第313話 それからのこと(第32章 完)
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ヴォイドとオウジンがレアンを発った翌々日。
俺たちは騎士学校を訪問したレアン領主であるリーベルト侯爵を通じ、キルプスからの開戦発表と、従騎士相当として発令を聞いた。
内容は大元の予想通り、学生はしばらく待機だ。だが予備隊に組み込まれたことだけは確かだろう。
イルガを始めとする戦い慣れてきた一組でさえ、その大半が不安そうな表情を見せていた。浮かない表情のリオナと、苛立つ俺を除いて。
わからなくもない。
いずれ戦うこととなる相手は魔物や魔獣ではなく、紛う事なき同じ人間なのだから。騎士となるべく騎士学校にきたとはいえ、人間に剣を向ける覚悟のある者は少ない。
みんな年を取りすぎたのだ。分別のつく年齢にまで至ってしまった。
俺やリリ、ヴォイド、リオナあたりは、強い躊躇いが生じる年齢になる前に、戦いに巻き込まれた。戦わざるを得なかった。オウジンもまた、おそらくそうなのだろう。
けれども、これからとなるイルガやセネカ、他のクラスメイトたちはそうではない。無邪気に憧れを追うだけでは越えられない一線がある。自らに、あるいは自らが想う者、自らを想う者に危機が迫ったときにだけ、人はその線を踏み越えることができる。
だが俺は思うんだ。そんな覚悟など必要のない世の中になればいいと。誰もが、かつて戦士であった者でさえ、その手を血で穢さずに済む世界になればいい、と。
……本当はリリを、そんなふうに育てたかった。
剣術は好きだ。いまも昔も、もっと強くなりたいと願っている。
それでも、生き死ににかかわらずに済むのであれば、それに越したことはない。剣術が球技のように、長距離走のように、競い合うだけのものとなっても構わない。
だから俺はキルプスに手を貸した。あいつの青臭い理想論に、この泥の海に沈んだような世界を少しでも近づけたくて。泥の中に手を入れ、頭から飛び込み、何かを探した。
けれど結局のところ、ブライズは何も見つけることはできなかった。
入学式は昨年の半分ほどの人数で行われた。
希望者のおよそ半数が入学を辞退したからだ。それをあらかじめ想定していた学校側も、教官の人数を半数以下に減らした。新たに赴任したのも現役の正騎士ではなく、退役した騎士がほとんどだ。
俺たちの入学時には一学年で五クラスあったのだが、今年度からは二クラスにまとめられた。ちなみに二年生となった俺たちは、今日まで積み上げてきた連携の質などを考慮に入れ、人数が減っても五クラスのままだった。
入学辞退者の大半は、当然のように平民だった。
少数ではあるが、貴族出身者であっても騎士となり剣を持って戦うこと以外に、戦時中の経済や武具の交易を支える方向に舵を切り、自主的に退学していく者もいた。他国との交易で王国に利をもたらせば、兵役は免除されるんだ。
たとえばガリア東方に位置する海運都市ルイナリオは、海を経た諸外国との交易の主な拠点となっている。その地を収める領主フリクセル子爵の一粒種であるモニカには、兵役免除の権利があるだろう。家業を継ぐという一言さえあればな。
だが彼女はレアンでオウジンを待つと決めた。別にルイナリオで待ったとて、オウジンは何も言わんと思うのだが、モニカの決意は固かった。そういう道もあることを子爵が暗に指し示してきたらしいが、それでもだ。
オウジンを想うモニカは、きっといてもたってもいられないのだろう。気持ちはわかる。痛いほどに。
一組の学生らは全員、より一層勉学と剣術に取り組むようになっていった。去ったリリやヴォイド、オウジンを見て、それぞれに思うことがあったようだ。
授業の終了後には部活動に精を出した。
教える側であったオウジンが抜けたため、俺ひとりでみなを鍛えることとなった。初日に「面倒だ。貴様ら全員かかってこい」と啖呵を切ったときには、木剣で容赦なく袋叩きにされた。
……さすがに無理があった。みんな去年より、ずっと強くなっていたからだ。
特にイルガとモニカ、そしてそれ以上に厄介だったのは、最初から強く器用だったベルナルドだ。あいつに長物を持たれては、いまの俺では潜り込むだけで苦労する。そこにイルガとモニカが加わるのだから、たまったものではない。
連携の大切さをまざまざと見せつけられるようだ。嬉しくなってしまう。
どうでもいいが、袋叩きにされた際に頭を打ち、ブライズだった頃の記憶がまたひとつ蘇った。一派でまったく同じ失敗をした記憶だ。
カーツめ! 笑いながら俺の尻ばかり剣でぶっ叩いてきたことを俺はもう二度と忘れんぞ! やり返そうとしたらすぐに未熟なリリの背後に隠れやがるし! ぐぎぃ!
