第303話 剣鬼なる者
食堂で朝食用のパンを買い込んでから屋上へとやってきた。
春先はまだ肌寒い。塔屋の裏に回り、風のあたらない場所でそれぞれの朝食を広げる。
ヴォイドと俺は食堂のパンで、オウジンとモニカは手作り弁当、リオナはどうやら昨夜の戦場亭の残りもののようだ。
実にうらやましい。朝からナブコフシェフの料理を食えるとは。
「エルたん、ちょっといる?」
「では交換だ」
食堂パンと衣をつけて揚げた肉を交換する。
うまい。冷えても柔らかく、そしてうまい。じゅわ~っとくる。
いや、そんなことよりも。
俺はモニカに視線を向けた。
彼女は弁当の蓋さえ取らず、少しぼうっとしているようだ。どう聞いていいものか。あるいは自ら口を開くのを待つべきか。
そんなことを考えていると、いつものようにパンを囓りながらヴォイドが真っ先に聞いた。
「よお、フリクセル。おめえんとこは無事かよ?」
ヴォイド!?
「え」
「ボケんな。親父さんの話だ。海運都市ルイナリオの領主だろ」
おまえどんな神経してたら平気で尋ねられるんだ? 呆れたな。まるでブライズだ。
いや、俺は前世の俺を何だと思っているんだ。少しくらいはデリカシーもあったわ。あったか? うん?
「あ、うん……。お父さまは平気。オウジンさんやエレミアのおかげかも」
「あン? そりゃどういう意味だ?」
オウジンが代わりにこたえた。モニカお手製の卵焼きを箸で摘まみながらだ。
「彼女、ルイナリオの巡回騎士が駆けつけてくるまでに暗殺者を斬って無力化させたらしい。部活動の成果が出てるみたいだ」
「モニモニがひとりで!? へえ、へえ、大活躍じゃん!」
リオナが彼女の顔を覗き込むと、モニカが慌てて首を振った。
「ぜ、全員じゃないよ。お父さまの前に現れた三人だけ。他の暗殺者はみんな正騎士に斃されたから。オウジンさんやエレミアが鍛えてくれたから、どうにか助けることができたの。――ありがとね、エレミア」
口いっぱいにパンを詰め込んでいた俺は、適当に手を挙げた。
気にするな。
「ククク、貴族のお嬢にしちゃあ、やるじゃねえか。んーで、だったらどうして暗え顔してんだ?」
「それは……」
モニカがオウジンを横目で見る。
オウジンが一度箸を置いた。
「王国がエギル共和国と本格的に開戦する前に、僕はヒノモトに帰ろうと思う」
その場にいた全員が同時に動きを止めた。
パンを囓ろうとしていたヴォイドでさえもだ。だが次の瞬間にはもう、ヴォイドは口内へとそれをねじ込んでいた。咀嚼し、嚥下してから口を開く。
「そうかよ。ま、しゃあねえわな。両国に関係ねえ留学生が首を突っ込むにゃ、ちょいとリスクが過ぎる」
わかっていた。開戦が多くの人々を引き裂いていくことくらいは。だがやはり俺はブライズではなくエレミアだったらしい。理解はできても心がついてこない。どう声をかけていいのかわからない。
小鳥が鳴きながら群れを成して空を飛んでいく。
「すまない。みんな」
「仕方ないよ、リョウカちゃん。謝るようなことじゃない。リョウカちゃんにだって事情はあるからね」
言葉を出せない俺をよそに、会話は進んでいく。
「それなんだ。このままみんなの窮地に去ってしまうのは、あまりに不義理だ。いい機会だから、僕がなぜ剣鬼である父を殺そうとしているか聞いてほしい。みんなには知っておいてもらいたいんだ」
「そのために俺らを集めたっつうわけか」
「うん」
「いいぜ。話せや」
淡々と、オウジンは自身のことを語り始めた。
何の感情も込めずに、ただ淡々と。
父は剣の途の求道者で、小さな道場で生計を立てていた。母はそんな父を傍らで支える優しい女性だった。やがてふたりは男児をなし、母は彼をリョウカと名付けて可愛がった。
