第312話 旅立ちのとき②
ヴォイドの乗ったフアネーレ商会の馬車が見えなくなってから、俺たちは視線をオウジンへと向ける。
やつは少し苦笑いをして、指先で頬を掻きながらこうつぶやいた。
「……言いたいことはヴォイドに言われてしまったな」
「言いたいこと?」
「テスカポリトカだ。可能ならエレミアには、僕が王国に戻ってくるまで手を出さないでほしい。いまのキミでは無駄死にだ」
あいかわらず言いづらいことをはっきり言う。
だがそれだけにオウジンの言葉は重く受け止めるべきだ。一組は何度もこの虚飾のない、厳しく優しい言葉に救われてきた。
「いいか、エレミア。彼我の戦力差を冷静に受け止めろ。前向きなのはキミのいいところではあるけれど、それと無謀をはき違えるな。イトゥカ教官の身を案じるキミにとっては難しいだろうけど、絶対に焦るなよ。じっくり肉体の完成を待て」
「いちいち言われんでもわかっている。おまえが隣にいなければ、初遭遇時に殺されていたからな。だが、届くと思えたら俺は容赦なく挑むぞ。心配ならおまえもさっさと剣鬼を仕留めて戻ってこい。僕が戻ってくるまで、などと大口を叩いておいて剣鬼に殺されるようでは話にならん。おまえこそ焦るんじゃあないぞ」
剣鬼が前世の俺や現在のリリに匹敵する傑物ならなおさらのこと。はっきり言う。もし俺がブライズであったならば、簡単とまでは言わんがテスカポリトカを討つことはさほど難しくはない。要するに剣鬼はそれ以上の敵であるということだ。
「痛いところをついてくるなぁ」
「それにおまえには、もっと言葉を残すべき人物がいるだろうがっ」
「……い、痛いところをついてくるなぁ……」
俺は俺の背後で泣きそうな顔をして立ち尽くしていたモニカの手を引っ張って前に立たせ、さらにその背中を押してオウジンに彼女を近づけた。
「ふん、存分に痛がるがいい」
「ひどい!」
モニカの目から溜まっていた涙がこぼれ落ちる。
さぞやついていきたかろうに。
だが現状の王国の制度では、貴族であるモニカはすでに騎士団のお抱えとなってしまっている。彼女の逃亡は、すなわちフリクセル子爵の爵位の剥奪にも等しい。キルプスが廃したがっている王制や貴族制には、こういった側面がある。
しかし、いざ廃したときに残った志願兵のみでは、共和国や外敵の脅威から王国は守れなくなってしまうだろう。まさに痛し痒しだ。
もっとも、子爵がモニカを勘当するなど抜け道はいくつか存在している……が、絆を断つことが親子の正しい在り方であるとは、さすがに俺にも思えない。
過去の戦時には、形だけの断絶を選んだせこい貴族もいたが、調査騎士により爵位の剥奪と身柄の拘束がなされた。
――王になどなるものではない。
俺がまだブライズだった頃、一度だけ宿酒場の宴会で泥酔したキルプスが口走った言葉だ。一度だけ、そう、一度だけだ。
当時はただの重圧から吐き出された若い言葉程度に受け止めていたが、いまならわかる。そこには多くの意味が込められていた。
けれど以降、やつがその言葉を口にしたことはない。正しく、王になる覚悟を決めたのだろう。だが、キルプスは優しすぎる。だからブライズは余計に惹かれた。
他にも、周辺国家の脅威がなかったとしても、代々続く貴族の中には特権を手放したくない者もいる。貴族街とスラム街が隣接するヴォイドの故郷、港湾観光都市エルヴァなどは特にだ。あそこの貴族は金がある分、余計に厄介なのだ。
そう。貴族制度というのは実に厄介なものだ。いつになれば王国はこの制度を捨てられるのやら。キルプスが王位を退くまで、やつの胃袋が保つことを祈るばかりだ。
さておき。
オウジンは恥ずかしそうに視線を逸らし、モニカは小さくうつむいて涙を流したまま、ふたりは何も言葉を交わそうとはしない。
かなり待った。だが変化はない。
何の時間だ、これは。まったく、このドヘタレ侍が。最後かもしれんのだから、ガバっといってブチュっとせんか。
そう考えて、俺がモニカの背中をオウジンの方へと突き飛ばしてやろうとしたときだった。
「……僕の名前はリョウカ・オウジンだ」
「……?」
全員の頭の上に「?」が浮かんだ。
何言い出した!? 大丈夫か、こいつ!? 追い詰めすぎたか!?
