第299話 ここで生きていればそれでいい
騎士学校への帰り道。石畳を行く足音は、四人分のものしかない。
街路に置かれた光晶石の街灯が、ぼんやりと闇を切り抜き白く照らしている。
俺は前を歩いているオウジンとヴォイドの背中に語りかけた。
「しかし、よく場所がわかったな。正直助かったぞ、オウジン」
ラセルは思った以上の使い手だった。
もしもあのまま続けていたら、殺さずに勝つことはできなかった。……そう。負けたとは思っていない。あの場でもふいをつき、殺す方法ならいくつか頭に過ぎっていた。
けれど俺は躊躇った。
手を汚すこと自体にではない。手を汚すことにより失うものの多さに。現時点では。
そんな俺の思考を掻き消すように、オウジンが呆れたように言った。
「ああ、それに関してはアテュラに礼を言うべきだ。彼女、また騎士学校に現れたぞ。それもイトゥカ教官が捜索に出てしまってからだ。彼女と最初に接触したのはヴォイドで運がよかった」
俺はため息交じりにぼやく。
「あいつめ、騎士団関連の施設には近づくなって言ったのに……」
最初のホムンクルス。唯一無二の完全体。おそらくは英雄に比肩しうる者。
共和国にはもちろん、王国にだってその存在を知られるわけにはいかない。にもかかわらず、二度も騎士学校にやってきてしまうだなどと。
おそらく運よくと言うよりは、アテュラ自身がヴォイドの気配をつかんで接触したのだろうが、それでも、もう一度強く言っておくべきか。
額を抑えてうつむくと、ヴォイドがあくび混じりに言った。
「あの女なりに、おめえの心配をしたんだろ。責められるべきは、んな心配かけさせたてめえ自身だろうが。責任転嫁してんじゃねーぞ、クソガキ」
「んぐ……。ま、まあ、確かにな」
彼女の行動に一切の邪気がないことは、もはや身に染みてわかっている。
「クク。おかげさんで、俺ァまた儲けさせてもらったけどなっ。毎度あんがとよ、エレミア。またノイ男爵殿を絞らせてもらうからよ。これからもせいぜい死にかけてくれや」
「やかましいわ!」
「ククク」
ま、助かったけどな。
オウジンが横目でヴォイドを茶化す。
「キミも焦って飛び出してっただろ、ヴォイド。人の好さは隠せないね」
だがヴォイドは余裕の表情でニヤついている。
「そらぁおめえ、焦りもすんだろ。金づるに死なれちまったら意味ねーからな。こういうのはな、生かさず殺さずがちょうどいいんだぜ」
「……う~ん、それもそうか」
おい。そこで引くなよ。もっと食い下がれ。だからおまえはダメなんだ。
珍しく静かなリオナに視線を向けると、彼女は数歩後ろで立ち止まっていた。
「どうした、リオナ?」
ヴォイドとオウジンも立ち止まり、振り返る。
リオナは弱々しく、そして苦々しい笑みを浮かべて、後頭部を少し掻いた。
「その……ごめんね、みんな。こんなことに巻き込んで……」
「あ~?」
「ずっと考えてたんだよ。あたしさ、自分が騎士学校にいていいのかなって。こんなに楽しく過ごせていいのかなって」
慌てて付け加える。
「あ、もちろん共和国に戻るなんて話じゃないよ? あんな施設にはもう戻されたくないし、利用されるのも……」
表情が陰っている。
「言いたいことがわからん。はっきり言え」
俺がそうつぶやくと、リオナは小さなため息をついた。今度は前髪に手を入れて、うつむきながら目を隠す。
「ラセルは同じ施設にいた子だったの」
「おまえ以外はみんな死んだのではなかったのか? 確か以前そう聞いたと記憶しているが――」
「嘘じゃないよ。そう思ってた。実際に目の前で死んだ子も少なくなかった。任務中にも死んだし、施設内でもいっぱい死んだ。病気やケガを放置されて、朝起きたら冷たくなってた子もいたよ。それでどんどん人数が減っていって、ある日気づいたら誰もいなくなってた。だからラセルも死んだんだって思ってたの」
