第279話 踊り子と喧嘩屋
オウジンが壁際に座り、口を開けて天井を見上げた。不甲斐なさに打ち拉がれているようだ。ケリィのように、これで諦めなければいいのだが。まあ、こいつには〝剣鬼〟殺しという強い目的があるから大丈夫だとは思うが。
リリの視線が俺へと向けられる。
「次」
だが気が変わった。俺はリリではなくヴォイドに視線を向けた。
「ヴォイド。譲るぞ」
「あ? 怖じ気づいた――ってほど、まともな感性はしてねえよなァ?」
「その言い方よ……」
咳払いをして、俺は続けた。
「底が見えん。もう少し見てからやりたい。それだけだ」
「はぁん? 俺ぁ別に構わねえがよ。――イトゥカはいいのかよ?」
リリが事も無げにこたえる。
「教官をつけなさい」
「へいへい。イトゥカ教官殿はそれでようござんすかね?」
「意地の悪いこたえだけれど、誰がどの順にきても結果は同じよ。あまり時間は取れないから早くしてくれるとありがたいのだけれど」
その言葉に、ヴォイドの体熱が上がった気がした。
「ハッ、ずいぶんな言い方じゃねえか」
「事実だから」
「そうかよ。甘く見られたもんだ。クク」
やつは立ち上がるとソードラックに歩み寄り、木剣ではなくソードラックをそのままつかんで乱暴に引き倒す。けたたましい音を鳴らして倒れたソードラックからは、無数の木剣が転がった。
うち一本の柄を踏みつけて回転させ、片手でつかむ。
「吠え面かかせてやるよ」
その礼節を欠いた行為に、両膝を追って座っていたオウジンが片膝を立て、非難がましく口を開きかけた――のを片手で阻止して、俺はもう片方の腕を持ち上げた。
だがそれすら。
ヴォイドは吐き捨てる。
「開始の合図はいらねえ。邪魔だ、下がってろ。もう始まってる」
そうして、かつてインターンシップの際に外征騎士のレエラ・アランカルドが俺たちに使った言葉を吐き捨てる。
「――ここはいまから戦場だ」
言うや否や、ヴォイドは転がっていた木剣の一本をリリへと向けて思い切り蹴った。だがリリは飛来する木剣を冷静に自身の鉄骨剥き出しとなった木剣で弾く。そのときにはもう、ヴォイドは身を低くしてリリの足へと木剣を駆け抜けながら振るっていた。
俺は息を呑む。決まるかと思ったからだ。
けれどもリリは視線を向けることもなく、両足で軽く跳ねてそれを躱し、通りすぎたヴォイドと目線を合わせるかのように空中で身をひねりながら着地した。
折り返しで再度襲い来たヴォイドの木剣を、リリが鉄骨となった木剣で受け止める。
「ぐおらぁっ!!」
「……ッ」
ガァンと凄まじい衝突音がした。
ヴォイドの木剣が弾け、鉄骨のみを残す。一方でリリの両足は板張りのフロアを掻いて後方へと滑った。リリが顔をしかめる。
「~~っ」
わかっていたことだが、力ならばヴォイドが遥かに上回っている。技も何もあったものではないが、手段を選ばぬ獣としては、力任せはかなり有利な要素だ。そしてやつはそれをよく理解している。
やはりヴォイドはブライズに似ている。
「――ッ」
今度はリリが膝を曲げて身を屈めた――瞬間、ヴォイドが鉄骨の先で板張りの床に転がっていた木剣をコンと打ち上げる。
リリが烈風のように駆けた。
打ち上げた木剣を左手に、鉄骨を右手に持ったヴォイドが、リリの薙ぎ払った鉄骨を挟み込むようにして受け止めた。
轟音が鳴り響いた――!
ヴォイドの両足は地面に吸い付いたように動かない。力で勝るヴォイドがリリの鉄骨を絡め取り、空へと跳ね上げる。
「うらぁ!」
直後、リリは両足を蹴り上げるようにして後方回転し、床に転がっていた別の木剣を逆さになりながら拾って、再び足を地につけた。
「戦場を離れてから腕を上げたみたいね。スケイル」
「あんたは少し鈍ったじゃねえかァ?」
驚いたな。めちゃくちゃな戦い方だが、リリから得物を奪うとは。
オウジンが餌を求める魚のように、口をパクパクさせている。礼節を重んじるサムライとやらには、まるで理解できない戦い方なのだろう。だがそのおかげでリリに食い下がっている。
開始前、やつは言った。
――もう始まってる。
木剣を合わせる前からヴォイドの戦いはもう始まっていた。八つ当たりに見せかけソードラックを引き倒したところからだ。あいつは苛立ってなどいなかった。木剣をぶちまけ、自分に有利な戦場を自ら作り出しただけだ。板張りの何もない床の上では、リリには届かないから。
やはりやり口が獣だ。けれどそれもすべて防がれている。
「次は毒霧でも吹く?」
「やまやまだが、酒は仕込んでねえ」
リリがじっとりと目を細めた。
「まさか普段から飲んでないでしょうね。ここは戦場ではなく学校よ」
「クク、戦場ならいいのか――よッ!」
ヴォイドが唐突に手にした木剣をリリへと投げる。それも左右の二本ともだ。リリは怪訝な表情をしながらも一本を躱し、二本目を打ち落とす。
その間にヴォイドはリリに背中を向けて逃げ――たわけではない。倒れたソードラックを両手でつかみ上げ、軋ませながら、それをリリへとぶん投げた。
「おらよッ!!」
あんなものが直撃したら、骨の一本では済まない。後退したヴォイドを追って追撃に出てきていたリリには、唐突に飛来したそれを躱す術はない。距離がないんだ。
ソードラックが鈍い回転をしながらリリへと迫る。
だが、彼女は特段慌てた様子もなく、それどころか飛来するソードラックへと向けて地を蹴った。そうして驚くべきことに跳躍しながら全身を地面と平行にして、回転するソードラックの中央を通り抜け、柔らかな前転をしながら着地し、唖然としているヴォイドへと羽織を脱いで投げた。
目隠し……!
「……ッ」
舌打ちをしたヴォイドがそれを片手で払い除けた瞬間、リリの木剣の切っ先がやつの喉元へと突きつけられる。喉仏が大きく動いた。
直後、ヴォイドが諦めたようにあぐらを掻く。
「……ああ、クソ。負けだ負け。やってらんねー」
リリが木剣の切っ先を下げた。そうして事も無げにつぶやく。
「それほど悲観する必要はない。自分の長所を相手に押しつける戦術を組み込んだのは悪くはなかったわ。ただ、予測がまだまだ甘いわね。わたしの思考を見抜いていたら、着地点を狙えたはずよ」
いや、いやいやいやいや。そのアドバイスもおかしいだろ。
火の輪くぐりじゃないんだ。誰が回転しながら飛んでくる巨大なソードラックの隙間なんかを抜けてくると予想できるんだ。
そこまで考えて、ようやく思いつく。
ああ、踊り子は曲芸師でもあったか、と。
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