第32話 戦姫と剣聖
リリは旅芸人の一座にいた小さな少女だった。だが一座は運悪く戦場に足を踏み入れてしまい、リリを残して全員が死んだ。一座を潰したのが共和国軍なのか、それとも王国軍だったのかさえわからない。
戦場にどちらの国の鎧も装着せず、どちらの国の剣も持っていない一団がいたのだから、諜報活動を警戒する両国家にとってはやむを得ない措置ではあったのだろうが、人生の結末としては最低の類だ。
俺が報告を受けて馬車のもとに辿り着いたときには、すべてがもう終わっていた。共和国軍の小隊に見つかって足止めされ、戦っていたからだ。間に合わなかった。
だが引き返そうとしたとき、割れて壊れた車輪の隙間から、荷台の下に隠れて泣いている少女を見つけたんだ。
あいつは覗き込んだ俺を見て、ひどく怯えた。泣いて叫んで後ずさった。だが壊れた馬車の下だ。逃げる場所もない。
会話にもならない。
あまりに面倒で馬車の下から強引に引きずり出し、馬に乗せて連れ帰った。
その日から俺は、少女の扱いに困惑した。
一座の踊り子の見習いだった少女は、自らの名をリリ・イトゥカと名乗った。変わった名だ。どこか別の大陸から流れ着いた流浪の民なのだろう。
騎士団で面倒など見れるはずもなく、キルプスに押しつけ――あ、いや、仕えさせるには出自がわからない。
どうせ踊り子見習いならばと娼館宿にでも預けるかと考えたが、それは本人から明確に拒絶された。一座の踊り子は遊女を兼ねる。彼女らを見ていて、思うところがあったのだろう。
次にブライズは孤児院をあたった。だが戦時中の孤児院は王都在住の戦災孤児であふれかえり、どこも受け容れるだけの余裕はなかった。
当時の情勢ときたら、泥沼の戦争どころか血の池地獄のような状態だったんだ。
助けたことに後悔はないが、俺は頭を抱えた。妻子を持たなかった俺にとっては、かつてない悩みだ。
結局のところ、当時数名しかいなかった俺の門下、ブライズ一派の下働きをさせるしかなかった。少なくとも食うに困らせることはない。
とはいえ、いまも昔も俺たちに流派はない。“型無し”だ。
みな訓練時には思い思いに剣を振る。互いを相手にしての実戦形式でだ。まるでガキのチャンバラ遊びみたいにな。あーでもない、こーでもないと、互いの剣術を擦り合わせながら。
リリは掃除や洗濯をしながら、そんな俺たちをいつもうらやましそうに覗いていた。遊んでいるように見えたのだろう。実際、俺たちにとって剣術の研究は遊びにも等しかった。
ある日、覗くリリの様子を見ていた門下生のひとりが、おもしろ半分にリリに木剣を持たせた。それが始まりだった。
あいつは早朝誰よりも先に起床して炊事や洗濯を終わらせ、昼食後からは俺たちの訓練に混ざるようになっていった。門下生はみんな、小さな少女を妹のように可愛がった。それはもう過保護なくらいにだ。いまのクラスメイトどもが、エレミアを守ろうとしていたように。
当時のリリはまだ、いまの俺と同じくらいの年齢だったか。
ある日、共和国軍との戦場に出て気づけば、自分の後ろに木剣を持ったリリがいた。
俺は目ん玉飛び出るほどに驚いた。雑多な戦場では気配を探れない。俺はリリがついてきていたことに、気づいていなかったんだ。
その日の戦いはひどいもんだった。何の役にも立たんガキを片腕で小脇に抱えて、もう片方の手で重い特大剣を必死で振り回し、戦場中を逃げ回った。
剣聖と呼ばれるようになる遙か前の出来事だ。騎士連中はそんな俺を見て、野良犬が子犬を拾ったと笑った。だがこの件に関しては笑われても仕方がない。
俺だって笑ったからな。その日の夜は弟子どもも俺も揃って大爆笑だ。
次の戦場でも、リリはついてきた。
もちろん俺は許可など出していない。俺たちを見送った後、装備を調えてこっそりと勝手についてくるんだ。何度叱っても、リリは俺の後をついてきた。おかげでしばらくの間は、門下生全員を巻き込んであいつを守る羽目になった。
思い出しても、あの当時は散々だった。リリを守るために手柄を挙げる暇すらなかった。本当に散々だ。笑えるくらいに、散々、楽しかった。
ブライズ一派は当時の状況を楽しんでいたんだ。今度はこの子犬が何をしでかすやら、とな。
数年が経過して、あいつの手足は伸びた。
ちょうどいまのクラスメイトくらいだ。その頃にはもう、リリは門下生の誰にも守られてはいなかった。一人前になったんだ。
いや、なっちまった。
……人殺しを覚えてな……。
戦場という狂った状況で剣を持った日から、いつかこういうときがくるだろうことは予想していたが、俺は複雑な気分だった。
ぶん殴ってでも、戦場になど出すべきではなかった。
己の剣をへし折ってでも、鍬に持ち替えるべきだった。
リリ・イトゥカを、俺が人殺しに育て上げてしまったんだ。
俺はただ、あいつに生き延びて欲しかっただけだった……などともっともらしく抜かしたところで、剣を捨てられなかった男の未練が、少女を巻き込んだ事実は変えられない。
俺に子育てはできない。あらためて、そう思い知らされた。
「はぁ~……」
壁際に座ってぼんやりと昔を思い出していた俺の前に、ヴォイドが立った。長い影が落ちて、俺は視線を上げる。
ヴォイドは泥だらけになっていた。
先ほど上がってきた階段を、男子生徒らが岩や瓦礫を運んで塞いだんだ。ここを新たな拠点にするために。ゴブリンが上がってこないように。
「よぉ、エレミア。疲れたかよ?」
「そういうわけじゃない。俺は力がないから、岩運びを手伝わなかっただけだ」
すっかり埋もれた階段を指さす。
「剣を振るために肉体を休めていた。もう回復は終えている。おまえこそ疲労はないのか、ヴォイド?」
耳に小指を突っ込んで、ヴォイドが顔をしかめた。
耳たぶには金属片がついている。ブライズ時代にはなかったお洒落アイテムで、ピアスというものらしい。耳たぶに穴を開けて装飾のついた針を通すのだとか。
何を好き好んで自身に刃を入れるのか。貫かれるのは戦場だけで十分だ。
「あー? 誰に言ってやがんだ。疲れてねえならそろそろ立ちな。三班は探索に出る。それとも、ただの強がりならここに座ってたっていいんだぜ」
ヴォイドの視線の先では、すでに探索準備を終えたらしきミクとオウジンが何かを話し合っている。
俺の視線に気づいたミクが、こっちに向けて笑顔で手を振ってきた。
「わかった。行こう」
「マジで無理はすんじゃねえぞ。ガキなんだからよ、適当に守られてたっていいんだぜ?」
そのガキを昔戦場に立たせてしまっていたのは俺だ。休めるものか。
俺は尻についた砂埃を払いながら立ち上がり、ヴォイドのケツを蹴ってやった。
「しつこいぞ、不良。おまえこそ岩運び如きで疲れたからと言って手を抜くんじゃあないぞ」
「………………クク、クックック」
面食らったヴォイドが、唐突に噴き出して笑った。
なぜか愉快な気分になって、俺も笑った。
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