少し間を置いて、リオナがつぶやいた。
「彼はね、弱ってる子に率先して食べ物を分け与えるような優しい男の子だった。わたしが大きなケガを負って傷口が膿んで死にそうになってたときには、汚れるのも構わずに黙って自分の毛布を掛けてくれた。ラセルだって寒くて震えていたのに。それが、あんなふうに――」
酷い話だ。こいつの出身である施設のことを聞かされるたび、俺の腸はいつも煮えくりかえる。前世で〝ウェストウィルの異変〟の話を聞いたときの、ブライズとキルプスのようにだ。胸を掻き毟り、意味もなく咆吼をあげたくなる。
けれどもリオナは静かに、ぽつりとつぶやく。
「ラセルはいまも、あの地獄にいるのかな……。あたしだけ……こんなの……」
何かを言いかけたヴォイドを手で制して、俺は強い口調で言った。
「思い出すな。思い返すな。どうせ過去は変えられん。いまを生きろ。前だけを見ろ。ここにいてもいいかだと?」
息を吸う。目一杯だ。
そうして大声で吐き出してやった。
「くだらんことを言うな、この阿呆が! おまえがいなければ俺たちは、存外あっさり死ぬぞ!」
「そうだね。僕はセフェク戦でリオナさんに命を救われた。キミがいなければ道半ばにして散っていた。他のみんなもだろうけれど、少なくとも僕にはまだキミが必要だ。ヴォイドや、エレミアもね」
オウジンが珍しく女子に対して本音を語った。照れることなくだ。モニカが聞いたら嫉妬で狂いそうなことを。おそらくオウジンにとってのリオナは、もはや女子というより性別を超えた仲間になっているのだろう。
ヴォイドがまた大あくびをしながら口を開く。
「んーな気になんなら、あー? ラセルっつったか? 野郎も連れ出しゃいいだろ。幸いにもこっちの陛下は、いい加減なちゃらんぽらんオヤジだ。おめえんときみてえによ、またなあなあにしてくれんじゃねーの?」
いや、おまえ。
俺の実の息子がここにいるというのにそんな……まあ、大半同感だけども。昔からキルプスの考えていることはさっぱりわからん。言動ひとつ、行動ひとつ取っても、それが王としての立場からなのか、ひとりの人間としての立場からなのか。
……俺は前世の時点で理解を諦めた。だから王ではなく、ひとりの人間として、あいつには接してきた。少なくとも俺だけはな。
「そのためにも騎士学校に在籍しといた方が都合いいんじゃねーの? どうせあっちからわざわざ来てくれんだろ?」
「そんな簡単に言わないでよぉ……。だって今回みたいにみんなを危険に晒しちゃう」
俺は吐き捨てる。
「阿呆が。危険などと、騎士学校にいていまさらなことを抜かすな。それに危険というものは分散できる。薄まれば薄まるほどに浅くなる。うじうじとくだらんことを考えていないでおまえは堂々と胸を張り、ここで生きていればそれでいい」
リオナ押し黙る。短い沈黙が支配した。
腕組みをして、何やら考えているようだ。
しかしやがて心地よい夜風が吹く頃、彼女は顔をあげてニヘラと笑った。
そうして媚びるような視線を俺に向け、いつものようにつぶやくのだ。この少女は。
「…………それってぇ、一生俺の側にいろってことぉ……?」
「全っっっっっ然っ、違うっ!!」
俺がいつものようにリオナにつかまり、頭を薄い胸の中に抱え込まれると、ヴォイドとオウジンは鼻で笑って背中を向け、ゆっくりと歩き出す。
「放せ!」
「ヤーダよ」
まったく。結局いつもの調子だ。
……さて、帰ろうか。俺たちの家に。
まあ、何やらこう、色々あった夜だった。
……夜?
また何かを忘れている気がする。
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