第300話 のちに七不思議となった男(第31章 完)
ぬう、眠い……。
巡回騎士の駐屯地を出た瞬間、緊張感が薄らいだせいか瞼が重くなった。しかし眠さを見せればガキどもに背負われてしまう。もはやいまさらながらだが、やはり屈辱だ。
俺は意図して背筋を伸ばして歩く。
いつもはやかましいリオナも、今日ばかりはさすがに疲れたらしく、黙したまま石畳の通りを歩いている。あるいはラセルのことでも考えているのか。
ヴォイドとオウジンはまだ余裕があるのか、まるで中身のない雑談などをしながら俺たちの前を歩――中身のない?
何かまた……。
「あ」
思わず上げてしまった声に、全員が俺の方を向いた。
「んだぁ? 駐屯地に忘れもんでもしたんじゃねーだろうな?」
「眠くて限界超えちゃってるんじゃない? エルたんお子ちゃまだし。ねー?」
「なんだ、ただ寝ぼけただけか。僕が背負おうか?」
「結構だ! 寝ぼけてもいない! ……少々つまらん用事を思い出しただけだ。すっかり忘れていた」
ガシガシと頭を掻く。
「こんな夜中に? エルたん、いつもならもう寝てる時間っしょ?」
「まあな。おそらくここまで遅くなることは、やつも想定していなかっただろう」
初等部教官ローレンス・ギーヴリーとの決闘だ。中身のない話で思い出したのだ。あの中身のない男との中身のない決闘の約束を。
まあもう忘れたままでいいかとも思うが、万に一つ、忠犬のごとく俺のことをいまでも待ち続けていたとしたら、さすがにそれは気の毒だ。きちんと引導を渡してやらねば。軽度に。
リオナが俺の顔を覗き込む。
「やつってことは男性だよね? 告白のセンがないならいいけど、危険な人?」
「男性だ。別に危機感はないな。やつの甘ったれた脳みそ以外はな」
「ふ~ん、じゃあいっか。あまり遅くなっちゃだめだよ」
何がいいんだ。こちらとて長引かせるつもりはない。さっさと粉砕して終わりだ。
ヴォイドがあくびをしながら尋ねてきた。
「深夜指定ってこたぁ、ケンカだろ?」
「まあ、そんなところだ。助っ人は募集していないぞ」
「そーかい。お子ちゃまは元気なこった。ま、ケンカくれえなら好きにしろや」
好きで行くわけではない。あと俺はお子ちゃまではない。前世と今世を足せば、おまえら三人分くらいの年月は生きている。
オウジンが苦笑いでつぶやく。
「相手が誰かは知らないけれど、ちゃんと加減はするんだぞ。キミはまともではないんだからね。あと、そういうことは教官たちにはバレないようにな」
「加減はやつの出方次第だ」
まともではないとは何たる言い草だ。しかし教官バレはどうしようもない。相手が教官ではな。
だがまあローレンスとて、吹聴するような真似はできないだろう。やつが俺に勝てる見込みはないし、正騎士が本来なら初等部に通うはずだった年齢の児童に敗北しただなどと言えるはずもないのだから。
「つまらん心配はするな。俺とやつでは、万に一つのこともない」
三人が示し合わせたように、同時に言葉を重ねる。
「していない」
「してねー」
「してないよぉ」
いや。
「少しはしろっ!!」
哀しくなるだろうが。
「ククク」
「まったく……」
「あはっ」
「何を笑っているんだっ」
そんなことをごちゃごちゃと言い合いながら歩いているうちに、騎士学校の正門を通過――しかけて、門柱裏に背中を預け、腕組みをして静かに佇んでいた影に視線を上げる。
「じゃあな。せいぜい頑張れや」
ヴォイドが逃げるようにそそくさと立ち去り、オウジンも影に一礼をしてから行ってしまった。リオナに至ってはすでに俺たちから離れた位置で、苦笑いを浮かべながら小さく手を振っている。
「お・か・え・り」
リリだ。実に抑揚のない声だった。
前世と同じだ。怒りを取り繕おうとするあまり、抑揚が消える。これは朝まで説教か。
「た、だいま」
喉が貼り付いた。
ああ、糞。なんで俺がリリごときにここまで怯えねばならんのだ。前世からすでにちょっと怖かったけども。口うるさいし、謝らずにいると、その日の飯を激辛にされるから。
重いため息が出た。ほとんど同時に、それもお互いにだ。俺は悔いるように、リリは怒りを吐き出すように。
リオナの背中が見えなくなってから、門柱にもたれて横目で俺を睨んだまま、リリが口を開いた。
「またもめ事に首を突っ込んでいたのね」
「や、事情を聞いてくれ」
「ベルツハイン関連なのはもう知ってる。あなたのしたことは正しいと思うわ」
よし! 無罪放免だ!
