが過ぎった感情は明白だ。
驚いたろう。正直俺もだ。
肉体と魂が馴染む。まるで前世のように。
このエレミーの肉体で何ができるか、ここにきてようやっとつかめてきた。ブライズの魂でエレミーの肉体をむりやり動かそうとするから齟齬が生じていたんだ。
獣に戻り、ようやくそれが実感できた。
やつのバックステップに寸分違わずピタリとくっついて跳躍、着地しながら刀を振り下ろす。テスカポリトカの両腕の爪が交差され、刃とぶつかり合った。
岩斬りなら爪ごと胸部を抉ってやれるのだが、残念ながら俺の岩斬りは自身を遥かに凌駕する体躯を持つ相手には、よほどの好条件が揃わない限り上段や下段からは放てない。上段からでは刃の進入角が調整できず、下段からでは力が足りないからだ。
ギィンと金属音が響いて跳ね返される。
「ち……!」
――オオオオオオオオォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!
跳ね返されようが、やつが攻撃に転じようが関係ない。後退はしない。俺は左右同時から顔面を輪切りにすべく放たれた爪をかいくぐり、もう一度踏み込む。避けきれずに刈り取られた金色の髪が視界で舞った。
だが入ったぞ。無防備なやつの懐へ。
岩斬り――!
左後脚を目がけて横薙ぎに繰り出すが、しかし刃に速度をのせる前に、唐突に伸ばされた右後脚の爪によって食い止められた。
「そんな芸当を隠していたか!」
不発だ。刃は半ばまで入ったが斬れなかった。
――オオオオォォォォ!
それどころか強引に刀を押し戻された俺は勢いよく吹っ飛ばされてフロアを転がり、全身を打ちつけながら大きく距離を離された。
視界が歪む。
「ぐぅ……!」
倒れ込んだ俺へと、ギギギィィィィと音と振動が迫った。
視界の中のテスカポリトカがフロアの石床を引っ掻きながら高速で迫り、倒れている俺を右の爪で斬り上げる。
「~~っ!!」
寸前で両腕を突っ張って身を反らすが、頬を掠めた。それだけで傷が口内まで貫通したことがわかる。舌が無事だったのは僥倖だ。
掘り起こされた飛礫が天井を穿った直後、やつは空間を裂きながら今度は左の爪を俺の頭部へと振り下ろした。
――オオオオォォォォ!
刀では受けきれない。受ければいかにフアネーレ商会の高級品といえども曲がってしまう。そうなれば岩斬りが使えなくなる。あの技は現状、肉体の幼い俺にとって生命線にも等しい。
だから――!
見ろ、見ろ、見ろ――ッ!!
目をカッ開く。己を貫かんとする凶悪なる爪へ。
爪が全身を引き裂く寸前、俺は柄を放した右手でその爪を側方から押した。膂力の差は歴然。俺が全力でやつの攻撃を押して流そうとしたところで、素手ではやつの爪の軌道を変えることさえできないだろう。
だからあえて両足から力を抜き、やつの爪を叩いた反動で己の肉体を外に逃がした。目標を失ったテスカポリトカの爪が石床のフロアに突き刺さる――瞬間、地を蹴って反転攻勢に出た俺は、フロアから引き抜かれたばかりのテスカポリトカの左腕へと、横薙ぎに岩斬りを繰り出していた。
「ぐるあああああッ!」
ずぐり、と入った刀の刃は毛皮を引き裂いて肉を断ち、骨を挽く。
手応えは一定。決まる。
次の瞬間、これまで以上に大きく、高く。天井に触れそうなほどにまで跳躍し、距離を取ったテスカポリトカからとてつもない声量の悲鳴が上がった。
――ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?
やつの左腕は地面に突き刺さったままだ。後退した肉体に左腕はなく、鼓動のたびにバシャバシャと大量の血液をこぼしていた。
テスカポリトカにホムンクルスのような再生能力があるのであれば、モニカに断たれた爪やベルナルド、イルガに貫かれた傷も自ら塞いでいたはず。だが、やつにはできなかった。つまり、失った腕の修復はない。
戦わずとも守り逃げ、放っておけば死ぬ。
俺の勝ちだ。
――オオオオオオオオォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!