休日には、新担任となった齢七十ほどのアラガド教官にランチボックスを持ってのピクニックだと誤魔化して外出し、レアンダンジョンに入り浸った。
とはいえ、むろんテスカポリトカのいる階層までは潜れない。六層と七層に新たな空間を発見したんだ。俺たちの想像を遥かに超えて、レアンダンジョンは広大だった。
さらにそこには魔物ではなく魔獣と呼ばれる四足獣までもが潜んでいて、生き死にのかかるよい訓練となった。
ケガの治療所として、アテュラの住処を借りることも多々あった。
アテュラといえば最近は料理をするようになったらしく、炎晶石のコンロや洗い桶、鍋などの調理器具が置かれていた。他にもまだ冊数こそ疎らながら、大きな本棚に大きなテーブル、ベッドまで増えた。すべて自分ひとりで運び込んだらしいが、彼女がせっせとそれらを運び込むところを想像すると何やら笑えた。
しかしアテュラめ、凄まじい速度で文明人になりやがる……。
あいつだけは、かつて一派を組む前の俺みたいな生活を続けるものだとばかりに思っていたのに。「気に入ったのなら一緒に住みますか?」と真顔で突拍子もないことを言われた直後、リオナとセネカの手刀がアテュラの側頭部に振り下ろされていた。
だが、いずれテスカポリトカと決着をつける際には、探索拠点にさせてもらおう。
ちなみに俺はリリの部屋を間借りしたままだ。
平民の生徒の大半が自主退学した上に、学校敷地外に無駄に大きな新寮が建設されたため、当然のように男子寮も空いたのだが、いまさら移るのも面倒だ。
それに、ここにはリリの私物がまだ多く残されている。俺の同居とともにクローゼット上に左遷されたマヌケ面のぬいぐるみ群だ。
仕方がない。貴様らを故郷のベッド側に戻してやろう。ひとりのベッドは、十一歳の俺にはまだ広すぎるからな。寂しいからじゃないぞ。ほんとに。
たらふく飯を食い、眠る。起きたらストレッチをして剣を振る。授業を受けて部活に励む。休日はみんなで地獄のピクニックだ。
時折、巡回騎士団の詰め所に出向き、サビちゃんに頼んで剣を合わせてもらう。当然、自身も鍛えねばならんからだ。オウジンが惚れ込むだけあって、サビちゃんの剣は凄まじい。感覚的にはレエラに匹敵する。いまの俺にとっては、ちょうどいい目上の相手だ。
始めた当初こそ勝率を五分に持ち込むことすら難しかったが、数ヶ月が経過する頃には、俺の刃は徐々に彼女のそれを凌駕するようになってきた。
成長している……!
剣術も、肉体もだ。
だが、それでも。
毎日のように入ってくる最前線からの一報に明るい話題はない。要塞都市ガライアの疲弊は相当だ。先日はガライアへと向けた輸送隊が急襲され、壊滅させられた。都市はそう簡単には陥落しないが、補給を断たれては時間の問題だ。もっとも、補給を奪い焼いた共和国軍は、英雄である〝王壁〟マルド・オルンカイムが自ら率いる国境騎士団により一掃されたらしい。
しかしこれで国境騎士団は、補給路の確保にも人員を割かねばならなくなった。
巡回騎士の詰め所に訪れた際には、必ず死者の名を見ることにしている。
手が震える。血の気が引く。心臓に悪い。いつも、いつも。
………………大丈夫だ……。
今日もリリやヴォイドの名はなかった。ヴォイドはわからないが、たとえ猟兵扱いであっても国家の英雄である〝戦姫〟が戦死した場合には、必ずその報は王国中を駆け巡るはずだ。そしてリリの死はヴォイドの死にも等しい。
まだ生きている。あいつらは戦っている。俺たちを守るために。
俺はいまも毎日を楽しんで生きている。
だが焦燥は拭い去れない。
だから。
早く、早く、もっと早く。
剣を振る。食べる。寝る。剣を振る。食べる。寝る。剣を振って食べて寝る。
早く……! もっと……! もっとだ……!
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