第324話 生息空間の悪神⑤
11/30追記
インフルAに罹ってしまいました。
現状執筆できる状態ではないので、次話まで少し間が開きます。
いつもお読みいただいている方々には申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。
いるな……。
一年前は瘴気という時間制限の中、モニカが囚われグールに追い立てられ逃げ込むようにこの塔を駆け上ったせいで気づかなかったが、生物が生活している臭いがある。魔物や魔獣が漂わせる獣臭ではない。腐臭でもない。
鉄さびにも似た鮮血臭だ。どうやら食事中だったようだ。
「モニカ、平気か?」
「……?」
四人分の足音が響く。螺旋のように造られた階段を上がっていく足音が。
イルガを先頭に俺とモニカが続き、ベルナルドが最後尾だ。イルガの背中からは、極度の緊張が伝わってきている。だからわざと聞こえるように言ってやった。
「よもや恐怖に囚われてなどいないだろうな?」
「うん。一年前はほとんど意識がなかったから。こんな場所だったんだね」
気絶していたのは不幸中の幸いだな。もし思い出し怖じ気づくようなら、待機組に行かせるつもりだったが、心配はいらないようだ。むしろイルガの方を気にかけるべきか。
だが、強張った背中ではあるものの、その歩みに迷いや淀みはない。最後尾につく兄の存在のおかげか。
階段を上がるほどに鮮血臭が増していく。
二階が近づいてくる。もう気配がつかめる。体温すら感じる。それどころか、クチクチと何かを咀嚼する音さえも。
「エレミア。話に聞いた生態よりも、危険だ。おそらく」
ベルナルドの呻るような低い声に、俺は振り返ってうなずいた。
「やはり、おまえもそう思うか。以前は気づかなかった」
「どういう意味だい?」
イルガの問いかけに、ベルナルドがこたえる。
「知性体ということだ。俺たちを、あえて迎え入れている」
俺たちが塔に侵入したことなど、おまえならばとっくの昔に気づいているだろう。ならばなぜ吼えて威嚇をしない。なぜ襲ってこない。
それは本来あるべき魔獣の生態ではない。
モニカがベルナルドに尋ねた。
「えと、だとしたら、グールのように罠を造っている可能性はない?」
「わからん。だが、肉体のみで生態系の頂点にいるものは、罠を張る必要はない」
階段が終わり、イルガが振り返って唇の前で指を立てた。
「そこまでだ。罠だとしても、まず俺が斬り込む。みんなはその後に続い――て? おい、エレミア!?」
俺は抜刀し、生贄の間へと続く壁を背負ったイルガの前を通り過ぎて、二階フロアへと歩を進める。
「奇襲は無駄だ。やつは鼻が利く。俺たちはすでに、やつに迎え入れられている。せいぜい堂々と立ち入ってやろうではないか。――なあ、テスカポリトカ!」
佇んでいた。生贄の台座に腰を下ろし、人間がそうするように後脚に前脚の肘だか膝だかを置き、こちらを睥睨していた。爪に刺したグールの腕から肉を食い千切りながら。
やつは俺たちを見るとグールの腕を丸呑みし、肉と骨を砕く音を立てながら大きく喉を動かす。
モニカが吐き気に抗うように口元に手をあてた。
「う……」
テスカポリトカの血塗られた口角が大きく上がっていく。
わかるぞ、わかる。嗤っている。悦んでいる。あの日逃がした獲物が自らやってきたのだから。
人狼に似た容貌の、だが比較にするも馬鹿らしくなる巨大なバケモノ。光晶石の光すら通さない漆黒の毛皮は付着した血の赤を完全に呑み込み、四肢すべてに鋭く伸びたショートソードほどの爪を備えている。
「むう」
ベルナルドが背負っていた槍を両手に持つ。そうして牽制するように器用に取り回し、穂先をやつへと照準した。
「ジャガー神。辺境の遥か東、森の終端にあるロッド遺跡の壁画で、見たことがある」
「ジャガー神? テスカポリトカではないのか?」
「辺境の民には、そう呼ばれている。先史文明では、テスカポリトカなのだろう。気をつけろ、おまえたち。やつは、先史では確かに神と崇められたもの。ただの魔獣ではない」
イルガとモニカが、弾かれたように抜剣した。
「勝てるのか、俺たちがそんな相手に……!」
「~~っ」
だが、俺にとっては。
俺は嗤う。テスカポリトカが俺たちを見てそうしたように、口を裂いて嗤ってやった。ベルナルドのその言葉が、やつにしてはあまりに的外れだからだ。
テスカポリトカが生贄の台座から立ち上がった。後脚で。前脚、右腕は生贄の台座に置かれたままだ。
「な、何をするつもりだ!?」
「力を貸して、リョウカさん……!」
息すら忘却の彼方へと押し流されるような威圧に、イルガとモニカが一歩後退する。
だから俺はあえて前に出た。ふたりよりも、堂々とその場に立っているベルナルドよりも前へ。そうして切っ先を持ち上げる。
嘲るように嗤いながらだ。
「先史の神だと? だからどうした? くだらん! ああ、実にくだらん!」
先史の神だが何だか知らんが、こちとらその先史の時代より現代まで絶えず崇め恐れられている古竜を、前世で殺している。剣を頭に突き立て脳を掻き回してだ。
そのときに知ったものだ。不死の存在などない。心技体が及べば剣で殺せぬ道理なし。
ゆえに――叫ぶ! 声の限りに!
「いちいち気圧されるなッ!! 人類が得体の知れん魔物や魔獣を神扱いするのはッ、いまも昔も変わらんただの悪癖に過ぎんッ!! 信じろッ、今日まで積み上げてきた己の研鑽をッ!!」
ここで対峙しているのは神と人ではない。魔獣と獣。ただそれだけだ。
俺の叫びに呼応したかのようにテスカポリトカが咆吼する。
――オオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
塔内で音波が全身を貫いて反響し、さらに貫く。俺たちが反射的に両耳を塞いだ――瞬間、視界が岩石に覆われた。
「――ッ!」
それが生贄の台座であると気づく間もなく、とっさに地べたを這うようにかいくぐった直後、それは俺の後方、イルガとモニカの立つ隙間を抜けて後方の壁を轟音とともに突き破り、凄まじい震動を巻き起こしながら外壁の内側へとぶつかって螺旋階段で止まった。
濛々と立ちこめる砂煙の中で、イルガが途切れ途切れにつぶやく。
「た、退路が、断たれ――」
生贄の台座が突き崩した壁が瓦礫となって、螺旋階段を埋めてしまっていた。逃げ道はない。
けれども。ああ、けれども。
「く、は、ははは!」
イルガのつぶやきのその先を聞くには、少しばかり距離を開けすぎていた。なぜなら俺は、すでに地を蹴り、抜き身の刀を構えた状態でテスカポリトカの懐へと踏み込んでいたからだ。
さあ、楽しもう――!
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。