第2話 学園生活は楽しみたい派
退屈な人生だ。まるで籠の鳥のように。
そんな折り、母の愛を独占する俺を疎ましく思ったらしい長兄レオナールから、おもしろそうな話を聞いた。
「おまえ、そんなに剣を振り回したければ、身分を隠して全寮制の騎士学校にでも入学してみてはどうだ? 俺たちは情けない弟の顔を見なくてせいせいするし、おまえは蛮族のように自由に剣を振れるようになるぞ」
「全寮制の騎士学校? そのようなものがあるのですか?」
「そんなことも知らないのか? 父様が今年度、レアンに開校されたものだ。騎士学校では剣が重要カリキュラムだから、好きなだけ振れるぞ。ま、皿の肉も切れんやつに剣など扱えるわけもないだろうけどな」
キルプスが騎士学校を開校した、か。
俺は顎に手を当てて考える。
「ああ、いいな。それ」
実にいい。こうして猫を被る必要もなくなる。
女々しく嫌味な兄が、初めて役に立った。
「ん? 何がだ?」
王族の勉学は、大半が王宮内で行われる。大抵の分野の専門家は居館に棲まわせているし、そうでなければ外部から信用のある者を雇う。王族が危険な王宮の外に出ることなど、公務以外にはほとんどないのだ。
だから公爵以上の王族が騎士学校や魔術師学校に通うことは、これまでも歴史上なかった。もしもあったとしても、おそらく身分は明かさなかっただろう。それは暗殺者を呼び込む自殺行為にも等しいのだから。
「そうします。ありがとう、レオ兄様」
「は? おまえ、それ本気で言ってんの?」
「ええ。これでようやく貴様ら兄弟の阿呆面を見ずに済みますから」
「……へ? え? え~……? え?」
呆気にとられている兄を置き去りに、その日から俺は母を説得し続けた。
レアン騎士学校は初等部から高等部までの一貫制だ。入学すれば十年近く王宮に戻ることはなくなる。正確には里帰りくらいは許可されているのだけれど。
当然、母からは反対された。だが兄ふたりの稚拙な生き方を見ていたキルプスが、意外にも俺に賛同してくれたんだ。
やつはある夜、俺を自室に呼びつけてこう言った。
「レオやアランのようにはなるな。身分を隠すことになるゆえ苦労はするだろうが、外の世界で多くを学び、存分に己を鍛えてくるがいい。王宮外でのことを学べ」
「いいのですか?」
「味方から剣技を笑われながらもこの国を救った剣聖ブライズのような男になれ」
もうなっているぞ。
俺だよ、俺。ブライズ。身分を超えた友情を忘れたか、キルプス。まあこの姿じゃわからんよな。
「あやつは剣術に纏わり付く旧態依然とした形骸を破壊した。貴族たちから理解こそされはしなかったが、たったひとりで数百年分の剣術史を進めた人物だと私は考えている。ゆえにこの国は救われたのだ」
だがあまり持ち上げてくれるな。さすがに恥ずかしくなる。顔面大発火だ。笑い者にされてた頃の方が気楽に思えてきた。
「おまえには、いや、この国に生きるすべての民に、そういう生き方をして欲しいと私は考えている。剣術に限らずともな。それが国を強くする。だから私はブライズの英雄像を建てるのだ」
勘弁してくれ。これ以上国内に俺の像を増やすな。
特に職人によってやたら美形にされていたり、若返らされたりしているものの前を通るときなど、馬車の中からであっても羞恥心を煽られ正視に耐えない。
これではもはや俺がブライズであるなどと名乗るに名乗れない。まあ、名乗ってみたところで誰も信用などしないだろうし、頭の専属医をつけられるのが関の山だろうが。
そんな俺の想いなど意にも介さず、キルプスは続ける。
「心配するな。母さんには私の方から言っておく」
「あ、ありがとう、父上」
「期待している」
厳しくはあったが、キルプスもまた良き父親だった。
最初から最後まで、ずっとだ。兄ふたりの育成に失敗したのは、王宮という閉ざされた環境が原因だったのだろう。そりゃあ歪みもする。なぜなら己に逆らえるものなど、父母以外にはいなかったのだから。
そうして俺は。
王都ガリアントが春を迎える頃、北方に馬車で三日ほど進んだところに位置する新設された学園都市レアンの、王立騎士学校へと入学試験を受けに行くことになった。
「では、行ってまいります。父上、母上」
チーフで涙を拭いながら、馬車に乗った俺を地面から見上げて母が言う。
「わたしの小さなエレミー。そうだわ。護衛をつけましょう」
「いえ、王族であることは伏せねばなりませんので。護衛は自身で喧伝しているも同然です」
身分を明かせばそれだけ危険が増える。だからキルプスからは、下級貴族である男爵家を名乗るようにと強く言われている。
それ以前にお目付役などつけられてたまるか。俺は自由が欲しくて旅立つんだ。
「で、でしたら、つらくなったらすぐに帰ってくるのですよ? そうだわ、衛兵に言っていつでも王都門と王宮門は常に開けておくようにしておこうかしら?」
だめに決まってるだろう。どこまで過保護だ。
そう言いたいのをぐっと堪えて、俺は笑顔を作る。これが最後の猫かぶりだ。
「母上。私なら大丈夫ですから。そのようなことをなさっては、王都門からは魔物が、王宮門からは賊が侵入してしまいます。物騒なので、ちゃんと閉めててください」
「そ、そんな無体なっ!? わたくしにあなたを閉め出すような真似をしろと言うの!? ヨヨヨ……」
ええい、めんどくさい……。なんとかしろ、キルプス……。
見送りの母は、俺が引くくらい泣いていた。
一方その背後では、父が顔を背けて笑いを堪えていた。
おい……。
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