少し言葉に詰まった。だがすぐに口を開く。
「僕の故郷には桜という、国を表す象徴的な花がある」
なんか不安になってきた……。精神が壊れてしまったかもしれん……。これから剣鬼と戦いに赴くというときに、なんということだ……。
「樹木になる花だ。桃色よりもずっと白に近い。淡い、淡い色の小さな花が寄り添い合っていくつも咲くんだ」
怖い怖い怖い……。
オウジンとモニカ以外の全員が互いの目を見合わせ、不安げな表情になった。
オウジンはそんな俺たちを尻目に、落ちていた細い木枝を拾って地面に何かを描き始めた。恐ろしく複雑な絵だ。いや、字か?
――涼華 桜刃。
「春のまだ涼しげな頃に花開く、桜の刃。これが僕の名前だ。故郷では女性名だけど、でも、あなたにならそう呼ばれても、もう平気だ」
モニカが驚いたようにうなずいた。
意味がわからん。意味はわからん……が。
全員固唾を呑んで静まり返る。凄まじい緊張感だ。
だが、オウジンがモニカに視線を戻し、照れ笑いでこうつぶやいた瞬間。
「モニカさんには僕のことをもっと知っておいてほしい。そう思った。……その、突然、変なことを言ってすまない」
騎士学校に残った一組の全員が沸いた。
珍しくベルナルドがテンション高く指笛を鳴らし、フィクスがものすごい勢いで拍手をした。セネカとレティスがモニカの両腕をそれぞれつかみ、笑顔で彼女をさらにオウジンへと近づける。イルガはなぜか甲高い咆吼を嬉しそうに上げて、リオナは何度もオウジンの肩を叩き「やるじゃん!」と冷やかす。
セネカとレティスに押されたモニカが、オウジンの身体に抱きついた。オウジンも彼女を受け止め、その背中に腕を回した。顔面大発火で。
「待ってます。だから生きて帰ってきてくださいね」
「うん。必ず帰る。必ずだ。約束は破らない」
そんな光景を、俺は微笑ましく思う。愛おしく思う。嬉しく思う。
ふたりが身を離す。ついでにブチュっとやっとけばいいものを。もうやったのかな。わからん。
オウジンが再び俺に視線を向けた。
「エレミア。もしも戦渦がレアンにまで広がったときには、モニカさんのことを頼む」
「任せておけ。それまでみっちり鍛えてやる。おまえより強くなるかもしれんぞ」
「はは、楽しみにしてるよ。ありがとう」
オウジンが破顔し、柔らかな表情で大きくうなずく。
「……モニカさん、みんな、二年後に会おう。一緒に卒業するんだ」
全員が同時にうなずいた。
そうしてやつはひとりずつと固い握手を交わした。
リオナとオウジンが手を握り合って笑顔を向け合う。
「ありがとね、リョウカちゃん。いっぱい助かったよ。あたし、三班でよかった」
「助けられたのは僕の方だ。何度も何度もありがとう。またね、リオナさん」
最後が俺の番だ。
「おまえとの仕合は楽しかったぞ」
「僕もだ。一年間ずっと楽しかった。ガリアへ来てよかった。エレミアやイトゥカ教官から学んだ剣聖の〝型無し〟で、僕は必ずやつを討って戻る」
互いに手をぶつけ合うようにパァンと音が鳴るほどに叩きつけ、全力で固めた握手を交わす。悲しみや寂しさをかなぐり捨てるように笑い合って。
「ではな、オウジン」
「またな、エレミア」
そうしてオウジンは乗合馬車のあるレアン南門の方角へと向けて歩き出した。やつもヴォイドと同様に、もう振り返りはしなかった。
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