それでもやつは吼える。力強く。己を誇るように。変わらぬ敵意を俺へと向けてだ。
それが生態系に君臨する王ゆえの矜持か、あるいは自らを生み出した人類に対する恨みか、あるいはただ一匹の獣としての生への無駄な足掻きか。
――オオオオオオオオォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!
何度も何度も吼える。嘆きではなく恐怖でもなく、ただ闘争を求め。
その姿を見て心の底から思う。
美しい、と。
ゆえに。胸、躍る。自然と口角が上がった。
俺は刀を正眼に構える。
「いいだろう。かかってこい。俺は逃げん。――貴様に引導を渡してやる!」
――ウオオオオオォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
隻腕のバケモノが咆吼し、俺へと飛びかかってきた。大量の血液をまき散らせ、爪を存分に振るい、喰らいつかんとして牙を剥く。俺は刀で受け流し、避けて、やつの毛皮を刻む。額から流れる汗と血の混じった液体が目に入っても、一瞬たりとも視線は外さない。視界が赤に染まろうともだ。
「ぐおらあああ!」
――オオオォォォォーーーーーーーーーーッ!!
二体の獣は己の持てる限りの武器を使い、互いの命を喰らいあう。
血が、汗が、命が飛び散っていく。
「……は……はは……」
不覚にも――。
本当のガキのように胸が高鳴っていた。血を吐くような息苦しさの中で必死になって武器を振るいながらも、たまらなく楽しかった。
周りにいるはずのクラスメイトのことさえ、途中からもう頭の片隅にさえなかった。テスカポリトカもまた、俺以外の人間を狙うことをやめていた。
何度もやつの爪が掠める。防刃繊維でできているはずの制服がズタボロだ。致命に近い傷もいくつか負った。それでも肉体は止まらない。互いに笑みが浮かぶ。
やめられるか、こんなこと――!
斬って、裂かれ、貫き、吹っ飛ばされる。転がり、膝を立て、走る。血を吐き、血を浴び、ぶつかり合う。血風が吹き荒ぶ。
どれくらいそうしていただろう。やがてテスカポリトカは前後に揺れて、そのまま仰向けとなって倒れた。そうして一度俺に視線を向けてから目を閉ざし、ゆっくり、本当にゆっくりと、長い長い、息を吐く。
……その胸が膨らむことは二度となかった。
もはや刀についた血を払う体力さえなかった俺は、そんなやつの姿を見た瞬間に両腕から柄を取りこぼし、両膝をついて地面に倒れ込む――寸前で、モニカに抱き留められる。
「お疲れさま、エレミア。頑張ったね。すごく頑張ったね。やっぱりあなたすごいよ。リョウカさんに見せてあげたかった」
「…………ああ~……、…………楽し……かった……ぁ……」
イルガが俺の取り落とした刀を拾ってくれた。その目元が潤んでいる。慌てて指先で拭って、やつは唇を曲げて言った。
「まったく、ひと言めがそれか。呆れたやつだよ。……キミはいったい何度、俺を驚かせれば気が済むんだ」
「イルガ、それよりも瓦礫の除去だ。急げ」
ベルナルドがイルガを伴って、階段を塞ぐ瓦礫の除去を始める。生贄の祭壇の撤去は重そうだが、ベルナルドとイルガなら問題ないだろう。
やつらの背中を見ながら俺は考える。
もうこの学生たちには、俺や三班の庇護は必要なさそうだと。彼らは個としても集としても、十分に強くなった。集であれば、ホムンクルスの一体くらいはもう屠れるだろう。
――例え俺が、いなくなったとしても……。
我知らず、安堵の息が漏れる。
嬉しいんだ。前世の弟子たちが成長したときのように。嬉しい。泣きたいくらいに。
「エレミア、疲れた? 少し眠る?」
モニカが俺を胸に抱え、片手で頭を撫でながらそう尋ねてきた。
ようやく、旅立てる。あの地獄へ。長かった。
……リリ。もう少しだ……。
「……ああ……すまん……」
「うん。いいよ。そのまま眠って」
こうして俺たちは無事にテスカポリトカの討伐を成し遂げた――のだが、同時刻、学園都市レアンにテスカポリトカ以上に厄介な存在が現れていたことを、俺たちは知る由もなかった。
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