第321話 成長しない男
余韻に浸る暇もなく、リオナが指さす。
「次はそ……っち――」
そのときにはもう、モニカがリオナの脇を疾風のようにすり抜け、草木の隙間から走る速度そのままに飛び出してきたグールの頸を、すれ違い様に音もなく断っていた。
あれでは斬られたことにすら気づくまい。
グールは胴体に乗っかっただけの状態の頭部をずらしながらモニカを通り過ぎ、その背後、一組の集団の前で数歩走り――唐突に膝を折って倒れ伏した。ざあと血だまりが広がり、頭部だけが俺たちの足下を通過して転がっていく。
見事――っ!
その一言に尽きる。
何の迷いもない太刀筋は、まるで何年も何年も同じ流派の、それもただひとつの型だけを愚直に積み重ねてきたのと遜色ないほどの鋭さだった。
実際はわずか一年足らず。貴族剣術を稚拙に振るうしかできなかった少女が、よくぞそこまで空振一刀流を取り込めたと感嘆する。想像を絶する愛の重さだ。
リオナが俺を振り返って苦笑した。
「あたしの助言、もう必要なさそうかも」
「いまは、な」
俺は肩の力を抜いて笑い返す。
抜刀の必要はなさそうだ。リオナと同じく、俺もまた手助けの必要性を感じない。
フィクスやモニカだけではなかった。みなが独自に動く。まるで最初のカリキュラムで、一組全体を自由に動いて守っていた頃の俺たち三班のように。
セネカが指示を出す前から個別に動き出し、次々と襲いくるグールを仕留めていく。必要になったときにだけセネカは指示を出し、躊躇いなく全員がそれに従う。
陣形は俺とセネカ、そしてリオナを中心に置いた流体のようだ。ベルナルドやイルガが力強く強固に敵を跳ね返したかと思えば、ときにはあえて陣の奥深くまでやつらを誘い込み、勢い余って入ってきた敵をモニカが自在に斬る。
フィクスは殺傷力こそあえて抑えているものの、遠くの目視範囲にいる敵を早い段階で次々と減らし、行動不能にしていく。やつらの復活をレティスが、辿々しくはあるが弩で阻止しているのも、地味ながらかなり大きい。
そしてそのふたりが狙われたときに、セネカの指示と同時に力があり小回りも利くイルガが前線から退き救いにくる。
いまも。レティスの頭部を目がけて、石斧が振り下ろされる。
「ひ……」
「させるものかよ!」
飛び込んできたイルガが左の掌で横から押すようにして逸らすと同時、手にしていたロングソードでグールの左胸を正確に貫き、さらにその後方から襲いきたもう一体へと死骸をつぶけるように蹴り放す。
「はあッ!」
二体のグールが転がった瞬間、下敷きになった方の額にレティスの矢が突き刺さった。
「助かったぁ、あんがと~……」
「なぁに、騎士としての務めを果たしただけのことさ!」
「まだ騎士じゃないじゃぁん?」
「はは、それは言わないでくれたまえよ~」
何を抜かすか。騎士剣術に素手で敵の得物を防ぐようなイカれた技はない。少なくとも俺は知らんし、騎士学校でも教わらん。
糞度胸ではないか。二重の意味で足りない頭で考え、とっさに出した答えが「素手で弾く」だったのだろう。剣で石斧を止めれば剣が傷み、継戦能力を失うからな。
まあ、俺は前世今世を問わずよくやるけども。
イルガはさらに樹木の枝から奇襲を仕掛けてきたグールの一撃をかいくぐって躱し、その頸部を背後から貫きながら片目を閉じて気障に言った。
「それに、ベルの恋人ともなれば、我がフレージス家の身内も同然だろ?」
ニヒルな決め顔が炸裂する。
イルガごときが格好良く見えてしまうとは、俺の目も……ん? いまちょっと……。
……………………なんてっ!?
一瞬聞き捨てならんことが聞こえた気がしたが!?
レティスが頬を少し染め、半眼となり、瞳を上に寄せ――そして下唇を剥いた。据わった目で。
「……フラれたんだけど」
イルガの決め顔が崩れた。なんというか、すごい味のある表情になった。
そうしてやつは疑問符を口に出す。
「は?」
は?
数秒後、イルガの顔色が青く変色していく。それはもう見事なほどにだ。
「いや、そ……え?」
「何度も言わせる気?」
俺は込み上げてくる感情を抑え込んだ。
これがイルガ・フレージスだ。これぞイルガ。だが、だめだ。笑ってはだめだ。ここで笑えばこちらにまで飛び火する。耐えろ、俺。聞こえていなかったことにするんだ。気まずそうに、あえて視線を背けているリオナのように。
ふう、落ち着いた。
しかしこの阿呆め、からかうならちゃんと裏取りくらいしてこい。
そんなイルガの背後から飛びかかってきたグールへと、レティスはイルガの頬を掠めるようにして弩を放った。近距離から放たれた矢は、見事にグールの額を貫通する。
イルガは引き攣った顔になったが。
そんなやつへと、レティスが凄みのある笑みでつぶやく。
「なあなあ? 大人っぽい女性が好みだからって言われたあたしの気持ちわかる? なあ? 傷抉るのやめて? そりゃモニモニみたく大人っぽくないよ、あたし? 貴族なのに言葉遣いだってよくないし?」
「あ、あ、あ……す、すま、すまな――こ、告白するつもりらしいというのをマージスから聞いていたから、て、てっきりもう……そうなっているものだ……と……」
イルガが目を泳がせている。しどろもどろに喋っている間も、グールの撃退はちゃんとしているけれど。
かわいそう!
「そ、それにほら、さっきは親しげに呼んでいたじゃないかっ! ベルリンって!」
「……あきらめたわけじゃないもん……。いまは友達としか見てくれてなくても、何年かしたら変わるかもしんないし……」
「その通りだ! 長期計画で行こう! ベルは他者よりのんびり屋だからな! 俺も応援するぞ~っと……だめ?」
もうやめとけ、イルガ。おまえは口をつぐんだ方がいい。見ているこちらの胃がもたん。
一方レティスは無言になってしまった。
据わった目をして無言で弩を放っている。先ほどまでよりも迷いなく次々と撃っているのに、ちゃんと命中しているのが恐ろしい。
どうやら苛立ちのおかげで恐怖が消え、かえって落ち着いたみたいだ。ちょっと手が滑って狙いが逸れ、イルガに刺さってしまいそうでハラハラするが。
ベルナルドは聞こえていないのか、我関せずだ。
「ぬぅぅんっ!」
みなから少し離れた位置に立ち、その頭上で風車のようにぶんぶんと巨大なハルバードを振り回しながら、グールの集団を極めて雑に蹴散らしている。殺すというより吹っ飛ばす感じだ。こちらに一気に流れてこさせないための配慮だろう。
そうこうしているうちに、俺たちを取り囲むように次々と襲いかかってきていたグールの足が止まり始めた。そうして一体、また一体と撤退を開始する。
どうやら無事に乗り切れたみたいだ。しょんぼり顔になっている約一名を除いて。
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