第298話 大人の会話
軍服を着込んだショートカットの女がいた。ニーナ・ヤスクノヴァだ。
以前の平民服だった彼女とは違い、何やら妙な迫力を感じる。
彼女は俺と視線が合うなり一旦逸らし、何かを考えるような素振りを見せたあと、馴れ馴れしく片手を挙げた。
「おーっす、エレミア」
「……お、おお……」
声が掠れた。
つかつかと歩み寄ってきて、俺の頬を指先でつつく。
「何だよぅ、そんなあからさまに嫌そうな顔するなよぅ、こいつぅ」
嫌なんだよ。心の底から面倒なんだよ。
以前、俺の正体があーだこーだと、散々引っ掻き回されたからな。おかげでノイ家がエア男爵であることと、俺がガリアの第三王子であることが、新たにニーナを含むふたりの人物にバレてしまった。
おそらく先ほど何かを考えるような素振りを見せたのは、俺に対する態度を決めかねているといったところだ。馴れ馴れしく声を掛けてきた割に顔色が蒼白なのが虚しい。
察するに、お互いあまり関わり合いになりたくないとは思いながらも、俺の本来の立場を考慮して挨拶をしてきたといったところか。
だがやっている本人も、こんな態度を取ってしまっていいのかどうか、相当不安なようだ。蒼白どころか涙目になってしまっていやがる。
まったく。黙っていればいいものを。阿呆の分際で鋭く、そしてふざけた態度の割に生真面目だ。
何を話すべきかと互いに考えているうちに、なぜかリオナがニーナに挨拶をした。
「こんばんは、ヤスクノヴァ教官」
教官……?
ヴォイドもオウジンも怪訝な表情をしている。
しばらく戸惑ったあと、ニーナがリオナに尋ねた。
「あ、ああ、すまない。キミは?」
「ベルツハインです。高等部の。以前女子寮で挨拶したくらいなので忘れるのも仕方ないかと」
そう言ってリオナは苦笑する。
「ヤスクノヴァ教官は中等部の教育実習生としてしばらくいらしてたでしょう?」
カーツと接触したせいで、リリに諜報員疑惑が上がったときのことだ。
「ああ、そうか。そのときにか。すまないな、今度は忘れないようにするよ、ベルツハイン。先ほどこちらのオウジンから概ねのことは聞いた。……今回のことは災難だったな」
「はい」
今回のこと。ラセルと暗殺者たちのことだ。
どうやら俺が話さずとも、ベルツハインの暗殺、あるいは奪還にやってきていたことまではすでにバレてしまっているようだ。
しまったな。そこらへんまではサビちゃんに報告しておくべきだったか。どうにも俺は気が回らん。
背後から感じるサビちゃんの視線が痛い。
だがそれは俺に向けられたものではなかったらしく。
「ちょっとニーナァ、調査騎士ちゃんたちはどこまでつかんでるのよぅ?」
「たとえ同期でも言えるわけないだろ。調査騎士の調査内容は外征にも巡回にも共有できないんだって。あんたたちを取り締まる必要があるかもしれないからな」
「んもう、イケズゥ。でも、ベルツハインね。リオナちゃんとは以前から多少面識はあったけれど、家名を聞いたのは初めてだったわ。んなぁ~るほどねぇ~……」
サビちゃんの視線がリオナへと向けられる。〝ウェストウィルの異変〟で絶えたはずの領主一族の家名だ。おのずと繋がろうというもの。
ああ、ハラハラする……。
だがすぐにニーナがため息をついて、その視線を戻させた。
「留学生のベルツハインは今回の容疑から外せってさ。内通の心配はないらしい。そこらへんはそっちの聞き取り調査とも符合してるだろ」
「まぁね。アタシも彼女のことはちゃんと知ってるつもりだしぃ? でもそれってぇ、いったいどこらへんからのお達しなのぉ?」
鋭いな、サビちゃん。やはりこの女、剣だけではないな。
少し逡巡を見せたあと、ニーナが人差し指を立てた。当然、天井には何もない。
サビちゃんがうなずく。
「そ」
俺は何となく察した。おそらくニーナ自身もはっきりとはわかっていないと思うが、その命令の出所はキルプスだ。助かるぞ、親父殿。
ふいにサビちゃんとニーナの視線が同時に俺たち四人へと向けられる。
「アンタたち、もう帰っていいわよ」
「気をつけて帰れよー。もうかなり遅いからな。あとこれ以上の問題は起こすなよ」
俺たちはうなずき合うと、ふたりに軽い会釈だけをして、巡回騎士の駐屯所をあとにした。
外は初春の冷えた夜だ――。
月はすでに直上にある。深夜になってしまった。これはリリからかなりのお叱りを受けそうだ。
「オウジン、リリにこの件は話したのか?」
「うん。一応話は通している。イトゥカ教官は騎士団とも連携を取っている。今頃はもう無事を知っているはずだよ。さっきまでデタラメに走り回って捜してたみたいだけど、さすがにそろそろ学校に戻ってる頃じゃないかな」
よかった。無断外泊ではなくなっただけ、俺の尻が腫れる可能性は低くなる。
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