第289話 侍は自炊に目覚める
学校に戻ってはみたものの、リリはすぐにはつかまらないだろう。
やはり受験からの新入生の迎え入れ準備は相当忙しいようだ。他の教官連中も走り回っている。あのローレンスでさえもだ。
校庭で児童用の机を本校舎へと運び入れているローレンスとすれ違った。何やらチョロッとはみ出た前髪を跳ね上げて俺を睨めつけ、周囲に誰もいないことを確認してから。
「……逃げるなよ、クソガキ」
「んあ?」
すれ違い様、静かにそれだけを告げると、他の初等部教官とともに本校舎へと入っていった。しばらくその背を見つめて思い出す。
「あ!」
そういえば今晩決闘があるのだった。危ない危ない。まあ、忘れてもあまり支障なさそうな気はするが。何にせよ、いまはそれどころではない。とりあえず夜まではまた忘れておこう。よし。
そのまま本校舎入り口をスルーして男子寮、女子寮ともに通り過ぎ、修練場へと向かう。大抵の場合オウジンはここにいるし、運がよければヴォイドも眠っている。一石二鳥というやつだ……が、そもそも入り口扉の鍵が開いていなかった。
「糞、朝からずーっとどこ行ってやがるんだ、役立たずめ」
毒づいてから女子寮を再び通り過ぎ、男子寮へと入っていく。三階まで上がってオウジンの部屋をノックすると、今度はあっさりとドアが開かれた。
オウジンだ。ちゃっかり部屋にいやがる。朝はいなかった癖に。
「エレミアか。どうしたんだ?」
何やら甘辛いいい匂いが中から漂ってきている。食事中だろうか。
「少々話があってな。時間はあるか?」
「ああ。いま少し料理というものを試していたんだ」
「料理? どうせまた巨大な握り飯だろ」
あの鈍器のように巨大な三角形のおにぎりだ。
「違うよ。ちゃんとしたやつだ。その~……」
少し言い淀み、オウジンは照れくさそうに指先で頬を掻く。
「ああ、えっと……。モニカさん里帰りをする前にね、その、レシピを僕に残していってくれたんだ。肉体作りのための食生活は継続が大事だから、自分でもできるだけ頑張ってみてって言われてさ。それで朝から買い物に出ていたんだ」
だから朝はいなかったのか。なるほど。
「ほう」
しかし、こいつらの仲。じわじわ進行中――いや、侵攻中か。モニカの。むしろ侵蝕中?
何にせよ、もはやオウジンはモニカに手足を絡め取られてしまっている獲物だな。俺にとってはどうでもいいことだが、それでも不思議と少し嬉しい気分なのは、俺が歳を取っているからなのだろう。
「ああ、ちょうど今し方できたところだ。よかったらエレミアも少し食べるか?」
「いや、俺はリオナのバイト先で食ってきてしまった」
オウジンの稚拙な料理にも興味はあったが、古の戦場亭のムニエルの味を超えるものではないことだけは確かだ。
もはやナブコフシェフのファンになってしまいそうだ。今後は確実に通う。
「少し遅めになってしまったからな。話があるなら食べながら聞いてもいいか?」
「それで構わん」
オウジンに招き入れられ、部屋に上がる。
「お、おお?」
何だこの部屋……。
床がカーペットや板張りではなく、細い藁のようなもので編まれている。
「畳っていうんだ。ヒノモトの床だ。靴は土間で脱いでくれ」
「ああ」
踏むと柔らかいのにしっかりしている。カーペットいらずだな。
「テーブルが低いな」
「畳に直に座るんだ。慣れてなければ部屋の隅にある座布団を使ってくれて構わない」
オウジンがいくつか皿ののったトレイを持ってきて、低いテーブルに置いた。焚いた米と茶色く煮付けた肉とジャガイモと玉ネギ、それにスープのようだ。生野菜のサラダもある。
俺の向かいにオウジンが座った。
姿勢を正し、両手を合わせて「いただきます」とつぶやく。
そうして箸で肉やジャガイモを米にのせ、ゆっくり食べ始めた。
「……意外にうまそうだな」
「僕は料理ができないから、モニカさんのレシピ通りに作ったからね。肉じゃがっていう故郷の料理なんだ」
材料そのままの名だな。玉ネギも仲間に入れてやってほしい。肉じゃが玉じゃだめなのか。
しかしあれだけ食ったのに、やけにうまそうに見える。鼻腔をくすぐる匂いも悪くない。く、オウジンの分際で生意気なものを作りおって。
「味が気になるなら少しだけ食べるか?」
オウジンが箸と肉じゃがの入った皿を俺に差し出した。
俺はうなずいて受け取り、ジャガイモの上に肉と玉ネギをのせ、口に運ぶ。
甘い。うまい。なんだこれ。
「うまい。やるではないか、貴様。だがジャガイモが四角いのはなぜだ」
オウジンが遠くを眺めるような視線でつぶやいた。
「……包丁捌きと剣術はまったくの別物なのだと思い知らされたよ……。……僕はまだまだだ……」
「お、おまえまさか、刀で調理したのではないだろうな!?」
グールとかオーガとか散々斬ってきた刀だぞ!?
