第31話 四層へ
拠点を階上へと移す。
重傷を負ったイルガ・フレージスは、長柄武器のハルバードを二本並べ、数名分の制服で平行に縛って作った即席の担架に乗せて運んだ。
その間もクラスメイトのフィクス・オウガスが彼に治療魔術をかけ続けていたが、やはり小康状態を保つだけで精一杯のようだ。
おそらく内臓まで傷が及んでいるのだろう。
フレージス家は王都中央の有力貴族、それも侯爵家だ。カリキュラムの事故が原因で跡継ぎを喪ったりしたら、レアン騎士学校そのものの存続に響いてくるかもしれない。それだけの影響力がある大貴族だ。
それは大いに困る。俺は剣の途を辿りたくて、自由に剣を振るうためだけに、入学をしたのだから。
ゆえにイルガには生きていてもらわねばならない。
上層への階段前、無数のゴブリンらの死体が転がる通路を抜ける際、何やら一悶着があるかと思いきや、彼らは足を止めることもなく黙々と進んでくれた。
後に知ったことだが、どうやら拠点を再び襲撃したゴブリンの一味がいたようだ。俺たち三班抜きで対処できたことによって、ある程度の自信を取り戻せたようだ。
疲労は見えるが、それ以上に全員の顔つきが変わっていた。特に目だ。
奇しくもゴブリン襲撃による危機が、高等部一年一組の全員を戦士の目へと変えた。精神の成長だ。もっとも肉体の成長が追いついていない以上、手放しに喜べる状況ではない。その状態の最たる失敗こそが、一層でのイルガの先走り事故なのだから。
精神、特に勇気には知識と実力が伴わなければならない。
上層階へとヴォイドとオウジンを先頭にして、慎重に上がっていく。
次に一班と二班が続き、怪我人のイルガと治療者であるフィクス、その後に四班と五班が続いて、殿が俺とミクだ。
俺たちは後方に気をやりながら、クラスメイトに続いて階段を上がっていく。幸いにも階段は一部が崩れているのみで、上層階への入り口が塞がっているということもない。少々細くはあるが、どうやら先頭はどうにか階段を上がりきったようだ。
俺は闇に包まれた階段を振り返ってミクに尋ねる。
「追撃の気配はあるか?」
「なぁ~んであたしに聞くのん?」
「あまり認めたくはないが、おまえは武芸者のオウジンや俺より気配の察知に優れてる。まるで鼻の利く犬みたいだ」
剣聖と呼ばれた男だぞ、俺は。
大抵の敵が自身の領域に入れば、たとえ深く眠っていても察知できる。危機感知にもそれなりの自信があった。前世では何度もその能力に救われてきた。
今世では肉体性能こそ落ちたものの、気配を探る技術は記憶に刻まれている。つまりこの能力は、全盛期から一切衰えていないはずなんだ。
なのにこのミク・オルンカイムは、俺よりも遙かに広い範囲で敵を感知した。すでに二度もだ。もはやまぐれとは言いがたい。
ミクが苦笑いを浮かべた。
「エルたん、それ女の子への褒め言葉じゃなぁ~い」
「ぅ……すまん。犬は……その、可愛らしいと思ってな。……いや、ああ、俺はあまり女性を褒め慣れていない。だがおまえのそれは天賦なのだろうと思う」
「あははっ、本気で拗ねてるわけじゃないよぉ? ごめ~んねっ」
頭をくしゃくしゃに撫でられる。
今回は我慢だ。俺が悪い。
「大丈夫。後ろからは追ってきてない」
「そうか」
「ありゃ、振り払わないね。これはチャンス。ちゅーしてい?」
「だめに決まっているだろう!」
「お願ぁ~い。頬じゃなくって唇で我慢するから」
「正気くらいは保て!?」
俺はミクの手を両手でつかんで下ろした。
「あぁん、冷たい」
殿の俺たちも、長い階段を上がりきる。
一層ごとの天井がそこそこ高い。今回も見上げれば、割と上方に天井があった。この層も人工のダンジョンだ。壁も床も綺麗に削られている。
階段を上がりきったところで、全員が立ち止まっていた。階段の幅は狭かったが、フロアはそこそこの広さがあるようだ。
「天井が高いな」
「うんー。たぶん、だとしたらこの上が三層くらいだね。それ以上の高さから落ちたら、砂山の斜面でも助からなかったはずだし」
「……ああ」
鋭いな。同じことを考えていたようだ。
ならばゴールは近い。カリキュラムと呼ぶには、一年先のことを初日で終えてしまった気分だ。それでも、戦場に実戦投入されるよりは遙かにマシだろう。
ヒトがヒトを殺さなければならないあの地獄よりは。ずっと。
なぜか俺は、リリの子供時代を思い出していた。
リリ・イトゥカがいまのクラスメイトたちと同じ年齢のときには、すでに戦場で共和国軍の騎士を相手に両手を血に染めていた。
ブライズが、当時まだ子供だったリリを大人にしてしまったんだ。そうしなければ、生き延びられないと判断したからではあったが、それは本当に正しかったのだろうか。
「……何をいまさら……」
「ん? どったの?」
「何でもない」
少し昔のことを思い出していただけだ。
そう言おうとしてやめた。前世の説明など求められても困るだけだ。
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