……と思ったのも束の間だ。
横目だったリリがギギギと首をこちらに向け、眼球が転がり落ちそうなほどにカッ開いてこう言った。
「すぐにわたしに報せなかったこと以外は」
「うぐぅ……。そ、それは、しかしおまえが入学試験の準備で忙しそうにしていたから――」
「そう。わたしのせいなのね。試験の準備と受け持つ生徒たちの命、どちらが大切かくらいは十一歳になったあなたならわかると思っていたのだけれど」
じゅ、十歳であってもわかるぅ~……。
「だ、だが、あれだ。その、リオナが狙われているという確証が……なか……った……」
「ならば確証がないことまで精緻に伝えなさい。判断はわたしが下すから」
「ですよねっ」
いまなんで敬語になった、俺ェ!?
これが服従か。生物としての格の違いというものなのか。
リリが手招きをしている。おまえが来い、と言いたいところだが、俺の足は自然と動いてしまい、彼女の前に立った。
そうしてくるりと後ろを向いて、尻を突き出す。
「ひと思いにやれ!」
「……………………何をしているの?」
「違うのか!? ならばいまのは忘れろ!」
そう言いながら振り返ろうとした瞬間、背後からふわりとリリが覆い被さってきた。膝を折って抱きつかれたんだ。
少し甘酸っぱい匂いがしている。ああ、どうやら相当走り回らせてしまったようだ。
心配を……かけていたのだな……。
「すまん」
「ほんとよ。あなたはまだ知らないだろうけれど、暗殺者というのはとても厄介な存在なの。実行は易し、防ぐに難しよ。だからこれからは決してひとりで立ち向かおうだなんてしないで。ブライズでさえ――……」
言葉が止まった。
ぎゅうと腕に力が入り、両肩が絞め上げられる。
「そう、だったな」
「あのとき、わたしが――いいえ、兄弟子たちの誰かひとりでもブライズと一緒に行動をしていたらと、いまでも身を掻き毟りたくなる。そんな後悔は増やしたくはないの」
風が凪ぐ。静かだ。
俺は微かにうなずく。
「わかった。次から必ず相談する」
リリの手が俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。それから両肩をバシっと叩いて立ち上がり、今度は右手で俺の左手をつかんで引く。
「では帰りましょう。汗の臭いがしているから、寝る前にちゃんと身体を拭きなさい。あなたが先よ」
「う、うむ……」
ああ、わかっている。今度は忘れてはいない。
修練場での待ち合わせだ。だが、なあ。だが。
今日のリリの手を振りほどくだけの無神経さは、どうやらブライズの魂を持つ俺であっても、持ち合わせてはいないようだ。
そんなわけで――。
すまん、ローレンス! また今度!
翌朝、日課となっていた朝練のために修練場を訪れたオウジンは発見する。
入学試験に備え、入れ替えのために古くなった光晶石がすべて取り外された修練場で、真っ黒に塗りたくられた全身鎧の中で寝息を立てていた不審者を。
木剣で突くと目を覚まし、驚き悲鳴をあげたのちに、彼はヘルムを押さえながら逃走したそうだ。
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