第290話 消えた少女
夕方までオウジンと修練をして軽く汗を流し、腹が減ってきたあたりで私服に着替えた。制服ではないのは、もしも諜報員や暗殺者がいた場合に警戒をさせないためだ。騎士学校の学生は、身分的には従騎士相当なのだから。
むろん私服では暗殺や拉致といった行為の抑止という面では逆効果になるのだが、ことを起こさせなければ燻り出すこともできない。そうなればこの先もリオナには不安がつきまとうことになってしまう。
言い方は悪いが、もし本当に諜報や暗殺を生業とする者がリオナの近くにいるのであれば、いっそ襲われてしまった方が都合がいい。問題はその場に俺たちが居合わせることができるかどうかだ。
だがゆえの私服。たとえ金属糸というアドバンテージを失おうとも。
とはいえさすがに武器は必要だ。俺は腰に脇差しを、オウジンは刀を佩く。
「行こう」
「おう」
ふたりして街へと繰り出す。行き先はもちろん古の戦場亭だ。
日暮れとともに一日の仕事を終えた人々が、足早に帰宅している。
往来する人々の数は明るいうちに比べれば当然少ないが、それでもメイン通りであれば人の目は常にある。ケメトのような経験の浅いホムンクルスでもなければ、さすがにこのような場でことを起こすとは考えづらい。
俺たちは古の戦場亭の前に立つ。
「どうだ、オウジン?」
「いまのところはそれらしい気配はないね。キミは?」
「同じだ。いっそ派手に現れてくれた方が助かるのだが」
路地裏を覗きながら、オウジンが尋ねてきた。
「僕らが護衛につくことをリオナさんには?」
「言っていない」
「狙われている恐れがあることもか?」
「ああ。店内では例の五名にかかわらず、どこの誰に聞かれているかわかったものではないからな。他に仲間がいないとも限らん。だが、リオナに限っては襲撃前に必ず気づけるはずだ。察知能力だけはリリより上だと思う」
オウジンが右手で口元を押さえる。何かを考えているようだ。
「……エレミア、店に入ろう」
「そんなに腹が減っているのか。いいぞ。本日のおすすめはムニエルだ。俺は昼に食ったから他のものを試すつもり――オウジン?」
オウジンは俺の言葉が終わる前に店内へと入っていった。俺は小走りでそれを追いかける。
料理に交じって、ふわりと酒の匂いがした。
そういえば夜は酒場になるのだったか。
店内はあいかわらず盛況だ。むしろ昼よりも客が多い。全席埋まってしまっているし、店内の壁際では席が空くのを待っているやつらもいる。大半が仕事帰りの男たちだ。酒が入っているせいか、昼間よりも騒がしい。
給仕がすぐに小走りでやってきた。昼には見かけなかった女性だ。
「いらっしゃ――あら? リオリオの彼ピちゃんじゃない。あなた、お昼にも来てたでしょ」
「彼ピではない。……すまないが、どこかで会ったか……?」
「ないない。あたし、お昼は二階の宿酒場で働いてるから。ほら、そこから見てただけ」
女が木製の階段を上った先の、二階の通路を指さす。
「小さくて可愛い彼ピだな~って見てたのよ」
酒場に変わったためか、給仕らの年齢も少し上がっているようだ。二十歳すぎといったところか。同時に給仕服の丈も少し短くなっている。
「昼がうまかったのでな。晩飯もここで食うことにした」
「ナブコフさんの料理、おいしいよね~。おかげで宿の方もお客が入って助かるわ」
「いまは満席か?」
「見ての通りよ。席が空くまでちょっと待ってもらうことになりそうだけど……。お酒の席は長いから、結構かかるわよ」
視線でリオナを捜していると、オウジンが彼女に尋ねた。
「すみません。ベルツハインさんは――」
「あらぁ。可愛い男の子がもうひとり。あなた、黒くて綺麗な瞳をしてるわね」
ああ、だめだ。そんなことを言ったらオウジンがぽんこつ化してしまう。
などと考えたが、予想を裏切ってやつは険しい表情をしていた。女性が微笑みながら口を開く。
「彼女はいまどこに?」
「リオリオならさっき帰ったわよ。ほとんど入れ違いね。平日は酒場も手伝ってもらっているけれど、休日はお昼から夕方までだから」
俺は眉をひそめた。
「賄いをここで食って帰ると言っていたが……」
「賄いは持って帰るのよ。戦場亭の夜は、お昼と違って文字通り戦場になるから」
なんてことだ。立ち話などしている場合ではなかった。
オウジンが先に店の外へと出ていく。
「すまない。食事はキャンセルだ。また来る」
「そっか。またお昼においでよ。リオリオもいるし、席も空いてるから」
「ああ。ではな」
俺はオウジンを追って店外に飛び出した。
「オウジン!」
顔は依然として険しい。
「リオナさんなら店の周囲をうろつく僕らの気配に気づけたはずだ。店外に出てこなかったのは、忙しいからだと思っていた」
「――!」
そうか。だからオウジンは急いで入店したのか。
だがリオナはすでに帰っていた。
「エレミア、僕らは騎士学校から最短距離を辿る道で戦場亭までやってきた。その上でリオナさんとはすれ違わなかった」
「……まっすぐに帰れない理由ができてしまったということか」
「わからない。ただの買い物かもしれないが、キミの話に俄然信憑性が増したとも言える」
騎士学校へ向かうべきか。あるいはレアン中を走り回って、手当たり次第に彼女を捜すべきか。
レアン中を……? 無理だ。学園都市とはいえレアンは相当広い。
頭を掻き毟る。
だめだ。どう考えても手が足りない。このようなことなら、学内に残っているはずのセネカを誘うべきだった。いや、だめだだめだ。暗殺者との戦いにセネカを巻き込むのはあまりに危険過ぎる。
焦りがじわじわと募っていく。
ヴォイドめ。このようなときに女のところへしけ込むとは。
「落ち着け、エレミア。パニクってる場合じゃない。それに、まだそうと決まったわけでもないだろ」
「そ……うだな」
ああ、糞! 年下に諭されるとは情けない!
一瞬の逡巡ののち、オウジンが一気にまくしたてた。
「僕は一旦騎士学校に戻る。キミは心当たりを捜索しろ。もしリオナさんが学校に帰っていたら、彼女と一緒にキミを捜しに出る。いなかった場合はイトゥカ教官にこのことを伝えてから動く。道々でヴォイドがどこかで見つかれば手伝わせよう。彼女が見つからなかったとしても、月が頭上に来る前には一度学校に戻って落ち合う。これでいいか?」
「あ、ああ。すまん、助かる」
こういうときに冷静なオウジンは頼りになる。今日は壊れていなくてよかった。
「じゃあな、あとで会おう。気をつけろよ、エレミア」
「おう」
言うや否や、オウジンは猛スピードで走り出した。いまの俺ではとても追いつけない速度だ。
俺は一度大きく深呼吸をして、真っ暗な路地裏へと入る。念のために魔導灯を持ってきておいてよかった。
だが心当たりといっても、どちらに向かえばいいのか。もしリオナが未だ逃走中なのだとしたら、おそらくは学校のある北に向かうだろう。しかしすでに敵の手に落ちていたなら、馬車の停留所のある南というのも考えられる。
「どう、する……? せめて何かヒントがあれば……」
ああ、己にリオナ並の察知能力があれば……。
いや、いや――!
いるではないか。たったひとりだけ、リオナを超える察知能力を持った少女が。
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