第287話 不穏の足音
何やら戸惑った表情で立っている。どうやらこの非常識娘でも仕事中だけは分別という理性が発生するらしく、珍しく照れくさそうにもごもごしていた。
「あ~、お席にご案内しま……す」
「おう」
店は割と盛況だ。
行列を作るほどではないが、テーブル席の大半が埋まってしまっている。最初のテーブルを通り過ぎるとき、作業服のおっさんが背もたれに背中を預け、身を反らせならがリオナに声をかけてきた。
「リオナちゃ~ん、お願いだから酒持ってきてぇ」
「何言ってんですか、ペトロさん。まだ仕事中でしょ。午後からどうするの」
「うちのカミさんみてえなこと言うなよぅ……」
ドッと笑いが広がる。
「こっち、とろとろオムレツまだぁ~?」
「忙しいんだから自分で運んでくださぁ~い。お料理カウンターにはもう出てまぁ~す」
「ええ、おっちゃんはリオナちゃんに運んできてほしいんだよぉ。味がおいしくなる気がするからぁ。いっひひひ」
リオナが真顔で言い返した。
「え? 愛もないのに?」
「ひでぇ!」
また笑いが起こる。
「人気者だな」
「えっへっへ。忙しすぎて適当に対応してたらこうなっちゃった」
よく見れば、他の給仕たちも忙しそうに走り回っている。だが、みんな生き生きとした顔だ。客への応対もリオナとそう変わらない。
「ははは、おまえらしいな。ところで料理はしていないのか?」
たまにくる差し入れから、てっきり厨房に入っているものだとばかりに思っていた。
リオナが指先で頬を掻く。
「料理はナブコフさん――あ~、えっと、この店のオーナーさんがひとりで切り盛りしてるからね。すごいよ、ほんと。鱗を剥いだお魚なんて、瞬きする間に三枚に捌き終えてるんだもん。刃を入れるのに何の迷いもないの。お肉もお野菜もスパパパパーンって」
ひとりでこの客の人数分を!?
よく見れば完成された料理が次々とカウンターに並べられていっている。むしろリオナを含む三名の給仕の方が追いついていないくらいだ。
イカれてるな。料理人にしておくには惜しい包丁捌きだ。確実にいい剣士になる。どこにでもいるものだな。隠れた才能というのは。
厨房からは荒々しい音が響いている。包丁と食器、炎で何かを炒める音だ。
「あたしは賄いとか、一日を終えて余った材料を好きに使わせてもらってるだけだよ。そのときにお料理を教わってるんだ」
「ほう。いい店にあたったな」
店名は何だったか。看板を見ておくのだった。
「うん。ほんとそう。古の戦場亭にきてよかったよ」
「ぶっ! ……なんて物騒な名だ……。まあ、らしい名前だが……」
おひとり様だからだろう。カウンター席の端に案内された俺は、おとなしく椅子に飛び乗った。ぴょんと跳ねてだ。
椅子が高いんだよ。十一才のガキには座りにくい。
「あっは。ごめんね。この店、夜は酒場になるから子供は想定していないんだ。でも座り方、可愛かったよ」
「俺は子供ではないぞ。何なら酒も飲める。……はずだ」
前世の記憶の中では、ブライズは酒豪だったからな。
まあ、マルドには何度も潰されたが。いや、あれは酒で潰されたというより、ぶん殴られて気絶させられてから、口ん中に樽の注ぎ口を直接突っ込まれるからだが。
穴という穴から酒が出るわ。水芸かよ。帰ったら洗濯係だったリリに叱られるし。
リオナが苦笑いで口を開く。
「はいはい。無理しないの。ご注文は?」
「おすすめはなんだ?」
「今日だと白身魚のムニエルかなあ。ミナス自治州のバターと小麦を使っているから、すっごく香り高いよ」
うまそうだ。
ミナス自治州とはガリア王国の北方、トランド帝国領内にある自治州の名だ。ガリアで言えば辺境のような関係性の土地が帝国領内にも存在し、そこには大きくのどかな平原が広がっている。海に面したミナス自治州では、漁業はもちろん平原を利用した農業も盛んだ。
ミナス自治州産の食材は、トランド帝国内はもちろん、帝国とよき関係を築いているガリア王国でも人気がある。
「ではそれを頼む」
「はぁ~い。パンかライスはどっちにする?」
「おすすめは?」
「どっちも合うんだけど、お皿に残ったソースにパンをつけるとおいしいよ」
「ではパンだ」
リオナが嬉しそうにうなずき、カウンター越しにナブコフシェフに注文を通す。その後は水を運んだり料理を運んだりと大忙しで、こちらに話しかける余裕もなさそうだ。
「……」
俺は置かれた水を傾けながら、隣に座る紳士を盗み見る。先ほどから指先でこつこつとカウンターを叩いている。苛立っているわけではないのか、ぼんやりとした顔でだ。
風体は変わっている。これはキルプスもだが、王国紳士というよりは、帝国や共和国で流行っていそうなモダンな格好をしている。
それと――。
大いに賑わう昼食時の店内で、ひとつのテーブルだけが耳を澄ますように黙りこくっている。丸テーブルに四人座り。料理はすでに出ていて、どいつもこいつも静かに飯を口に運んでいる。
こつ、こつ……。指先がカウンターテーブルを打つ。
リオナがパンの入ったバスケットと肉料理を運んできて、隣の紳士の席に置いた。
「お待たせしましたー!」
「ああ、ありがとう。お嬢さん」
紳士が顔を上げて、リオナににっこり微笑む。
以降、彼は普通に食事を始めた。フォークを左手に、ナイフを右手に。肉を切って口に運ぶ。そしてうまそうに目を細めた。
黙り込んでいた背後のテーブルでも、当たり障りのない会話が始められる。
嫌な感じだ。
態度ではない。別段両者ともに妙な気配もない。
だが、この五名の彼らは、全員が乗合馬車から降りてきた顔ぶれだ。むろん、騎士学校が手配した馬車ではない。その前に停留した大型馬車だ。
降りるときは誰ひとり会話をしていなかったのに、いまは四人が同じテーブルにいて、そいつらを含む五人が同じ店にいる。
剣のように、目に見える武装はしていない。これがただの偶然ならばよいのだが。
リオナに忠告をしようにも、こうも席が近くては。
こちらの気も知らず、リオナが嬉しそうに俺に小さく手を振った。ため息をついて、俺は軽く振り返す。
まあ、考えすぎのような気もするし、仮に彼らが敵性の何者かだとしても、気配察知に優れたリオナに限って、向けられる殺意や悪意を見逃すとも思えないが。
程なくして、俺の前にもムニエルが運ばれてきた。
リオナではなく別の給仕だ。丸顔で幼い顔つきをしている。
彼女はムニエルとコーンの入ったスープ、そして焼きたてパンのバスケットを並べると、最後になみなみと注がれた木製ジョッキをドンと置いた。
「お? 飲み物は頼んでいないが……」
酒か?
両腕でトレイを抱えた給仕が、腰を曲げて俺の耳元で囁くように言う。
「このミルクはベルツハインから彼氏ちゃんへのサービスで~す。早く育ってあげてくださ~い。あ、他のお客さんには内緒よ?」
「あ、ああ、ミルクか。……いや、そんな関係ではないぞ!? おい、お~い!」
彼女はそそくさと立ち去ってしまった。
まったく、最近の若い娘は揃いも揃って話を聞かん。
漂うバターの芳醇な香りに、腹と喉が同時に鳴った。
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