第307話 ハダカの言葉
フィルポッツの後に続いて、俺たちは騎士団駐屯所内を歩く。俺は正門から十分に離れたところで、やつの背中に声をかけた。
「すまん、助かった。フィルポッツ」
フィルポッツが振り返り、自らの耳に手をあてて、あからさまに顔をしかめる。
「んん~? 何だってぇ~?」
「――サー・ブランドン・フィルポッツ!」
「うむうむ」
満足げだ。この野郎、もう一回脛をぶち割ってやろうか。
いやしかしこいつが俺たちの身元を証明してくれなければ、門衛とヴォイドがぶつかり合う羽目なっていたかもしれん。そうなればどうなっていたことか。
廊下ですれ違う騎士たちは、みな俺たちに視線を一度は向けるものの、険しい顔つきで足早に移動している。
周囲に人がいなくなってから、フィルポッツがため息交じりにつぶやいた。
「悪く思うな。共和国とのことでみんなヒリついているんだ。あまり周囲を刺激しないでくれよ。もう身元のわからない人間をいちいち照会している暇も人材もない」
「わかってる」
ヴォイドはどこ吹く風で後頭部で両手を組み、視線を斜め上に向けている。
おまえが言われてるんだぞ、おまえが。まあフィルポッツがいなければ、俺ひとりでも最終的には強行突破を試みていただろうが。
だがヴォイドはお構いなしに口を開く。
「暇はともかく人材もねえってこたぁ、もう戦地への移動は始まってんのかよ?」
フィルポッツがうなずいた。
「ああ。俺たち第三小隊は幸いにも北方だった。辺境付近のマルディウス湖を守ることになる。〝ウェストウィルの異変〟のせいで、ガリアの水源の警戒が怠れなくなってしまったからな。まったく、卑怯なことをしてくれる」
……。
マルディウス高原か。前世の俺が間抜けな死に様を晒してしまった地だ。
だが、それでも。
フィルポッツは続ける。
「それでも国境の要塞都市ガライアに比べれば、遥かに生存率は高い。アランカルド小隊長は最前線に配置されず不満そうだったが、正直俺はホッとしているよ。あの一帯を治める国境騎士のジール・バイソン騎士団長殿は、とても頼れるお方だしな」
懐かしい名だ。ジール・バイソンのやつは、いまもあの地の守護をしているのか。
俺がブライズだった頃はまだ三十半ばの若造だったが、それでも当時から群を抜いて優秀だった。〝異変〟の再来を警戒し、キルプスからの命令が下るより先に水源マルディウス湖の警備に多く人数を割いていたくらいだ。
もっとも、それもあってブライズ一派への救援が遅れ、俺は無様な死を遂げたのだが。それでも、ジール・バイソンならば信頼できるといまでも思える。
ヴォイドがぼやくように言った。
「つーことはよ、もう開戦は確定したんだな?」
フィルポッツが咳払いをして、声を落とした。
「いまはまだ機密情報だが、三日後に陛下から国民に正式に……な」
「へえ」
ちょうどそのとき、フィルポッツの足が止まる。
そうして左手側を指し示し、こうつぶやいた。
「戦姫殿のおられる客室はここだ。いくら教え子でもあまり迷惑をかけるんじゃないぞ」
「わかってる」
約束はできんがな。もちろん言わない。
フィルポッツがうなずいた。
「俺は第三小隊の出発準備に戻っているよ。まだ何かあれば、小隊長の部屋を直接尋ねるといい。アランカルド小隊長には俺から話を通しておいてやる。ノイとスケイルが訪問するかもしれないとな」
「感謝する。サー・ブランドン・フィルポッツ!」
フィルポッツが鼻で笑う。
「おまえからの感謝はとりわけ心地いいな。ノイ」
「やかましいわ!」
今度は優しげな微笑みを見せた。
「ははは。呼び方はもうフィルポッツでいいぞ。おまえは優秀だ。騎士団ではいずれ俺より高い地位に立つだろう。そのときにはよろしく頼むぞ」
ああ、これは……。
これは自身の死を予想している人間の言葉だ。すべてのしがらみをかなぐり捨て、ハダカの言葉を発する。そういう騎士や傭兵を、前世で何人も見てきた。
だからだろう。俺は後ろ手を振りながら去っていくフィルポッツの背中に、ほとんど無意識に声をかけていた。
「フィルポッツ!」
「何だ?」
やつが肩越しに振り返る。
「……くだらんところで死ぬんじゃあないぞ?」
「前向きに善処するよ。誰だって命を投げ出したくはないからな。おまえは子供らしく、いまはせいぜいおとなしくしていろよ」
真っ白な歯を見せて笑って、フィルポッツが去っていった。
ため息をついてからドアをノックしようとしたちょうどそのとき、内側から開かれた。
「……」
「……」
どうやら俺とフィルポッツの会話が終わるのを、ドアの向こうで待っていたらしい。
リリが眉根を寄せ、絵に描いたような困り顔で立っていた。
「こんなところまで来てしまうなんて」
「おまえが勝手に出ていくからだろうが! この馬鹿弟――っ」
言いかけて、すんでのところで止める。
リリが右手で目を覆い、深い深いため息をついた。
「スケイルは付き添い?」
「まーそんなとこだ。めんどくせえが、ミリオラに言われてな。あいつは言い出したら聞きやしねえ」
「そう。手間をかけたわね。――とにかく、ふたりとも入って」
ヴォイドがニヤけ面で大あくびをして言った。
「冗談だろ。いまさらおめえと話すことなんざねえよ。俺ぁ退屈しのぎにアランカルドんとこでも冷やかしてくるぜ。さっきのフィルなんとかっつう騎士からもお墨付きをもらったからよ。邪険にゃされねえだろ。ククク」
そう言いながらヴォイドは、さっさと歩き去っていく。
リリが唇に手をあててつぶやいた。
「気を遣わせたかしら」
「みたいだな」
あらためて、俺たちは顔を見合わせる。リリは少し気まずそうに視線を逸らすと、自分の身体でドアを支えた。
「入って」
「ああ」
その部屋にはベッドと椅子と小さなテーブルだけがあった。けれどリリの私物はすでに小さくまとめられ、最低限の荷物として置かれているだけになっていた。
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