オウジンがまだ五つの頃、その母が何者かの手により辻斬りに遭い、この世を去った。以降、父はより一層、剣にのめり込んでいった。
オウジンもまた、いずれ来る母の仇討ちのためにと、幼いながらも父の後を追って剣の途を邁進した。
ヒノモトでは常に内乱が絶えない。
父は度々戦に出ては、大きな手柄を立てて帰還した。結果として彼を開祖とする空振一刀流の名は国内で雷の如く轟き、小さかった町の道場は領主のお抱えになるほどに大きくなっていった。
兄弟子たちは幼いオウジンに稽古をつけてくれた。父はどれだけ身分を上げても、戦場で自ら先頭に立ち、刀を振るうことをやめなかった。オウジンは道場の末席で、そんな父を誇らしく見ていた。
ある日、父が道場に兄弟子らを全員集めた。いつもとは違う朝だった。
オウジンは考える。いよいよ母の仇討ちをする日がやってきたのだ、と。だがしんと冷えた静謐なる空間で父が発した言葉はひとつ。
――抗え。
そうして彼は刀を抜いて、兄弟子のひとりを斬った。
ゴトリ、と音がして首が転がる。磨かれた床に赤い華が咲いた。
逃げ出す者は背中から斬った。閉ざされた扉は開かれなかった。抗う者もいたが二合、三合と打ち合うこと叶わず、次々と命を散らした。つい先ほどまで静謐だった空間に血錆と臓腑の臭気が充満し、悲鳴が響き渡る。
戦自慢の兄弟子らであったが、剣の鬼と化した父を相手取るには力量が足らず。ただひとり、四合を打ち合い生き延びたオウジンのみを残し、彼らはヒトの形を保つことすらできずに死に絶えた。
……そうして父は去っていった。
「最初からヒトではなかったんだ。父は」
「どういうことだ?」
俺の質問に、オウジンはため息をつく。
「母を斬ったのは父だった。僕を生ませ、剣を握る年齢まで育て上げればもう用はない。母は剣鬼を支えるには優しすぎた。父にとって邪魔になったんだ。――エレミア、キミは何のために剣を握る?」
ふいの質問に、俺はしどろもどろになりながらもこたえた。
「剣自体が楽しいというのも否定はせんが、本意は俺が守りたいと願うやつらを守るためだ」
キルプスと連んで馬鹿をやっていた頃から変わっていない。ずっと。
あいつの思い描く平和な世界に近づくため、俺は剣を握っている。
「そう、それがあたりまえだ。だけど父は逆だった。ヒトのために剣があったのではなく、剣のために命があった。空振一刀流を究極にまで高めるために、他者を利用し消費する。これからもだ」
だから剣〝鬼〟か……。
なるほど。剣聖や戦姫とはまるで別物の称号だ。
「戦がなくなれば自ら敵を作り、常に己を追い込む。きっと僕が力をつけ、自分を殺しに来ることも父の目論見通りなのだろう。あるいは、空振一刀流を完成させるためならば、僕の命は言うまでもなく、父自身の命ですら糧と考えているかもしれない」
それはつまり――……。
「剣を極めるのは剣鬼本人ではなく、息子であるおまえでも構わないということか?」
「そうだ」
なるほど。ヒトのために剣があるのではなく、剣のためにヒトがある。
ああ、狂っているな。狂っている。俺自身が前世で力を持っていた人間だったからこそ理解できる。それがどれだけ危険な思想であるかを。
「まんまとそれにのせられるのも癪だが、このままあれを放置することだけはできない。だから僕は故郷に帰ることにした。すまない。こんなときに僕だけがこの地を離れることになって」
そう言ってオウジンは静かに頭を垂れた。
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