第284話 それはとても悪質だと思った
薄く降り積もっていた雪が、遠景の山岳地帯からその姿を消す頃――。
学年末試験を終えた高等部一年に、初めての長期休暇が訪れていた。大半の学生らは学校側から奨励される通り、故郷へと里帰りをしている。これは騎士という常に命の危険に晒される職業に就くための、心構えの前準備らしい。
朝。いつもならば一限前の騒がしい時間だが、今日は廊下から足音も声もしない。
いま学内に残っている者といえば、入学試験の準備に勤しむ教官連中と、ヴォイドやリオナ、セネカのように帰る家を持たぬ者、そしてオウジンのような他国からの留学生に、己の身勝手な我が儘で意地でも帰りたくない俺くらいのものだ。
「……」
リリからの視線が痛い。食卓の向かいに座ったまま、じーっとこちらを見つめている。もはや飯の味がわからん。
目玉焼きの黄身にフォークを突き刺してつぶやく。
「そんなに俺に帰ってほしいのか?」
「嫌な言い方をするわね。帰る家があるなら帰った方がいいと思うだけよ」
あるにはあるが窮屈なんだよな。剣を奪われて人形のように着せ替えられ、疎ましい兄たちには嫌味をネチネチと言われる。それどころかヘタをすればこちらに戻れないよう、アリナ王妃に軟禁される恐れすらある。
「ご家族と仲が悪いの?」
「別にそういうわけではないが……」
むしろその逆で困っている。
母は異常なほどの過保護で、父はわざわざ王都から我が子の様子を見るために理事長室にまでやってくる物好きだ。ああ、兄ふたりのことは知らん。
「王都南方のカルド村だったかしら」
「……?」
焼いたパンに潰した目玉焼きをのせ、口に運びかけていた手を止めた。
リリが怪訝な表情をした。
「あなたの出身地、違ったかしら」
あ……。
「ああ~っと! そうそう! そうだ。カルドにある男爵家だ。領主ですらないぞ。村長は他にいるし、実質平民だな。騎士爵みたいなものだ」
そういう設定だった。危ない。すっかり忘れていた。
調査騎士のニーナに一度ほじくり返されていなければ、完全に失念していたかもしれん。誰かに実家を問い詰められたら、ついつい王都だとこたえてしまいそうだ。焦った。
「王都の向こう側で遠いのはわかるけれど、顔くらいは見せてあげなさい。きっと心配しているわ。あなた可愛いから。中身はアレだけれど」
アレとはなんだ。
それに、顔ならことあるごとにしょっちゅう見にきてやがるんだが。何なら浮かれポンチな女装まで見られたという始末だ。親にだぞ。
「わかってる」
「帰らないなら手紙を書くこと。約束して」
「わかったわかった。書くよ。書いとく」
確かにな。一応無事くらいは伝えておかなければ、今度はキルプスではなくアリナ王妃が様子を見にきてしまいかねん。あの母が器用に身分を隠せるとも思えん。そんなことになれば目も当てられんからな。
ましてや十五も離れた女と同棲中ときたもんだ。
「ならいいわ。――わたしはこれから入学願書の整理があるから教官室にいるけれど、何かあったら言いにきなさい。それと一応注意しておくけど、怪我が治ったからといってレアンダンジョンには近づかないように」
「それもわかってる」
フィクスは里帰りを延期し、今頃追試を受けている最中だ。全科目だから数日かかるだろう。あいつがいなければ瘴気の中を歩けない。
それにいまテスカポリトカに挑んだところで勝てはしないだろう。再度殺り合うならば、せめてオウジン程度の体格はほしい。具体的には双剣術を扱えるだけの筋力だ。ゆくゆくは前世と同じく大剣なのだろうが。
ミルクを飲み干し、俺は立ち上がる。
「ごちそうさん」
「お粗末様。今日はお出かけ?」
「部屋にいても仕方がないからな。食ったら動く。それが筋肉になる」
「ふふ。――ああ、そうだわ。言い忘れていたのだけれど」
振り返ると、リリは少し逡巡したように目線を逸らせ、言いづらそうに口を開いた。
「新しい寮がもうすぐ完成する。学外だけれど――いいえ、学外だから大きな寮よ。すでに入学済みの初等部、中等部、高等部はいまのままこの寮に住むことができるけれど、エレミアが望むなら第二寮の男子部屋に移動することもできるわ」
「あ~……」
「申請するなら早い方がいいわよ。好きな部屋を選べるから」
面倒だな。別にいまのままで不便はないが。
「この寮の教官フロアには空きがあったな。ニーナが借りていた隣室とか、その他の部屋も割と空いていたはずだ」
「それももうすぐ埋まるわ。新入生が入学したら、彼らを指導する教官も増やさないといけないから。女性教官が多くなるわね」
「そうなのか」
立ち止まり、考える。
やはり教官と生徒が一緒に暮らしているのはおかしいか。
「同僚がこのフロアに増えたら、やはり俺といるのはおかしいと思われるか?」
「どうかしら。エレミアの場合は色々と特殊だったから。十歳の子供をひとり部屋で生活させるのは困難と判断されて、わたしと暮らす許可が下りたのよ」
「ちょっと待て。レアン騎士学校は全寮制だろう。ならば初等部の他の生徒たちはどういう部屋割になっているんだ?」
「初等部は男子寮も女子寮も二人一部屋よ。その方針は第二寮でも変わらないわ」
相部屋!? じょ、冗談じゃないぞ!? 糞ガキなどと暮らせるものか!
初等部男子という生き物は例外なく阿呆だ。言葉はろくに通じず、四六時中奇声を上げて走り回り、笑えもせん冗談を物真似鳥のようにひたすら繰り返す魔物。
そんな煩わしい生き物と同室になってみろ。俺の学生生活は地獄だ。
「や、ここでいい。違うな。ここがいい」
「あら。それはわたしと暮らしたいということかしら」
「そうだ。俺はおまえと暮らしたい。他のやつとは考えられん」
なぜか面食らったような顔をしている。
「なんだ、難しいか? やはり新任の女性教官どもが入寮してきたら、とやかく言われるのか?」
「え、え~っと」
何やらものすごく苦笑いをして、指先で頬を掻いている。
リリにしては珍しい顔だ。前世でも今世でも見たことがない。
だが――。すぐに取り繕って。
「わたしは別に構わないわ。誰に何を言われても、やましいことをしているわけではないのだから」
「当然だ。……当然だ?」
俺は首を傾げた。
昨今のリリときたら、着替えの際に衝立は使わん。同じベッドで手を繋いで寝る。何なら朝起きたら抱き込まれていることもあるし、ひどいときは股ぐらに挟まれている。先に起きた日など抜け出すのに一苦労だ。
クローゼット上に左遷されたぬいぐるみ群は、さぞやホッとしていることだろう。俺でも中綿がはみ出そうになって明け方に目を覚ますことがあるからな。
昔から何かにしがみついて眠る癖は抜けていないようだ。まあ、そう癖づけてしまったのは前世の俺なのだが。……結局俺だよ。
「当然でしょ」
「お、おお」
当初こそ邪念を払うためにオウジンのように走ったり木剣を振ったりしたが、さすがにもう慣れてきた。きっと前世ではブライズの愚行に、幼いリリもこんなふうに頭を悩ませていたのだろう。
そこまで考えて、俺は気づいた。
――じゃあ察しろよッ!?
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