「するわけないだろ!? 変な病気になったらどうするんだ!?」
「そうか。安心した。おまえは刀を握らせていないと、いつも少々頭の方がおかしくなるからな」
ああ、だからか。万に一つ刀で食材を切ろうと考えても、刀を持った途端に頭が正気に戻る。これなら食の安全は保証されたも同然だ。
「さっきから何を言っているんだ?」
自覚症状はナシか。気の毒にな。
俺は皿と箸をオウジンに返した。
オウジンはそれを受け取ってトレイの上に置き、あらためて尋ねる。
「それで話というのはなんだ?」
「ああ、それなのだが――」
よしよし。いまは刀を手の届く範囲においているから正気だな。
俺は大型馬車から降りた客の話と、古の戦場亭で見た五名の話をした。ついでにナブコフシェフの料理の話も交えながらだ。
オウジンは飯をかき込みながらうなずく。
「馬車は王都方面からなのだろう? 共和国方面ならともかく、あまり問題はなさそうに聞こえるな」
「正直なところ俺もそう思うのだが……」
会話もなくバラバラに降りて違う方角に去った人間たちが、よりによってリオナの働く店で再び集合していた。もしかしたら俺が騎士学校の制服でなければ、あるいはリオナが俺を完全に無視して働いていたら、多少は馬脚を現していたかもしれん。
いや、いや、考えすぎか。まあ、たらればを言ったところでしょうがない。だが胸騒ぎがする。
オウジンが深底の皿に入ったスープを飲み干すと、一息ついて俺に提案した。
「心配なのはわかるよ。リオナさんの上がりは夕方なんだよね?」
「ああ。だが夕飯に賄いがどうとか言っていたから、もう少し遅いかもしれん」
「わかった。その時間くらいに行ってみよう。……それだけおいしい食事なら、晩ご飯を古の戦場亭で食べてもいいしね」
「助かる……! 空振りの可能性は高いが、感謝するぞ」
オウジンが苦笑いを浮かべる。
「いいんだ。キミにはモニカさんを取り戻すときに、大きな借りを作ってしまったから」
「ふむ。その言い方ではモニカがまるでおまえのものみたいだな」
一瞬言葉に詰まったオウジンが、唐突に顔面を真っ赤に染めた。
失言だったようだ。だがやはり進展はしているようだ。ちゃんといい具合に侵蝕されている。
俺は話題を変えた。
「ところでヴォイドがいまどこにいるか知ってるか?」
「午前の買い物中に街で見かけたよ。ミリオラさんのところに行くって言ってた」
「そうか。だとしたらつかまえるのは難しいな」
フアネーレ商会の闇市は夜だけだ。
倉庫は閉まっていたし、拠点をどこに置いているのかまでは聞いていない。
まあ、今回は空振りの可能性の方が高い。オウジンの助力を得れただけでも十分だろう。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




