第311話 旅立ちのとき①
レアン騎士学校から、ひとり、またひとりと、いなくなっていく。
リリやローレンスといった若い教官は、否応なしに戦場へと旅立った。リリを除けば、彼らは全員正騎士なのだから。
平民出身の生徒らの多くは卒業後の徴兵から逃れるため、騎士爵の取得を諦めて自主的に退学を決めた。
本来は卒業をしたとしても騎士爵の取得は自身で選べるのだが、王国を巡る情勢がこの有様では、騎士学校の卒業証明があったところで就職に有利となることはない。むしろ卒業後の騎士爵の返上は、敵を前に逃げ出した証となってしまう。
だとするならば、騎士爵返上者に対する世間からの心証は悪くなるだろう。
それゆえ、平民出身者にはもはや学校に残る理由がないのだ。セネカのように、明確な目的があって騎士爵の取得を望む生徒以外は。
実際に、およそ半数いた平民出身の生徒の七割近くが学校を去った。当然、一組からもだ。ヴォイドやオウジンを除けば、残った平民出身者はベルナルド、フィクス、そしてセネカだけとなってしまった。
ベルナルドは卒業後に騎士爵を返上する予定だったらしいが、イルガのために卒業後の叙爵を決意した。血のつながりはないとはいえ、愛する弟をたったひとりで戦場へと向かわせることに耐えられないようだ。やつはいつも強く、そして優しい。
フィクスは魔術師の家系では学べなかったことを、この騎士学校で多く得た。その経験を生かし、王国初の魔法騎士として新たな可能性を模索したくなったらしい。当初こそ臆病で気弱だった少年は、見違えるように強くなった。
セネカは言うまでもない。途中で逃げ出すような覚悟で、家族を捨てて騎士学校へと入学してきたわけではないからな。どれだけ嫌われようとも、肉体の自由を失った父のため、彼を支える母のため、彼女は命をかけて戦いに赴くのだろう。
けれども、俺は思うんだ。
その手を血で染めずに済むのであれば、逃げることは決して恥ではないと。そのために貴族という制度があり、そして俺やリリ、カーツやマルドのような、戦いの中でしか生きられない人間が存在している。
殺し合いなんて、そういうやつらに押しつけてしまえばいいんだ。だからみんな、逃げることを恥と思うな。
……幸せになってくれ。頼むから。
そんなことを考えながら、残る者は去る者を見送る。ひとり、またひとりと。去る者は罪悪感から表情を陰らせ、見送る者は優しい微笑みを浮かべて。
そしてリリが去ってからわずか二日後、俺たち一組は正門前に集合していた。いつもの面子でだ。ただし、大半が正門の内側に。ヴォイドとオウジンだけが外側に。
その背後にはフアネーレ商会の馬車が停まっていて、ミリオラが立っていた。
ひとりひとり、握手を交わしながら長い別れと再会の約束を告げる。
リリが去って空いた胸の穴が、さらにこじ開けられていくような気分だった。ふたりの行き先は、どちらも死地なのだから。
ヴォイドとリオナが手を差し出して、一瞬躊躇ってから互いに握り合った。
「おう、あのクソガキのこと、よろしく頼むぜ」
「へいへーい。そんなの言われるまでもなくわかってるよ。てかあんた、今日はやけに素直じゃん。もしかしておセンチな気分になってたりするぅ~?」
リオナがいつものようにニタリとイヤラシく笑って、挑発するように唇を歪める。
「やっぱエルたんのことスキスキなんじゃん?」
「バァ~カ。いまはエレミアが俺の雇い主なんだよ。こいつがくたばったら、二重に報酬金を取れなくなっちまうだろうがよ」
「二重? あんた学校離れるからノイ男爵との契約はもう切ったって言ってなかった? だめだよー、エルたんちから取り過ぎたら。あたしがお嫁に行く前に没落しちゃうじゃん」
縁起でもない。王族が没落なんてしたら国が傾いてしまう。キルプスが胃を押さえて苦しむ顔が目に浮かぶようだ。
今度はヴォイドが苦笑いで顔を歪めた。
「アホ。戦争報酬と戦姫護衛の報酬だ」
イルガが後ろから茶々を入れる。
「イトゥカ教官の足を引っ張るんじゃないぞ、スケイル」
「うるせえ、ハゲ」
「ハゲではないッ!! よく見ろ!」
イルガのやつ、自分の頭を指さしながらわざわざやつの眼前まで走り寄ってやがる。だがヴォイドは冷めた目だ。
しかし――。
頭を掻いて、若干言いづらそうに視線を逸らせながら、ヴォイドがつぶやいた。
「…………フレージス、おめえが俺の後釜だ。他のガキどもを守れ。一匹たりとも死なせんじゃねえぞ」
ガキども……か。
何となく、ヴォイドがお人好しな理由がわかった気がした。たぶんヴォイドにとっての一組は、孤児院と同じなのだ。だから世話焼きになってしまう。
それを裏付けるように、ヴォイドの後ろでミリオラがクスクスと笑っているのが見えた。
しばらくキョトンとしていたイルガだったが、やがて小さくうなずき、そして自らの拳で左胸を力強く叩いて真顔で言った。
「任せておきたまえ。庶民を守るのは貴族の役目だ」
「おう。――それと、エレミア」
「ん?」
こちらにやってきて、拳で俺の胸をドンと叩く。よろけるほどの力でだ。
そうして笑う。珍しく、屈託なく。
「方法はなんでもいい。こいつらを使ってもだ。いいか、テスカポリトカをぶっ殺せたらガライアへ来い。二年経って卒業をしていようがしていまいが、それまでは来るんじゃねえ。こいつは男の約束だ。承諾できねえなら俺は戦姫の護衛をいますぐ降りる」
「う……」
「それとアーレンスミスの助けだけは禁止だ。てめえの力にならねえ」
あのバケモノを、アテュラの力を借りずにか。さてはこいつ、最初から俺を戦場に寄せつけないつもりだな。どこまでお人好しなんだ。厄介な課題を押しつけおって。
……ふん、まあいい。あのバケモノはいずれ倒すつもりだったやつだ。何なら二年もいらん。さっさと肉体を成長させ、終わらせてやる。
「いいだろう。再会の早さに驚くんじゃあないぞ」
「クク、言ってろ」
ふぅと息を吐くと、ヴォイドが俺たちに背中を向けた。そうして隣に立っていたオウジンの前に肘を立てる。
「先に行く。てめえもくたばんじゃねえぞ、オウジン」
「ああ。キミもな、ヴォイド」
オウジンもまた肘を持ち上げて、ヴォイドのそれをぶつけ合った。
「じゃあな、相棒。…………まあまあ楽しかったぜ」
「うん。必ずまた会おう」
それだけだ。
やつはもう振り返らなかった。
「待たせたな、ミリオラ」
「まあ、ヴォイドったら。泣きそうな顔してるくせに格好なんてつけて。そういうお年頃なのかしらぁ?」
その言葉に、にわかにみながざわつきだす。
が。
「ククク。アホ、おめえにゃ見えてねえだろ」
あ、そうだった。
そうしてヴォイドはミリオラの手を取って、ともに商会の馬車へと乗り込んだ。片腕のない御者が俺たちに軽い会釈をしてから、馬に鞭を入れる。
こうして猟兵ヴォイド・スケイルは、最前線となるガライアへと旅立っていった。
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